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原罪

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 自分にできることはなにか、ということをずっと考えている。

 生まれながらに罪を背負う自分が。
 信者のために、なにができるのか。

 ハーゼは先代の生まれ変わりだと、周りは信じている。
 先代は、その前のハーゼの。
 その前のハーゼには、さらにその前のハーゼが居て……。
 ハーゼという魂が肉体を変えて、ずっと巡っているのだという。

 先代の記憶は確かにハーゼの中にある、と教皇は言っていた。
 その証拠が、選定の儀だと。

「あなたはひとつも違えることなく正しい物を選びました。私だけではない。あの場に居た誰もが奇跡の目撃者となったのです」

 教皇は力強い声でそう語った。
 けれどハーゼの中に先代の記憶なんていうものは存在していないし、あれは、母……もう顔も忘れてしまった……に教えられた通りの順番で選んだだけなのだ。
 だからハーゼはきっと、『ハーゼ』の生まれ変わりではない。

 けれどハーゼには神様の声が聞こえる。
 ハーゼにしか聞くことができないという、神様の声が。

 ならば自分はやはり先代の生まれ変わりなのか。
 信者たちを苦しめる託宣をした、先代の。


 ハーゼは心身ともに疲弊して、もはや限界であった。
 ここから逃げ出したい。そう思わない日はない。
 しかし自分が祈ることをやめたらもっと恐ろしいことが起こるのではないかという強迫観念があって、毎日決められた時間に祭壇の前に跪くのをやめることはできなかった。

 仮に教会から逃げ出したとしても、五感が弱いことに加え極度の栄養失調状態にあったハーゼは、幾ばくも歩かないうちに捕らえられたであろう。


 現状をなにも変えることができぬままに、変わり映えのしない一日を終える。
 そんな日を繰り返していたハーゼへと、初めて告げられた言葉があった。
 祭壇の前で祈っていたときのことだった。

「外へ出てみたいとは思いませんか」

 不意に、そんな問いかけをされた。
 ハーゼはポカンと顔を上げた。黒衣の男がこちらを見下ろしていた。

 誰だろう。フードをかぶっているため、ハーゼの目にはここで働く者は皆同じに見える。
 自分の世話をしてくれたことのあるひとだろうか。それとも初めて会うひとだろうか。
 ハーゼは戸惑い、目を忙しなく瞬かせた。

「私はこれより外へ行きますが、一緒に行きますか」

 また声が降ってきた。黒衣の男が、ハーゼの前に屈みこんでくる。

「いま、この周辺には誰も居ません。いまならあなたに外の世界を見せてあげられる。一緒に行きますか?」

 しずかに問われて、ハーゼは小首を傾げた。

「……お外は、楽しいところですか?」
「はい」
「それなら、行ってみたいです」

 ハーゼはかさついた唇を動かして、答えた。
 男の両腕が伸びてきて、ハーゼは抱きかかえられた。

 フード越しに男の肩に手を回してから、気づいた。男はなにか大きな籠を背負っている。

「僕は重いですか」

 荷物を持った上に自分を抱っこしなければならないなんて、大変だ。
 やはり外へ行くのはやめようか、とハーゼは逡巡したが、男は「いいえ」と答えた。

「いいえ。あなた様はとても軽い」

 男の声は震えていた。
 泣いているのだろうか。心配になって、ハーゼは胸の中で祈った。神様、このひとのかなしみが消えますように。


 ハーゼは男の腕に抱かれたまま、この日初めて、中央教会の外へと出た。

 景色はよく見えない。屋内外の空気の違いもわからない。外に出ましたと教えられて初めて、そうかここが外なのかと思った。言われてみれば、部屋の中よりも明るいかもしれない。

 男はどんどんと進んでゆく。どこをどう歩いているのかハーゼにはまったくわからない。

 周囲は徐々に暗くなってきた。夜になったのかもしれない。
 いまは夜ですか、とハーゼは尋ねた。
 いまはまだ昼間で、山の中を歩いているから暗いのだと教えられた。

「周りにはたくさんの木があります。木々が陽の光を遮っているので暗く感じるんです」

 男はそう言いながら、さらに歩を進めた。
 こんなにたくさん歩いて疲れないのだろうか。ハーゼは心配になったが、男は休憩もとらずに歩き続けた。

 やがてようやく男が立ち止まった。
 ハーゼは彼の腕から地面へと下ろされた。

 足場が斜めになっていて、ハーゼは尻もちをついた。てのひらを地面に這わせてみる。絨毯の床とは違い凹凸がたくさんあった。絨毯よりも、たぶん、硬い。これが外の地面か。
 初めて味わう感触はおぼろで、けれどハーゼは外の世界を実感してしばらく地面を触っていた。

「ハーゼ様、水です」

 男の声がして、口元に男の持つ水筒がつけられた。流れ込んでくる水を、ハーゼはこくこくと飲んだ。

「パンです」

 続けてパンが与えられた。ハーゼの小さな口で、ちょうど三口みくち分。

 パンはすぐになくなった。
 食べると、お腹が空く。
 ハーゼは腹をさすった。空腹に慣れていても、少しの刺激で腹はぐぅと鳴る。

 もっと欲しい。
 でもそれを乞うことはしない。だってきっと、この黒衣のひとも食べてない。

 信者たちはいつも飢えている。それなのに貴重な食料を自分に分けてくれているのだ。
 だから、もっと食べたいですなんて、絶対に言ってはならなかった。

 ハーゼは口の中にパンの欠片でも残ってはいないかと、もごりと舌を動かした。

「ハーゼ様。もう少し先へ行くと、山ぶどうの実がありますよ」

 男がハーゼの目線の先に腕を伸ばしきた。恐らく、向こうの方角を指さしているのだ。
 山ぶどう。それはなんだろう。

「山ぶどうは、食べられますか?」

 ハーゼは尋ねた。黒衣の男の頭が動いた。

「食用の実ですから食べられます。今は山ぶどうの時期ですから、ハーゼ様のお腹がいっぱいになるほどたくさんなっていると思いますよ。ただ、とても低い位置になる実なので、私では採ることが難しいのです」

 申し訳ありません、と男が謝った。
 ハーゼは横にあった木の幹に縋りながら、ゆっくりと立ち上がった。

「あっちの方向ですか」

 男の手が向いた方を指さして問いかけると、そうです、と返事が返ってくる。
 ハーゼはそろりと足を踏み出した。

「ハーゼ様、危のうございますよ」

 制止の声がかけられる。ハーゼはそれに大丈夫と答えて、慎重に歩き出した。

 山ぶどうの実は、たくさんなっていると男は言った。

 ハーゼは嬉しくなった。
 山ぶどうの実を採って、それから。

 ハーゼに外の世界を見せてくれたこの男に、あげようと思った。

 僕のお腹がいっぱいになるぐらいって、どのぐらいあるだろうか。
 ハーゼは見えにくい目をしっかりと凝らして歩きながら、想像した。

 信者のひと全員にいきわたるぐらいあるだろうか。
 全員って何人居るのだろう。全員は無理だったとしても、せめて、僕のお世話をしてくれるひとたちの分は集めたい。

 山ぶどうをたくさん採ることができたなら……少しはゆるされるだろうか。
 生まれる前から背負っている、この罪が。
 不幸の元凶だとされる、先代のハーゼの罪が。

 山ぶどうで、ゆるされるだろうか……。


 考えている途中で、探している山ぶどうの色すら自分は知らないことに気づき、ハーゼは黒衣の男を振り返ろうとした。

 そのとき、足がカクンと折れた。
 あ、と思ったときには体が地面に転がっていた。

 いつも過ごしている平坦な屋内の床ではない。
 角度の急な山道だ。

 男の声が聞こえた気がしたが、もはやどの方角に居るのかもわからない。

 ハーゼはどうすることもできずに、斜面を転がり落ちていった。
 







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