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アルファは神を殺す

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 強行軍、という言葉にふさわしい過密な行程で、ユリウスたちは馬を走らせた。

 デァモントに向かうにはのこぎり山脈を越えるのが最短のルートではあったが、あいにくいまは冬である。山頂に雪の積もる山道を選択するのは、雪に慣れていないサーリーク王国の民としては避けたいところだった。

 最終目的地はデァモントであったが、周辺諸国に対して根回ししておきたいこともあったため、ユリウスたちは山越えではなく、他国を抜ける迂回路を選んだ。
 通常では七日ほどかかるところを、クラウス率いる騎士団は五日で踏破する予定だ。ユリウスは途中、別行動をするため、次兄とはデァモントで合流する手筈になっている。

 サーリーク王国を出立して丸一日と少し。
 夜空には爪痕のような細い月がある。
 明日は新月。ゲルトの話では新月の日を挟んで十日は教皇は冬ごもりをしているとのことだったので、儀式の終了までにはギリギリで間に合うだろう。

 半身をもがれるような思いでリヒトと別れた後、ユリウスは休憩時間にペンを持ち、猛烈な勢いでおのれの侍従に向けてリヒトに関する留意事項をしたためていった。

 五感の弱いリヒトには、気をつけてあげなければならないことが山ほどある。
 これまでそのほとんどすべてをユリウス自身が担っていたが……ここにきてそのツケが回ってきてしまった。

 ふだんからもう少し他の人間……たとえばテオバルドなどにリヒトの世話を任せていたなら、これほど不安になることもなかったかもしれない。
 しかし、自分以外の誰かがリヒトに食事を食べさせたりリヒトをお風呂に入れたりするなんてこと、想像するだけでも嫌だ。

「あ~。リヒトに会いたい~」

 今頃リヒトはなにをしているだろうか。テオバルドはちゃんとリヒトを世話してくれているだろうか。
 不安だ。
 不安で不安で仕方ない。

 なにが不安かって、リヒトはわりとすぐに他人に懐いてしまう。エミールがいい例だ。会うまで緊張していたのに、あっという間に仲良くなって、二人の秘密まで作ってしまったのだから!

 ということは、だ。
 ユリウスが屋敷に戻ったときには、テオバルドに身を預けきってるリヒト、というものを見せられるのかもしれない。
 その可能性が大いにある。

「あ~、まずい。テオを殺したくなってきた」
「ひとの倅を殺さんでくださいよ」

 ドン、という音とともに卓上にマグカップが置かれた。
 チラと横目で見上げてみれば、ロンバードが眉間にしわを寄せてユリウスを見ていた。

「おまえはテオにリヒトが抱っこされてもいいっていうのか」

 ユリウスも負けじと眉間を寄せて、厳つい男へと吐き捨てる。ロンバードが逞しい肩をそびやかし、ユリウスの隣に腰を下ろした。

 王族であり外交長官であるユリウスに与えられた天幕は広い。しかし巨躯の男がひとり入ることでかなり窮屈になってしまう。

「俺はまぁ倅の味方なんで、あんたが倅に無実の罪を着せて処罰しようってんなら相手になりますよ」
「おまえもテオも僕の侍従だろう。主の意向が一番じゃないのか」
「主が暗君なら従う理由はないですねぇ」
「不敬罪だな」

 ふん、と鼻を鳴らしたユリウスに、ロンバードが喉で笑った。

「で、あんたはさっきからなにをしてるんですか。さっさと寝た方がいいですよって言いにきたんですが」
「酒盛りに来た、の間違いじゃないのか?」

 ユリウスは片眉を上げて、ロンバードが持ってきた木製のマグカップを手に取る。そこにはホットワインがなみなみとつがれていた。

「それは団長からの差し入れです」
「兄上から?」
「伝言もあります。あと一時間して灯りが落ちていなかったらここに団長が乗り込んでくるので、団長に見られてまずいものはそれまでに片付けておけ、と」

 伝言を聞いたユリウスは思わず苦笑した。

 クラウスに見られてまずいもの、というのはいま書いているこの手紙のことだ。
 異国に出向く任務の際は、基本的に身内であっても詳細を告げることはゆるされていない。
 行軍の最中に正式な文書であるならともかく、私的な手紙を出すことも一律に禁止されていた。
    
 ユリウスは外交長官という立場上、国王宛や相手国に宛てた書類を作成することも多く、ペンを握っていても誰にも咎められない。
 それを利用して、ものすごく私的な『リヒトに関する留意事項』をしたためているのだから、たしかにクラウスに見つかるわけにはいかなかった。

「もう終わる。あとすこしだけ」
「なにをそんな熱心に……って、うわ。やべぇ」

 パラリ、と敷布に落ちた一枚の用紙を手に取って、ロンバードが至極素直な感想を漏らした。

「やばいとはなんだ」
「いや、前からあんたの独占欲はやべぇと思ってたんですが、いっそ気持ち悪いぐらいっすね」
「不敬罪だな。罰としておまえが早馬を手配しろ。出来次第出す」
「へぇへぇ、了解しました」

 自分の分のワインをぐびりと飲んだロンバードが、適当な返事を寄越した。
 ユリウスはそれを横目で睨んで、ペンを進める。

 留意事項はあらかた書き終えたので、次はリヒトへの手紙に取り掛かった。

 手紙の中でも、胸の中でも、幾度もおのれのオメガの名を呼ぶ。
 リヒト。リヒト。リヒト。
 あの子の目が治れば、僕を顔を見てなんて言うだろうか。
 あの子の耳が治れば、僕の声を聞いてなんて言うだろうか。    
 あの子の嗅覚が治れば……僕の匂いを嗅いで、なんて言うだろうか。
 アルファの匂いがわかれば、あるいはあの子は、オメガとして成熟するのだろうか。
 いまのままでも、もちろんユリウスにとっては充分なのだけれど。

 感情のままにペンを走らせて書きあげた手紙は、誰がどう見ても明らかな恋文で、ユリウスはそれを一読してから、リヒト自身が手紙を読めないことを思い出した。

 リヒトの目は、物を近づけても遠ざけても常にぼやけていて、輪郭すら捉えるのが難しい。
 その彼が文字など読めるはずがない。
 ということはこの手紙は誰かが代読することとなる。

 誰か、というのはリヒト付きの侍従に任命したテオバルド以外にはないことになるが……。

 ちょっと待って、テオが僕のリヒトに、『僕のリヒトへ』って呼びかけるわけ?
 それはダメだ。それはない。代読でも嫌だ。

 ユリウスは書いたばかりの手紙を一度破棄し、新たに作成し直した。
 代読するのはテオ以外で、可能ならエミールを呼ぶようにという文言を追記する。
 そしてもう一度内容をチェックしてから、丁寧に便箋を折って、封筒へ入れた。

 そのタイミングで、ぬ、と大きな手が差し出される。
 ユリウスはロンバードの手に、リヒトへの手紙と分厚い『リヒトに関する留意事項』を預けた。

「早く灯りを消さないと団長が来ますよ」
「おまえに預けたことで証拠隠滅だ。せっかくの兄上からのワインも飲まないといけないしね。もう少し付き合え」

 ユリウスがマグカップを掲げると、ロンバードがおのれのカップをカツッとぶつけてきた。
 二人は残りのワインを呷り、きれいに飲み干してから各々動き出した。
 ユリウスは、寝る準備を。ロンバードは早馬の手配を。

 天幕を出てゆく男の背を見送って、ユリウスは寝袋に入りごろりと横になる。
 しばらくはリヒトと離れ離れだ。
 腕の中におのれのオメガが居ない、というさびしさは途方もなかったが、それ以上の成果が、この遠征で得られるはずだった。

「おやすみ、僕のオメガ」

 ユリウスは口の中で小さく呟いた。

 おやすみなさい、ユーリ様。
 そんな返事が聞こえた気がして、ユリウスは微笑みながら目を閉じた。
  

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