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2・王城にて

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 エミールが居ると訓練中の騎士たちの気が散る、という理由で、場所を騎士団の施設の一室に移すことになった。
 エミールとしては自分のせいと言われることに疑問しか覚えなかったが、どうやらオメガの誘惑香が微量ながらも発されているらしい。

 騎士団は計十三の部隊で編成されており、中でもクラウスの所属する第一部隊は騎士団長直轄ということで、アルファが多く配置されているとのことだった。

「まぁそれがなくても目立ちますけどね」
 とはロンバードの言葉だ。

「筋骨隆々な男たちの中に居ると、まさに糞の中に宝石はきだめにつる。気が散って当然ですよ、小隊長」

 笑いながらそう言った大男をクラウスがじろりと睨んで、幾人かの名前を挙げ、
「我が隊は随分と気がゆるんでいるものだな。今言った奴らは訓練メニューを倍にしておけ」
 と吐き捨てた。

 不機嫌な表情のクラウスが、眉間にしわを寄せたままでエミールに座るよう促してきた。団員はほぼ全員出払っており、建物内は閑散としている。窓の外から男たちの鍛錬する声が聞こえてきていた。

 エミールは腰を下ろして、ファルケンの袖をクイと引き、自分の隣を示した。
 ファルケンの指先がピクリと動く。また殺気とやらを感じたのだろうか? エミールがじろりとクラウスを睨むと、蒼い瞳が決まり悪げに逸れていった。

「エル、おまえ、このひとが誰かわかってるのか?」

 ファルケンがそっと耳打ちしてくる。

「王子様だって聞いたけど。でも本物かどうかわかんないだろ」
「いや、本物だ」
「なんでルーが言い切れるわけ? 顔も知らないのに」

 ひそひそと囁き返すと、ファルケンがエミールの喉元を指でトンと叩いた。

首輪これ。ここに王家の紋章が入ってる」

 ファルケンの指摘に、エミールはぎょっとした。
 首輪をつけるという行為自体に抵抗を覚えていたため、首輪そのものをじっくり観察する余裕などなかった。だから紋章が刻まれていることにも気づいていなかったし、ましてやそれが王家のものだなんて誰が想像できるだろう。

 ミュラー家の紋章と言えば、王冠と盾、そして牡鹿とプーリンフェルという花がモチーフになったものだ。
 牡鹿は、サーリーク王国の祖、初代国王が国を興す際に度々夢に現れ、王を導いたとする逸話が元になっている。
 プーリンフェルの花は同じく初代国王にまつわる逸話からで、国王の愛したオメガが植えた一本の木だと言われている。青と白の花をつけるプーリンフェルは、見た目の愛らしさは元より、その香りがオメガの誘惑香を彷彿させるもので、サーリーク王国の国花としても有名だ。

「返します、これ」

 なんてものを寄越してきたのかと、エミールは咄嗟に首輪の金具に手をかけた。

「待て。そのままにしておいてくれ」

 クラウスの制止の声がかかるとの、ファルケンに手首を掴まれたのは同時だった。

「エル、馬鹿。ここには二人もアルファが居るんだぞ。迂闊な真似はするな」

 アルファが居る。ファルケンの言葉に頬を打たれた気分になる。
 これまで第二性なんて気にしたことがなかったから、自分がオメガだという自覚にもまだ乏しい。それなのにファルケンは当然のように、エミールをオメガとして扱っている。

 なんだか釈然としない思いを抱えつつも、エミールは渋々首輪から手を離した。

「エミール」

 不意に、強い声で名を呼ばれる。
 ハッと顔を上げると、正面に座る男の蒼い双眸と視線がかち合った。

 テーブルを挟んでいるから二人の間にはすこしの距離があったのに、クラウスの匂いがくっきりと感知できた。隣に腰を下ろしているファルケンの匂いよりも強い気がする。そう考えて、そうか、これがアルファの誘発香かと思い至る。

 ファルケンから漂う嗅ぎ慣れない香り。これまでその匂い気づかなかったのは、エミールがまだオメガとして分化していなかったからか。

 二人のアルファの香りは、似ているようでいてそれぞれまったく違っていた。
 ずっと一緒に暮らしていたファルケンよりも、出会ったばかりのクラウスの匂いの方がなぜかしっくりと馴染んでいる気がするのが不思議だった。

 くん、と無意識に鼻を鳴らすと、また「エミール」と呼ばれた。
 不機嫌だと丸わかりのしわを眉間に刻んだクラウスが、鋭い目でエミールを見ている。

 エミールは、これまでの無礼を咎められるのだと悟り、小さく息を吸い込んだ。
 これまでの自分の言動を顧みると、一国の王子にする態度ではない。クラウスの正体を疑っていたとは言え、不敬罪で罰される恐れは充分にあった。

 目を伏せて沙汰を待つエミールに、低い声が向けられる。

「きみはなぜ、私の言葉は疑ってその男の話は信じるんだ」
「…………はい?」

 言葉の意味を掴み損ねて、思いきり語尾が上がってしまう。

「きみがオメガだということも、村の子どもたちをしかるべき施設で保護したということも、私はきちんときみに告げた。それなのにきみは私の言葉には疑いを向け、彼の話にはあっさりと頷く。なぜだ」

 なぜ、と言われても……わかりきったことを尋ねられ、エミールは困惑しながらも答えた。

「あなたのことはよく知りませんが、ファルケンのことは知ってますから」
「私よりその男を信じるということか?」
「それはそうでしょう。むしろなんでオレがあなたの方を信じるって思うんですか」

 エミールにとって、信頼と身分はイコールでは結ばれない。王子様だから信じるに足るという考えはないのだ。

 エミールの主張にクラウスが目に見えてショックを受けたのがわかった。
 ロンバードが丸まったクラウスの背を叩き、
「仕方にないっスよ、隊長」
 と慰めている。

 ファルケンが黄味がかった茶色の隻眼にエミールを映して、呆れたように吐息した。

「おまえってほんと、鈍感だよなぁ」
「なんだよ」
「あのひとを見ても、なにも感じないのか?」  
「なにもってなんだよ。ルーはなにか感じるわけ?」
「いや、俺は……」
「オレだってなにも感じないよ。なんにも、全ぜ、んむっ」

 話してる途中でファルケンのてのひらで口を塞がれた。

「エル、そこらでやめとこう」

 ファルケンが顎先でくいと正面を示す。そちらへ視線を流すと、胸を押さえたクラウスが悄然とうつむいていた。
 いったいなにをそんなに落ち込んでいるのだと不思議に思っていると、ファルケンがクラウスへと問いかけた。

「言ってないんですか? こいつがあなたの運命のつがいだって」

 クラウスが胸を押さえたまま、わずかに視線を上げて目元を引きつらせた。

「私のオメガをこいつ呼ばわりするな」

 私のオメガ?
 いつエミールがクラウスのオメガになったのか?
 エミールは怪訝に思いつつ、ファルケンの袖を引っ張った。

「ルー。運命のつがいってなに?」

 ファルケンがぎょっとしたように目を見開き、ひたいを抑えて天井を見上げた。

「そこからかよ~」

 見ればクラウスの傍らに立つロンバードも同じ仕草で天を仰いでいる。対照的にクラウスは力なく、肩と頭をがっくりと落としていた。

 
 

  
 
 
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