上 下
67 / 127
二人の王子

14

しおりを挟む
 エミールは吐息して、クラウスを見た。彼はすこし困ったように眉を寄せている。エミールの願いならば手紙のひとつやふたつ書いてやりたいという思いと、エミールを危険に晒す真似などゆるせないという思いがせめぎ合い、けれど結局は後者が圧勝するのだろう。
 そんなクラウスの思考が手に取るように伝わってきて、エミールはもういいかと諦めた。

「もういいです。もう手紙の件は蒸し返しません。あなたの好きにしたらいいですよ、ラス」
「エル……すまない」
「謝るのもなしです」
「む……」

 クラウスが言葉を詰まらせるのを唇の端で笑って、エミールは二人の王子を見比べた。

 革命派を掃討するため、敢えて革命派の内側へ潜り込んだクラウス。彼が掴んだ情報はマリウスへと流れ、二人は共闘して末弟ユリウスのため、後顧の憂いを断ったのだ。
 改めてすごいと思う。アルファという生き物は皆、彼らのように大局を見据えているのだろうか。
 エミールももっと視野を広げなければならないのかもしれない。これからもクラウスと共に在るならば。
 彼の足を引っ張るだけの存在であってはならないのだ。

 クラウスのつがいとして生きるということ、そのことを改めて突き付けられ、エミールは覚悟を新たにした。

「ドナースマルクらの聴取はこれからだが、ひとまずは一件落着だ」

 マリウスがワインを注ぎ足したグラスを高々と掲げ、
「我がサーリーク王国と、新たなる騎士団長に」
 と言った。
 クラウスが同じようにグラスを持ち上げ、口を開く。

「未来の国王陛下に」

 弟の言葉に、マリウスが眉を軽く上げた。笑みを交わし合った二人の王子は、「乾杯プロージット」の声をそろえて空中でグラスを触れ合わせた。グラスが澄んだ音を響かせる。それはさながら、祝福の鐘の音のようだった。


 四人だけで密やかに行われた祝宴は、ロンバードがクラウスを呼びにきたことでお開きとなった。
 ユリウスの護衛として騎士団を離れた後も、ロンバードはこうして度々クラウスの任務もこなしている。忙しそうなだなぁとエミールは思うが、そもそもユリウスの護衛というのも、クラウスの私兵としての任務のひとつだと考えるとロンバードの主人はやはりクラウスのままなのかもしれなかった。

 エミールがなにげなくドア付近で話している主従を眺めていると、マリウスに改まった口調で呼ばれた。

「エミール」
「はい」

 顔を振り向けたら、指先で呼ばれた。エミールは立ち上がり、マリウスの傍らに立った。彼の隣ではアマーリエが、マリウスの手からワイングラスを取り上げている。

「クラウスの手綱を離すなよ」

 おもむろに告げられた言葉の意味がわからず、エミールは首を傾げた。マリウスははしばみ色の目を細め、ロンバードと話しているクラウスへと視線を流した。

「あいつは俺のことを褒めていたがな、真に稀有なのはクラウスの心根の方だ。頭も切れ、視野も広く、騎士団をまとめるだけの力量もある、にも関わらず俺の裏方に回り微塵も嫉妬を覚えない。心底から俺を慕っている。玉座につくだけの実力がありながら、だ」

 密やかな声で語るマリウスがなにを言いたいのか掴み切れずに、エミールは曖昧に頷いた。
 マリウスが背もたれに深くもたれ、チラとこちらを見上げた。

「だが、俺にあってあいつにないものがある。それは枷だ」
「枷、ですか?」
「俺には国という枷がある。王太子であり次期国王でもある俺は、一番に国のこと、国民のことを考える義務があるのだ」

 マリウスは一度言葉を切って、アマーリエへ目を向けた。

「国のためなら俺は、アマルでさえ利用する」

 エミールは息を飲んだ。当のアマーリエは平然とした表情で、小さな笑みをひらめかせさえした。

「わたくしは王になるひとと結婚したのですもの。むしろ王が民を優先せずにどうしますか」

 アマーリエの言葉に、マリウスが喉を鳴らた。

「エミール。クラウスとおまえは、俺とアマルとは違う」
「……? クラウス様が、国民のために動けないということですか? それともオレが、」
「そのようなことではない。おまえとクラウスが、運命のつがいだということだ」

 その言い方に引っかかりを覚え、エミールは眉を寄せた。
 尋ねてもいいのだろうか。エミールの逡巡を感じ取ったのか、アマーリエが先に口を開いた。

「わたくしとマリウスは運命のつがいではありませんわ。ただのオメガとアルファよ」
「そもそも、運命の相手というものはそうおいそれとは見つからんものだ。クラウスは僥倖だった」
「そう……なんですか?」
「当然だ。世界がどれだけ広いと思っている」

 屈託のない口調でマリウスが頷いた。
 言われてみればその通りだが、でも、それだと……マリウスとアマーリエ、それぞれの運命のつがいがどこかに存在することになる。
 出会ってしまったなら、どうなるのだろう。たとえばマリウスが、運命のつがいを見つけたら……アマーリエよりもそのオメガの方へとこころが移ってしまうのだろうか。

 魂で惹かれ合うとされる、運命のつがい。一度出会ったら二度とは離れらない存在。

「言っておくがな、俺は会えもしない『運命』よりも、こうして俺の隣に居るアマルの方が充分、俺の魂のつがいなのだと思っている」

 エミールはハッとして目を瞠った。アマーリエが小さく笑った。

「わたくしはね、エミール。生まれたときからこのひとの許嫁でしたの。オメガであってもなくても、女が生まれたら王太子に嫁がせる、そう決まってましたのよ。わたくしもこのひとも、覚悟はありますわ。国を背負って添い遂げる覚悟が」
「アマル……」

 同い年の彼女がひどく大きく見えて、エミールはアマーリエの凛とした気迫に飲まれた。
 運命のつがいでなくとも二人の間には確かに愛がある。そのつながりは強固なもので、たとえ『運命』が現われたとしても、揺らぐことはないのかもしれないと思わせた。

 しかしマリウスは、
「だが、運命のつがいというものは本能が求める相手だ。それはある意味ことわりの埒外の存在だ」
 と言う。

「俺はもちろんアマルもエディも愛している。だが俺は夫であり父である前に王家の人間なのだ。クラウスなどは俺を自由だ破天荒だと言うが、俺には国という枷がある。俺の天秤は常に、サーリーク王国に傾いているのだ」

 エミールはようやく、マリウスが言わんとしていることを理解した。

「クラウス様には、その枷がない、と」
「ないのではない。あれも王家の一員だ。無論民のために尽くしたいという意思はある。だが、その枷よりもなによりも他に優先すべきものが、クラウスにはできてしまった。それはおまえだ、エミール」
「…………はい」
「おまえが真に望むなら、クラウスは
「それは!」

 咄嗟に大きな声が飛び出そうになり、エミールはてのひらで口を押さえた。
 扉の横でロンバードと話していたクラウスが、こちらを気にする様子を見せている。なんでもないと手を振って、エミールは声量を絞って反論した。

「それはクラウス様があなたと対立する可能性があると仰ってるんですか? 有り得ない!」

 あんなにも兄を慕っている男が、その兄を押しのけてまで王位継承者に名乗りを上げるはずがなかった。
 しかしエミールの反駁はんばくをマリウスが否定する。

「クラウスが、ではない。おまえだ。おまえが望むなら、クラウスはそれを叶えようとするだろう。クラウスにとっておまえは、おのれのいのちよりも、騎士の誇りよりも、肉親よりも、国よりもだいじな存在なのだから」
「…………まさか」

 エミールの喉からかすれた声が漏れた。

「言っただろう。運命のつがいとは、理の埒外の存在だと。おまえが権力を欲すれば、クラウスはそれを叶えるために動く。必ずだ」
「オレは……そんなことは望んでない」
「うむ。弟のつがいがおまえのように無欲なオメガで良かった」

 マリウスが腕を組み、二度頷いた。彼自身、エミールの反逆を疑っているわけではないようだった。マリウスの懸念はその周囲にあった。

「いいか、俺はおまえのことを信じている。クラウスが選んだつがいを、俺も信じる。だが、おまえを取り巻く全員が俺と同じだとは思うなよ。すこしでも運命のつがいについて知識のある者なら、真っ先におまえを利用しようとする。おまえはクラウスのアキレス腱だ。おまえさえ押さえれば、クラウスを動かすのは容易い。あれは国よりもおまえを選ぶ。騎士団長の立場をなげうってでもおまえのために動くだろう」

 エミールは無意識に生唾を飲み込んでいた。
 マリウスの言葉が重く、腹の奥へと沈殿してゆく。
 革命派を捕縛したからと言って浮かれている場合ではなかった。気を引き締めなければ、すぐに足元をすくわれてしまう。そんな場所に、エミールは居るのだ。

「エミール。俺の弟を、誇りある騎士団長のままでいさせてやってくれ。そのために上手く手綱を握れ。クラウス・ミュラーはサーリーク王国のために必要な男だ。道を踏み外させるなよ」

 マリウスの命令は、兄としてというよりも、次期国王としてのものだった。
 おのれの治世にはクラウスが必要なのだと、真摯にエミールに教えていた。

 エミールは半ば呆然と、クラウスの方を見た。エミールの視線にすぐに気づいた男が、ロンバードの話を遮り、こちらへ来ようとする。
 エミールは慌てて首を横に振った。クラウスの足が止まった。彼の腕をロンバードが掴み、なにかを言っている。それでもクラウスはエミールが気になるのか、蒼い瞳を逸らさなかった。
 エミールがロンバードを指さし、唇だけで「困らせるな」と伝えると、クラウスはようやく部下へと向き直った。
 アマーリエがエミールへとささやきの音で告げてくる。

「マリウスの話は極論ですのよ。でも、頭の片隅にでも置いておいてちょうだいね。エミール、わたくしたちは、気をつけすぎるぐらいでちょうどいいの」

 王族の伴侶としての彼女の言葉を、エミールは胸に刻みつけた。

 生きる世界が違う。もうそんなことを言える段階ではない。
 クラウスと一緒に生きると決めたのは、他らなぬ自分なのだから。 

  
 

 
 
  
  
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

彼の理想に

いちみやりょう
BL
あの人が見つめる先はいつも、優しそうに、幸せそうに笑う人だった。 人は違ってもそれだけは変わらなかった。 だから俺は、幸せそうに笑う努力をした。 優しくする努力をした。 本当はそんな人間なんかじゃないのに。 俺はあの人の恋人になりたい。 だけど、そんなことノンケのあの人に頼めないから。 心は冗談の中に隠して、少しでもあの人に近づけるようにって笑った。ずっとずっと。そうしてきた。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

兄たちが弟を可愛がりすぎです

クロユキ
BL
俺が風邪で寝ていた目が覚めたら異世界!? メイド、王子って、俺も王子!? おっと、俺の自己紹介忘れてた!俺の、名前は坂田春人高校二年、別世界にウィル王子の身体に入っていたんだ!兄王子に振り回されて、俺大丈夫か?! 涙脆く可愛い系に弱い春人の兄王子達に振り回され護衛騎士に迫って慌てていっもハラハラドキドキたまにはバカな事を言ったりとしている主人公春人の話を楽しんでくれたら嬉しいです。 1日の話しが長い物語です。 誤字脱字には気をつけてはいますが、余り気にしないよ~と言う方がいましたら嬉しいです。

王と正妃~アルファの夫に恋がしてみたいと言われたので、初恋をやり直してみることにした~

仁茂田もに
BL
「恋がしてみたいんだが」 アルファの夫から突然そう告げられたオメガのアレクシスはただひたすら困惑していた。 政略結婚して三十年近く――夫夫として関係を持って二十年以上が経つ。 その間、自分たちは国王と正妃として正しく義務を果たしてきた。 しかし、そこに必要以上の感情は含まれなかったはずだ。 何も期待せず、ただ妃としての役割を全うしようと思っていたアレクシスだったが、国王エドワードはその発言以来急激に距離を詰めてきて――。 一度、決定的にすれ違ってしまったふたりが二十年以上経って初恋をやり直そうとする話です。 昔若気の至りでやらかした王様×王様の昔のやらかしを別に怒ってない正妃(男)

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

病弱な悪役令息兄様のバッドエンドは僕が全力で回避します!

松原硝子
BL
三枝貴人は総合病院で働くゲーム大好きの医者。 ある日貴人は乙女ゲームの制作会社で働いている同居中の妹から依頼されて開発中のBLゲーム『シークレット・ラバー』をプレイする。 ゲームは「レイ・ヴァイオレット」という公爵令息をさまざまなキャラクターが攻略するというもので、攻略対象が1人だけという斬新なゲームだった。 プレイヤーは複数のキャラクターから気に入った主人公を選んでプレイし、レイを攻略する。 一緒に渡された設定資料には、主人公のライバル役として登場し、最後には断罪されるレイの婚約者「アシュリー・クロフォード」についての裏設定も書かれていた。 ゲームでは主人公をいじめ倒すアシュリー。だが実は体が弱く、さらに顔と手足を除く体のあちこちに謎の湿疹ができており、常に体調が悪かった。 両親やごく親しい周囲の人間以外には病弱であることを隠していたため、レイの目にはいつも不機嫌でわがままな婚約者としてしか映っていなかったのだ。 設定資料を読んだ三枝は「アシュリーが可哀想すぎる!」とアシュリー推しになる。 「もしも俺がアシュリーの兄弟や親友だったらこんな結末にさせないのに!」 そんな中、通勤途中の事故で死んだ三枝は名前しか出てこないアシュリーの義弟、「ルイス・クロフォードに転生する。前世の記憶を取り戻したルイスは推しであり兄のアシュリーを幸せにする為、全力でバッドエンド回避計画を実行するのだが――!?

処理中です...