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リヒト③
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朝にいつものように、
「おはよう、僕のオメガ」
とユーリ様の声で起こされる。
ユーリ様はいつも僕より後に寝て、僕より早く起きている。
睡眠時間は足りているのだろうか。
それとも僕が寝すぎなのかな。
ベッドに入ったら気づくと夢の中だし、ユーリ様に起こしていただくまでぐっすり寝ているにも関わらず昼寝までするときもあるのだから、僕はひとよりも眠っている時間が長いのかもしれない。
そのことをユーリ様に以前相談したのだけれど、ユーリ様は笑って、
「短くなった方だよ」
とおっしゃった。
「最初の二年は眠りっぱなしだったんだから、いまこうしてリヒトがおしゃべりしてくれるだけで、僕はすごく嬉しいよ」
ユーリ様はつくづく僕に甘いと思う。
僕がなにを言っても、なにをしても呆れないのはたぶん、ユーリ様だけじゃないかな。
でもユーリ様のおっしゃることが、ぜんぶその通りでないことも、僕は知っていた。
リヒトはなにをしても可愛い、声も可愛い、見ているだけでしあわせだ。
本当にユーリ様の言う通り、僕が『そう』なのだとしたら、きっとこの屋敷で働く他のひとたちも、もっと僕に話しかけてくれただろう。
ユーリ様がいらっしゃるときはそれだけでしあわせで、他のことは気にならないのだけれど、ここ最近ユーリ様はとても忙しいようで、僕を構ってくれる時間も少し減っていた。
その代わりに使用人の方が僕の世話をしてくれるのだけれど、それはとても余所余所しくて……たぶん、僕のことが嫌いなんだろうなぁというのが伝わってくる。
ユーリ様にはお話していないけど、ご飯も、僕の分はもらえていなかった。
でもそれは仕方のないことだ。
ユーリ様は王弟殿下で、尊い身分で、そんなお方が僕みたいな、ひととしてもオメガとしても出来損ないを「僕のオメガ」と呼んでいるのだから。
ユーリ様にぜんぜん釣り合ってない、と思われて当然だった。
僕は使用人のひとたちの態度に毎日少しだけ傷ついて、でもユーリ様に「僕のオメガ」と呼び掛けてもらえることに毎日たくさんのしあわせを貰っている。
今日もユーリ様はいつものように僕を起こして、洗面所まで連れて行ってくれて、歯磨きや顔を洗うのを手伝ってくれて、そして膝の上で朝食を食べさせてくれた。
「今日のパンは林檎と胡桃が入ってるよ。しっかり噛んでね」
そう言ってちぎったパンを僕の口に入れてくれて、
「はい、カボチャのスープだよ」
と、息を吹きかけて冷ましたスープを飲ませてくれる。
たまに口の端を拭かれるので、気づかないうちに零してしまってるのだろう。僕は目が良くないから気づかなかったけど、あちこち汚してしまってるのかもしれない。
「きたなくして、ごめんなさい」
もごもごと口の中の果物を食べてから、本当にいまさらだったけど、僕はユーリ様に謝った。
そしたら、ユーリ様が明るい声で、
「きたないなんて思ったことなかった」
と笑って、僕の唇の端っこをペロリと舐めた(と思う。感触はあまりわからないけど、ユーリ様の顔が近づいたから)。
僕の口はなにか味がするのかしら? 僕も舌を出して口の端を舐めてみたけど、やっぱり味はわからなくて、ちょっとだけしょんぼりしてしまった。
「リヒト。今日はエミール殿が行商人を連れてくる日だからね。この部屋まで立ち入らせるわけにはいかないから、玄関ホールまで出ておいで。時間になったらテオが呼びにくるから」
「はい」
「リヒトの買い物はエミール殿が手伝ってくれるからね」
「はい」
「あれ? 緊張してる?」
ふつうに受け答えしたつもりだったけど、ユーリ様に言い当てられて僕はドキリとした。
緊張は、している。
お買い物自体初めてのことだったし、こないだのようにエミール様に失礼なことをしてはいけないと思うと、いったいどう振る舞えばいいのか途方に暮れてしまう。
本当は、お断りしたかった。
やっぱり僕にはできません、と言いたかった。
だけどユーリ様がせっかく僕のために手配してくれたのに、僕のワガママでそれを台無しにしたくはなかった。
それに、僕には今日、ひとつだけ楽しみがある。
行商人というのがどういうひとかわからないけれど、もしも僕の話を聞いてくれそうな様子だったら、ユーリ様に差し上げるものを選んでもらおうと思うのだ。
自分ではなにが良くてなにがダメなのかわからないから、行商人さんと、それから……大丈夫そうならエミール様に相談して、ユーリ様のためのものを見繕ってもらいたかった。
物を買うためにはお金というものが必要で、そのお金を稼ぐためにはお仕事をしないといけない。でも僕は一文無しだ。
行商人を呼ぶというお話を聞いたときも、僕はお金のことが気になったのだけど、ユーリ様からはお金のことは気にしなくていいと言われていた。
「リヒトはいつも温室で花の世話をしてくれるからね。そのお給金がたくさん貯まってるんだよ。欲しい物はなんでも買えるぐらい貯まってるから気にせず使いなさい」
そんなふうに説明を受けたけど、それだって本当のことかはわからない。
僕の仕事は、料理を作ったり掃除をしたりする仕事と比べるときっと遥かに簡単なもので、それなのにお金が貯まってると言われるのは不思議だ。
もしかしたら僕のお給料だけがものすごく高いのかもしれない。だから使用人のひとたちはなおのこと、僕のことが嫌いなのかもしれない。
「リヒト? 気が乗らないならいまから断ろうか?」
ユーリ様が僕の口周りをナフキンで拭きながら問いかけてきた。
僕は慌てて首を横に振って、
「いいえ。欲しいものがあるので」
と答えた。
「なにが欲しいの?」
「わかりません。相談して、探します」
「相談?」
「エミール様と……その……」
口ごもりながら僕は、そうだこの流れでユーリ様が欲しいものを聞き出せばいいんじゃないかと思い至った。
「ユーリ様。ユーリ様は、なにか、欲しいものがありますか」
「僕? 僕はリヒトが楽しんでくれるのがなによりだけど……そうだなぁ、う~ん、じゃあ、哺乳瓶があれば買っておいてくれるかい」
「はい!」
意気揚々と返事をしてから、僕は、哺乳瓶? と内心首を傾げた。
哺乳瓶ってあれかな?
僕が昔、ユーリに拾っていただいて、二年間寝たきりで目が覚めてからもまだちゃんと起きれなかったりしたときに、ユーリ様がミルクや果実水を飲ませてくれた、あの容器のことかな。
あの頃はまだこの国の言葉がよくわからなかったけど、確かそんな名前で呼んでいたように思う。
なぜユーリ様がそのようなものを欲しがっているかはわからなかったけれど、僕はユーリ様の希望を絶対に叶えようと、握りこぶしを作った。
「おはよう、僕のオメガ」
とユーリ様の声で起こされる。
ユーリ様はいつも僕より後に寝て、僕より早く起きている。
睡眠時間は足りているのだろうか。
それとも僕が寝すぎなのかな。
ベッドに入ったら気づくと夢の中だし、ユーリ様に起こしていただくまでぐっすり寝ているにも関わらず昼寝までするときもあるのだから、僕はひとよりも眠っている時間が長いのかもしれない。
そのことをユーリ様に以前相談したのだけれど、ユーリ様は笑って、
「短くなった方だよ」
とおっしゃった。
「最初の二年は眠りっぱなしだったんだから、いまこうしてリヒトがおしゃべりしてくれるだけで、僕はすごく嬉しいよ」
ユーリ様はつくづく僕に甘いと思う。
僕がなにを言っても、なにをしても呆れないのはたぶん、ユーリ様だけじゃないかな。
でもユーリ様のおっしゃることが、ぜんぶその通りでないことも、僕は知っていた。
リヒトはなにをしても可愛い、声も可愛い、見ているだけでしあわせだ。
本当にユーリ様の言う通り、僕が『そう』なのだとしたら、きっとこの屋敷で働く他のひとたちも、もっと僕に話しかけてくれただろう。
ユーリ様がいらっしゃるときはそれだけでしあわせで、他のことは気にならないのだけれど、ここ最近ユーリ様はとても忙しいようで、僕を構ってくれる時間も少し減っていた。
その代わりに使用人の方が僕の世話をしてくれるのだけれど、それはとても余所余所しくて……たぶん、僕のことが嫌いなんだろうなぁというのが伝わってくる。
ユーリ様にはお話していないけど、ご飯も、僕の分はもらえていなかった。
でもそれは仕方のないことだ。
ユーリ様は王弟殿下で、尊い身分で、そんなお方が僕みたいな、ひととしてもオメガとしても出来損ないを「僕のオメガ」と呼んでいるのだから。
ユーリ様にぜんぜん釣り合ってない、と思われて当然だった。
僕は使用人のひとたちの態度に毎日少しだけ傷ついて、でもユーリ様に「僕のオメガ」と呼び掛けてもらえることに毎日たくさんのしあわせを貰っている。
今日もユーリ様はいつものように僕を起こして、洗面所まで連れて行ってくれて、歯磨きや顔を洗うのを手伝ってくれて、そして膝の上で朝食を食べさせてくれた。
「今日のパンは林檎と胡桃が入ってるよ。しっかり噛んでね」
そう言ってちぎったパンを僕の口に入れてくれて、
「はい、カボチャのスープだよ」
と、息を吹きかけて冷ましたスープを飲ませてくれる。
たまに口の端を拭かれるので、気づかないうちに零してしまってるのだろう。僕は目が良くないから気づかなかったけど、あちこち汚してしまってるのかもしれない。
「きたなくして、ごめんなさい」
もごもごと口の中の果物を食べてから、本当にいまさらだったけど、僕はユーリ様に謝った。
そしたら、ユーリ様が明るい声で、
「きたないなんて思ったことなかった」
と笑って、僕の唇の端っこをペロリと舐めた(と思う。感触はあまりわからないけど、ユーリ様の顔が近づいたから)。
僕の口はなにか味がするのかしら? 僕も舌を出して口の端を舐めてみたけど、やっぱり味はわからなくて、ちょっとだけしょんぼりしてしまった。
「リヒト。今日はエミール殿が行商人を連れてくる日だからね。この部屋まで立ち入らせるわけにはいかないから、玄関ホールまで出ておいで。時間になったらテオが呼びにくるから」
「はい」
「リヒトの買い物はエミール殿が手伝ってくれるからね」
「はい」
「あれ? 緊張してる?」
ふつうに受け答えしたつもりだったけど、ユーリ様に言い当てられて僕はドキリとした。
緊張は、している。
お買い物自体初めてのことだったし、こないだのようにエミール様に失礼なことをしてはいけないと思うと、いったいどう振る舞えばいいのか途方に暮れてしまう。
本当は、お断りしたかった。
やっぱり僕にはできません、と言いたかった。
だけどユーリ様がせっかく僕のために手配してくれたのに、僕のワガママでそれを台無しにしたくはなかった。
それに、僕には今日、ひとつだけ楽しみがある。
行商人というのがどういうひとかわからないけれど、もしも僕の話を聞いてくれそうな様子だったら、ユーリ様に差し上げるものを選んでもらおうと思うのだ。
自分ではなにが良くてなにがダメなのかわからないから、行商人さんと、それから……大丈夫そうならエミール様に相談して、ユーリ様のためのものを見繕ってもらいたかった。
物を買うためにはお金というものが必要で、そのお金を稼ぐためにはお仕事をしないといけない。でも僕は一文無しだ。
行商人を呼ぶというお話を聞いたときも、僕はお金のことが気になったのだけど、ユーリ様からはお金のことは気にしなくていいと言われていた。
「リヒトはいつも温室で花の世話をしてくれるからね。そのお給金がたくさん貯まってるんだよ。欲しい物はなんでも買えるぐらい貯まってるから気にせず使いなさい」
そんなふうに説明を受けたけど、それだって本当のことかはわからない。
僕の仕事は、料理を作ったり掃除をしたりする仕事と比べるときっと遥かに簡単なもので、それなのにお金が貯まってると言われるのは不思議だ。
もしかしたら僕のお給料だけがものすごく高いのかもしれない。だから使用人のひとたちはなおのこと、僕のことが嫌いなのかもしれない。
「リヒト? 気が乗らないならいまから断ろうか?」
ユーリ様が僕の口周りをナフキンで拭きながら問いかけてきた。
僕は慌てて首を横に振って、
「いいえ。欲しいものがあるので」
と答えた。
「なにが欲しいの?」
「わかりません。相談して、探します」
「相談?」
「エミール様と……その……」
口ごもりながら僕は、そうだこの流れでユーリ様が欲しいものを聞き出せばいいんじゃないかと思い至った。
「ユーリ様。ユーリ様は、なにか、欲しいものがありますか」
「僕? 僕はリヒトが楽しんでくれるのがなによりだけど……そうだなぁ、う~ん、じゃあ、哺乳瓶があれば買っておいてくれるかい」
「はい!」
意気揚々と返事をしてから、僕は、哺乳瓶? と内心首を傾げた。
哺乳瓶ってあれかな?
僕が昔、ユーリに拾っていただいて、二年間寝たきりで目が覚めてからもまだちゃんと起きれなかったりしたときに、ユーリ様がミルクや果実水を飲ませてくれた、あの容器のことかな。
あの頃はまだこの国の言葉がよくわからなかったけど、確かそんな名前で呼んでいたように思う。
なぜユーリ様がそのようなものを欲しがっているかはわからなかったけれど、僕はユーリ様の希望を絶対に叶えようと、握りこぶしを作った。
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