上 下
29 / 127
契約の年月

しおりを挟む
 契約の三年の期間内で一番大きな変化を挙げるとすれば、それは、ファルケンが騎士団の宿舎を出て、いつの間にか王都にある酒場パブに併設された娼館の用心棒としての仕事を決めてきたことだ。王城に来て、一年が経過した頃のことだった。

 ファルケン自身の口から騎士団に入団する気はないと聞かされていたエミールだったが、演習所で彼が他の騎士たちに、自分の従士にならないかと口説かれている場面を目にすることが幾度もあった。

 ファルケンは腕が立つ。剣技は元より、弓に於いてはことさらにその評価は突出していた。長弓ロングボウ石弓クロスボウも巧みに使いこなし、狙った的は外さない。
 ヴローム村でもファルケンは狩りの名手だったから、エミールにとってはいまさら驚くようなことでもなかったが、片眼を失ってなお遠近や左右のブレを補正し、百発百中にまで精度を練れる者は少ないのだという。

 騎士たちは熱心にファルケンを勧誘しているようだったし、平民から騎士の身分を得たロンバードという前例も身近にあったので、拒みつつも結局は騎士団に身を落ちつける羽目になるのではないか……と考えていたエミールだったが、ファルケンはあっさりとそれを裏切った。

「明日からねぐらを変えることになった」

 ファルケンからその報告があったのは、彼が宿舎を出る前日のことで、エミールは激怒しながらも引き留めた。
 オレを置いて行くのか、と半泣きで訴えたエミールを、ファルケンは金茶の隻眼を細めて笑った。

「おまえのことはクラウス王子に任せてる」

 勝手に任せないでほしい。エミールは確かにクラウスと三年間の契約をしたが、ファルケンのことはそれとは別で、彼が居なくなってしまうのはさびしくて仕方なかった。
 行かないでほしいと駄々をこねながらエミールは、孤児院のことを思い出していた。

 ヴローム村の孤児院は、十八歳になれば出て行かなければならないという規定があった。十八を目前に控えたファルケンはこのまま村に残って仕事を探すと言っていたけれど、きっと、そのときになればアダムに連れられて王都へ……エミールの手の届かないところへ行ってしまうだろう。そんな不安を、エミールは日々感じていた。

 当時の自分は想像もしなかった。まさか村が盗賊団に襲われて壊滅状態になり、孤児院の子どもたちは王都の施設で保護されて、自分はオメガと成ってこの国の第二王子の仮初めの婚約者になるなんて。

 でも、ファルケンとは離れなかった。
 彼はエミールのすぐ近くに居続けてくれた。
 それなのに。

「いまさら……」

 いまさらオレを捨てるのか。そう言いそうになって唇を噛んだ。

 こんな言葉はおかしい。同じ施設で育ったというだけで、ファルケンとエミールに血の繋がりなんてない。だからファルケンを縛り付ける権利なんてあるはずがなかった。
 けれど、居なくなると思うだけで胸に大きな穴が空いたかのような気持ちになってしまう。

 ファルケンの手が、エミールの頬に触れようと伸ばされ、直前で指を引いた。

「エル。おまえにはクラウス王子が居る」
「クラウス様とファルケンは全然違う」

 比べようがない。二人を同じ土台で並べることなんてできない。

「ルーが居ないと、オレは……」

 喉が詰まった。ぐす、と鼻を啜ったら、ファルケンが仕方ないなといわんばかりにエミールの頭をポンと撫でた。

「おまえのそれは、たぶん、刷り込みだよ」
「……意味がわからない」
「村で、おまえの傍に居たアルファが俺だけだったから、無意識に俺に依存してたんだ」

 依存。その単語に頬を殴られた気分になった。
 ファルケンを頼りに思う気持ちは昔からあった。依存と言われればその通りなのかもしれない。でも。

「バース性は、関係ないだろ」

 言い返した声は弱弱しいものになってしまった。
 でも本当に、バース性は関係ないと思う。村に居たとき、エミールは自分がオメガだなんて知らなかったから。

 しかしエミールの言い分を、ファルケンはしずかに否定した。

「関係は、ある。俺はおまえがオメガだって、なんとなくわかってた。おまえもたぶん、本能で察知してたんだろう。だから他の誰でもなく、俺になついたんだ」

 ファルケンの傍は居心地が良かった。誰よりも頼りになって、誰よりもエミールのことを理解してくれた、家族も同然の幼馴染み。
 無意識下で彼がアルファだと嗅ぎ分け、本能がアルファの庇護を求めたというのだろうか。

 そんなのはあんまりだ。
 これまで、二人で過ごした時間はアルファとオメガとしてあったものではなく、ファルケンとエミール、ただそれだけの存在だったはずだ。ファルケンを慕う気持ちも、十六年という年月で培われたものであって、それをオメガの本能で括られるのは心外だった。
 まるで、エミールの意思は存在しないかのようなファルケンの言葉が腹立たしく、悔しくて、握ったこぶしが震えた。反論したいのに苦しくて、声が出ない。

 唇を噛んで項垂れたエミールを、ファルケンが左腕で抱き寄せた。

「悪かった。いまのは俺が悪い。忘れてくれ」
「……ルーの、バカっ! クソっ!」
「口が悪いのは直らないな」

 低い笑い声が震えとなって、ファルケンの肩に密着したエミールの頬に伝わった。
 後頭部に、硬いてのひらの感触あった。

 鼻先に立ち上るファルケンの匂いは、安堵と郷愁をエミールに与えてくれる。
 同じアルファでも、クラウスの誘発香とはまったく違う匂いだった。

 クラウスの匂いは、蕩けそうに甘く、どうしようもないほど圧倒的で、心臓がドキドキと騒ぐし、足からは力が抜けそうになる。

 けれど、二人の匂いは異なっているのに、どこか似通った部分があるようにも思えた。

 鼻が感じとるのは匂いのはずなのに、エミールの中に満ちるのは感情だった。
 クラウスとファルケン。二人の匂いに共通するものを言葉にするならば、それは、いとしさ、だろうか。

 二人からは、エミールのことを大切に想っているという匂いがする……気がする。それともエミールの勝手な思い込みだろうか。

「エミール」

 名を呼ばれ、顔を上げようとした。けれどファルケンの手ががっしりと後頭部を押さえていたから、身じろぎもできなかった。

「俺はここを出る」
「……」
「だけど、おまえが呼んだら必ず駆けつける。必ずだ」

 ファルケンの囁きは、まるで誓いのようだった。

 エミールとともに在ることを誓う。そう言ったクラウスの言葉とは、ある意味反対の誓いだ。ファルケンはエミールから離れてしまう。でも、エミールが呼べば駆けつけてくれるという。

「……そんなこと言って、オレが、明日すぐに呼んだらどうすんの」

 さびしさをすこしの笑いでごまかして、エミールはファルケンの胸を押した。
 ファルケンは抵抗なく、離れた。触れていた体温の名残は、すぐに消えてしまう。
 ファルケンが隻眼の瞳を、やわらかく細めた。

「おまえは強いし負けず嫌いだから、早々白旗は上げないだろ。でも、どうにもならないときは俺を呼べ」
「どうにもならないときしか、来てくれないってこと?」
「おまえはクラウス王子の婚約者どのだからな。気軽には会えないさ」

 エミールと視線を合わせたまま、一歩、また一歩とファルケンが距離を開けてゆく。

 エミールは追わなかった。
 ファルケンの翻意はないとわかっていた。

「バカ」

 エミールのその言葉を最後に、ファルケンは宣言通り、翌日には城門を出て、新たなる彼の世界へと羽ばたいていったのだった。
  



 

  
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

成長を見守っていた王子様が結婚するので大人になったなとしみじみしていたら結婚相手が自分だった

みたこ
BL
年の離れた友人として接していた王子様となぜか結婚することになったおじさんの話です。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

気付いたら囲われていたという話

空兎
BL
文武両道、才色兼備な俺の兄は意地悪だ。小さい頃から色んな物を取られたし最近だと好きな女の子まで取られるようになった。おかげで俺はぼっちですよ、ちくしょう。だけども俺は諦めないからな!俺のこと好きになってくれる可愛い女の子見つけて絶対に幸せになってやる! ※無自覚囲い込み系兄×恋に恋する弟の話です。

【完結】酔った勢いで子供が出来た?!しかも相手は嫌いなアイツ?!

愛早さくら
BL
酔って記憶ぶっ飛ばして朝起きたら一夜の過ちどころか妊娠までしていた。 は?!!?なんで?!!?!って言うか、相手って……恐る恐る隣を見ると嫌っていたはずの相手。 えー……なんで…………冷や汗ダラダラ 焦るリティは、しかしだからと言ってお腹にいる子供をなかったことには出来なかった。 みたいなところから始まる、嫌い合ってたはずなのに本当は……?! という感じの割とよくあるBL話を、自分なりに書いてみたいと思います。 ・いつも通りの世界のお話ではありますが、今度は一応血縁ではありません。 (だけど舞台はナウラティス。) ・相変わらず貴族とかそういう。(でも流石に王族ではない。) ・男女関係なく子供が産める魔法とかある異世界が舞台。 ・R18描写があるお話にはタイトルの頭に*を付けます。 ・頭に☆があるお話は残酷な描写、とまではいかずとも、たとえ多少であっても流血表現などがあります。 ・言い訳というか解説というかは近況ボードの「突発短編2」のコメント欄からどうぞ。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

諦めようとした話。

みつば
BL
もう限界だった。僕がどうしても君に与えられない幸せに目を背けているのは。 どうか幸せになって 溺愛攻め(微執着)×ネガティブ受け(めんどくさい)

その子俺にも似てるから、お前と俺の子供だよな?

かかし
BL
会社では平凡で地味な男を貫いている彼であったが、私生活ではその地味な見た目に似合わずなかなかに派手な男であった。 長く続く恋よりも一夜限りの愛を好み、理解力があって楽しめる女性を一番に好んだが、包容力があって甘やかしてくれる年上のイケメン男性にも滅法弱かった。 恋人に関しては片手で数えれる程であったが、一夜限りの相手ならば女性だけカウントしようか、男性だけカウントしようが、両手両足使っても数え切れない程に節操がない男。 (本編一部抜粋) ※男性妊娠モノじゃないです ※人によって不快になる表現があります ※攻め受け共にお互い以外と関係を持っている表現があります 全七話、14,918文字 毎朝7:00に自動更新 倫理観がくちゃくちゃな大人2人による、わちゃわちゃドタバタラブコメディ! ………の、つもりで書いたのですが、どうにも違う気がする。 過去作(二次創作)のセルフリメイクです もったいない精神

処理中です...