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オメガとして

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 詳細は後ほど、と言ったくせにクラウスは、エミールに会わせたい人物とやらが誰なのかを説明することなく、
「明日ここへ連れてくる」
 とだけを一方的に告げて足早にエミールの部屋を後にした。

 忙しい立場だということはわかるが、もうすこし詳しく話すことはできなかったのか、とエミールはもやもやとした気持ちを抱えたまま風呂に入った。

 エミールが私室として使わせてもらっている部屋には、贅沢にも風呂やトイレが設えられている。
 その気になれば外へ出ずとも生活ができる場所を与えられたのは、恐らく、エミールがオメガだからだ。
 発情期に王城内をうろつくなという意味にも解釈できたし、アルファたちから身をまもるための安全な寝床を用意されたという意味にも解釈できた。
 たぶん、後者なのだろう。
 王家の紋章が入ったこの首輪も、城内に勤める他のアルファたちがエミールに軽々しく手が出せないようにするためのものだ。
 首に巻くときはあんなに抵抗を覚えたのに、二か月経ったいまでは黒い革のこれが首元にないと心許ない気持ちになるから不思議だった。

 ぱしゃり、とてのひらにすくった湯で顔を洗いながら、エミールは首を捻った。
 おかしい。
 先ほどから自分の考えが、ずいぶんとクラウスに好意的になっている気がする。
 毎朝他のオメガの匂いをつけて求婚をしにくるアルファなんて、すこしも信頼できないはずなのに。

 ファルケンに毒されたのだろうか。
 ファルケンはなぜか、最初からクラウスを信じているようだった。二人の間でどんな話が交わされたのか。

 騎士団の演習に参加しつつも、ファルケンは入団はしないと言っている。客人扱いのファルケンはクラウスの部下というわけではない。なのになにかにつけて彼はエミールに、「王子の言うことを聞いておけ」と言う。
 アルファ同士、なにか通じるものがあるのか。

 エミールだけがけ者にされている。そんな疎外感が、すこし、ある。
 でもそれ以上に、クラウスに気にかけてもらっていることがわかる。
 毎朝の求婚だって、本当に嫌ならクラウスの入室自体を拒むことができるのだ。この部屋には、鍵だってついているのだから。
 そうしないのは、平民の自分が一国の王子の面会を断れるはずがないという身分的な理由もあるけれど、なによりも扉の向こうから彼の匂いが漂ってくると、どうしようもなく顔が見たくなるからだった。

「運命のつがいって……本当なのかなぁ」

 ぱしゃり。ぱしゃり。湯気の立つ水面を指先で弾き、ふぅ、と吐息する。

 自分が真実、クラウスの運命なのだとしたら、彼に匂いをつけているオメガはなんになるのだろう。もうひとりの運命か。それとも、あるいは。

「あのひと、王子だもんなぁ」

 二十歳の若々しく凛々しい第二王子に、婚約者が居ないはずがない。田舎育ちで王家や貴族の仕来たりなどに疎いエミールにだって、それぐらいはわかっていた。

 明日、婚約者のオメガを紹介されたらどうすればいいのだろう。
 ファルケンならなんて言うだろうか。側室でもいいから傍に置いてもらえ、か。

 クラウスの庇護下を離れることになれば、エミールやファルケンはともかく、施設で保護してもらっている子どもたちは路頭に迷うことになる。
 ミアや他の子どもたちの顔を思い浮かべて、エミールは首を横に振った。
 こんなのは違う。子どもたちのことはエミールの枷にはなっていない。それを恐れるのならばエミールは、クラウスの求婚を「クソ王子」なんて言葉で断ったりはしない。

 クラウスはきっと、エミールが多少の無礼を働いたところで子どもたちを切り捨てたりはしないだろう。そういう無条件の信頼が、根底にあった。
 あの蒼い瞳のせいだろうか。エミールを見つめる、はげしい感情と熱を溶かし込んだ、宝石のようなクラウスの双眸。彼の発する匂いと眼差しが、エミールにそう思わせるのだろうか。
 その根拠のないクラウスへの信頼は、けれど確かにエミールの中にあって、だから子どもたちの件を理由にしておのれの身の振り方を決めるというのは、理屈が通っていない。

 つまり自分は、無理やりに理由を作ってまで、クラウスの傍に居たがっている、ということだ。

 子どもたちを保護してもらっているから仕方ない。そんな口実を、離れられない理由にしている。
 そのことに気づいて絶望的な気持ちになった。

「大丈夫かな、オレ……」

 クラウスの婚約者を見ても冷静でいられるだろうか。
 あのうつくしいアルファの一途な求婚が、他のオメガにも向けられていたと知っても、平気な顔ができるだろうか。

 明日が来るのが憂鬱で、エミールは湯舟に頭の先までざぶんと沈んだ。


 
 どんなに嫌でも、時間というものは容赦なく流れる。
 朝食もそこそこにエミールは、自室の窓辺に佇み、そわそわとクラウスの来訪を待っていた。

 やがてノックの音が聞こえ、それを追うようにクラウスの匂いが鼻先に届いた。
 エミールは大きく深呼吸をして、内側から扉を開いた。

「エミール、おはよう。今朝の調子はどうだ」
「おはようございます」

 おかげさまでよく眠れませんでした。その返事を胸の内だけで追加して、エミールは騎士団の黒い制服姿の男を見上げた。

 いつもは室内に入って来てはふた言目に「結婚してくれ」と口説いてくるクラウスは、今日はなぜか扉の前から動かない。
 なんだろう、と怪訝に思い眉を寄せると、クラウスがゴホンと小さな咳ばらいをした。

「エミール、昨日言った、きみに紹介したい者を連れてきた」
「え?」

 どこに、とクラウスの背後を覗き込もうとすると、クラウスが片マントペリースをばさりと揺らし、一歩横へずれた。

 そこからぴょこんと顔を出したのは……金髪に緑の目をした、天使だった。
  



  
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