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狼と名もなき墓標

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 クラウスが新たな騎士団長となり、一年が過ぎた。

 この一年、国境沿いでは小さな小競り合いが幾度かあった。いずれもオシュトローク帝国が起こしたものである。
 オシュトローク側としては、ドナースマルクの甘言にいいように踊らされ、その結果サーリーク王国に負け戦を仕掛けさせられたのだ。憤懣やるかたないのは当然であり、ドナースマルクの身柄を引き渡せという要求も当然のものであったが、サーリーク王国としてもまだ革命派の聴取がすべて終了したわけではないため、オシュトロークの要求に応じるわけにはいかなかった。

 クラウスは議会からの要請を受けて都度対応に当たった。その間エミールは、彼の留守をまもらなければならなかった。
 というのもクラウスの任命式の後、二人は王城を出て、居を別宮へと移したからだ。

 王城の周囲には、王家のために建てられた屋敷がいくつか存在する。数代前の王が愛妾のために建てたもの、娘のために建てたもの、親のために建てたもの、理由は様々であったがどの屋敷も手入れがしっかりと行き届き、いつでも使える状態となっていた。
 そのうちのひとつを、この度クラウスが所有することとなった。

 初めてその屋敷に足を踏み入れたとき、エミールは愕然とした。屋敷内の調度品を始め、カーテンや絨毯などが蒼色で固められており、蒼穹の館という別名がついてもおかしくない仕様となっていたからだ。

 まさか……と恐る恐るクラウスに尋ねてみると、エミールの騎士は平然と、
「おまえが蒼色が好きだと言ったからだ」
 と答えた。目眩が起こりそうだった。
 確かにエミールはそう言った。クラウスに「おまえの好きな色は何色だ」と訊かれ、パッと思い浮かんだのがクラウスの目の色だったので、「蒼色です」と答えた。
 それがまさか……このようなことに……。

 エミールはハッとして窓から庭を見た。花壇には、エミールが好きだと言った花がぎっしりと植えられていた。なんということだ!

 厨房で立ち働く料理人を掴まえて恐恐尋ねてみると、本日の晩餐はエミールの好きな卵料理だと言われた。
 エミールは頭痛を堪えながら、クラウスに滾々こんこんと言い聞かせた。

 ここは二人の家になるのだから、エミールの好みばかり優先させないこと。
 好きなものを与えられるのは嬉しいが、なにごとも限度があるということ。
 クラウスはなぜ自分が叱られているのかまったくわからない、というような顔をしてエミールの訴えを聞いていたが、最後にエミールが、
「どうせたくさんそろえるなら、花や色じゃなくて、ラスの匂いのついたものにして」
 と告げると、喜色満面になり(表情はあまり変わらないのに目がキラキラしていた)、エミールの要求をすべて飲んでくれたので一件落着となった。

 あなたは年々クラウス様の扱いが上手くなりますね、とはスヴェンの言葉だ。忠実なる侍従は、新しい住処にもついてきてくれた。

 クラウス不在の間、屋敷の采配はエミールがしなければならない。実務を取り仕切るのは執事であったが、クラウスの代理として物事を決裁するのはエミールの役目だった。
 といっても、エミールの日常に大きな変化はなかった。養護施設の慰問は続けていたし、その帰りに娼館に寄ってファルケンと他愛ないおしゃべりをするのも変わりなく行っていた。

 アマーリエは毎日のように遊びに来た。ひとりで来ることもあれば、エドゥルフを連れてくることもあった。
 彼女はこの屋敷まで、王城の隠し通路を使って来るのが常だった。
 恐らく、クラウスがここへ移ることを決めたのには、この隠し通路があったことも一因だったのだろう。

 地下を通る秘密の通路の存在は、王族しか知らない。
 屋敷には王城へ続くもの以外にも、いくつかの隠し通路が存在した。エミールはまだその全貌を知らない。しかるべきときがくればクラウスが教えてくれるだろう。

 隠し通路というものは基本有事の際に利用するもので、エミールがここを使うような事態にならなければいい、とクラウスは言っていた。つまり遊びで利用するアマーリエが例外なのだ、と付け加えてもいた。

 そんなクラウスは騎士団長として、立派に務めを果たしている。
 クラウスの就任一周年を記念して行われた騎士団主催の式典で、エミールは初めて彼の剣舞を目にした。

 普段は黒い制服に身を包んでいるクラウスはこの日、真っ白な衣装で現れた。
 演習所の中央に作られたクラウスのための舞台。そこで彼は双剣を手に、舞った。

 クラウスが腕を、足を動かすたびに、白い薄衣がふわりと宙に広がり、先端に結ばれた鈴がシャンシャンと華やかな音を立てる。それが剣が風を切る音と重なり、雅な音楽のように響いた。
 うつくしかった。エミールは呼吸も忘れてクラウスの剣舞に見とれた。

 その後は楽隊が出てきて、十二歳になったユリウスも登場した。兄と一緒に舞えるのが嬉しいのか、相変わらずきらきらしい美貌の末王子は満面の笑顔で、クラウスと呼吸を合わせて剣舞を披露していた。
 ユリウスのあまりの愛らしさに、エミールはアマーリエと一緒にじたばたと悶えた。

 同じ年の夏には、マリウスが次期国王として正式に国民へお披露目がされた。
 国王シュラウドの譲位はまだ数年先の話だったが、革命派がクラウスを担ごうとした一件を受け、王位はマリウスに受け渡すというミュラー家の意思を明確に周囲に知らしめた形である。
 ミュラー家が国を治める以上サーリーク王国は安泰だ、と国民は皆喜んだ。

 その翌月には、さらに民を湧かす報せが舞い込んだ。
 アマーリエが第二子を身籠ったのだ。

 そして未来の王妃懐妊の報せから遅れることふた月。秋の中頃には、エミールの懐妊も布告されることとなる。

 エミール、アマーリエともに、二十二歳の年であった。
  
 


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