上 下
27 / 184
リヒト③

しおりを挟む
 朝にいつものように、
「おはよう、僕のオメガ」
 とユーリ様の声で起こされる。

 ユーリ様はいつも僕より後に寝て、僕より早く起きている。
 睡眠時間は足りているのだろうか。
 それとも僕が寝すぎなのかな。

 ベッドに入ったら気づくと夢の中だし、ユーリ様に起こしていただくまでぐっすり寝ているにも関わらず昼寝までするときもあるのだから、僕はひとよりも眠っている時間が長いのかもしれない。

 そのことをユーリ様に以前相談したのだけれど、ユーリ様は笑って、
「短くなった方だよ」
 とおっしゃった。

「最初の二年は眠りっぱなしだったんだから、いまこうしてリヒトがおしゃべりしてくれるだけで、僕はすごく嬉しいよ」

 ユーリ様はつくづく僕に甘いと思う。

 僕がなにを言っても、なにをしても呆れないのはたぶん、ユーリ様だけじゃないかな。

 でもユーリ様のおっしゃることが、ぜんぶその通りでないことも、僕は知っていた。
 リヒトはなにをしても可愛い、声も可愛い、見ているだけでしあわせだ。
 本当にユーリ様の言う通り、僕が『そう』なのだとしたら、きっとこの屋敷で働く他のひとたちも、もっと僕に話しかけてくれただろう。

 ユーリ様がいらっしゃるときはそれだけでしあわせで、他のことは気にならないのだけれど、ここ最近ユーリ様はとても忙しいようで、僕を構ってくれる時間も少し減っていた。
 その代わりに使用人の方が僕の世話をしてくれるのだけれど、それはとても余所余所しくて……たぶん、僕のことが嫌いなんだろうなぁというのが伝わってくる。

 ユーリ様にはお話していないけど、ご飯も、僕の分はもらえていなかった。

 でもそれは仕方のないことだ。
 ユーリ様は王弟殿下で、尊い身分で、そんなお方が僕みたいな、ひととしてもオメガとしても出来損ないを「僕のオメガ」と呼んでいるのだから。
 ユーリ様にぜんぜん釣り合ってない、と思われて当然だった。

 僕は使用人のひとたちの態度に毎日少しだけ傷ついて、でもユーリ様に「僕のオメガ」と呼び掛けてもらえることに毎日たくさんのしあわせを貰っている。

 今日もユーリ様はいつものように僕を起こして、洗面所まで連れて行ってくれて、歯磨きや顔を洗うのを手伝ってくれて、そして膝の上で朝食を食べさせてくれた。

「今日のパンは林檎と胡桃が入ってるよ。しっかり噛んでね」
 そう言ってちぎったパンを僕の口に入れてくれて、
「はい、カボチャのスープだよ」
 と、息を吹きかけて冷ましたスープを飲ませてくれる。

 たまに口の端を拭かれるので、気づかないうちに零してしまってるのだろう。僕は目が良くないから気づかなかったけど、あちこち汚してしまってるのかもしれない。

「きたなくして、ごめんなさい」

 もごもごと口の中の果物を食べてから、本当にいまさらだったけど、僕はユーリ様に謝った。
 そしたら、ユーリ様が明るい声で、
「きたないなんて思ったことなかった」
 と笑って、僕の唇の端っこをペロリと舐めた(と思う。感触はあまりわからないけど、ユーリ様の顔が近づいたから)。
 僕の口はなにか味がするのかしら? 僕も舌を出して口の端を舐めてみたけど、やっぱり味はわからなくて、ちょっとだけしょんぼりしてしまった。
 
「リヒト。今日はエミール殿が行商人を連れてくる日だからね。この部屋まで立ち入らせるわけにはいかないから、玄関ホールまで出ておいで。時間になったらテオが呼びにくるから」
「はい」
「リヒトの買い物はエミール殿が手伝ってくれるからね」
「はい」
「あれ? 緊張してる?」

 ふつうに受け答えしたつもりだったけど、ユーリ様に言い当てられて僕はドキリとした。

 緊張は、している。

 お買い物自体初めてのことだったし、こないだのようにエミール様に失礼なことをしてはいけないと思うと、いったいどう振る舞えばいいのか途方に暮れてしまう。

 本当は、お断りしたかった。
 やっぱり僕にはできません、と言いたかった。
 だけどユーリ様がせっかく僕のために手配してくれたのに、僕のワガママでそれを台無しにしたくはなかった。

 それに、僕には今日、ひとつだけ楽しみがある。

 行商人というのがどういうひとかわからないけれど、もしも僕の話を聞いてくれそうな様子だったら、ユーリ様に差し上げるものを選んでもらおうと思うのだ。
 自分ではなにが良くてなにがダメなのかわからないから、行商人さんと、それから……大丈夫そうならエミール様に相談して、ユーリ様のためのものを見繕ってもらいたかった。

 物を買うためにはお金というものが必要で、そのお金を稼ぐためにはお仕事をしないといけない。でも僕は一文無しだ。
 行商人を呼ぶというお話を聞いたときも、僕はお金のことが気になったのだけど、ユーリ様からはお金のことは気にしなくていいと言われていた。

「リヒトはいつも温室で花の世話をしてくれるからね。そのお給金がたくさん貯まってるんだよ。欲しい物はなんでも買えるぐらい貯まってるから気にせず使いなさい」

 そんなふうに説明を受けたけど、それだって本当のことかはわからない。
 僕の仕事は、料理を作ったり掃除をしたりする仕事と比べるときっと遥かに簡単なもので、それなのにお金が貯まってると言われるのは不思議だ。
 もしかしたら僕のお給料だけがものすごく高いのかもしれない。だから使用人のひとたちはなおのこと、僕のことが嫌いなのかもしれない。

「リヒト? 気が乗らないならいまから断ろうか?」

 ユーリ様が僕の口周りをナフキンで拭きながら問いかけてきた。
 僕は慌てて首を横に振って、
「いいえ。欲しいものがあるので」
 と答えた。

「なにが欲しいの?」
「わかりません。相談して、探します」
「相談?」
「エミール様と……その……」

 口ごもりながら僕は、そうだこの流れでユーリ様が欲しいものを聞き出せばいいんじゃないかと思い至った。

「ユーリ様。ユーリ様は、なにか、欲しいものがありますか」
「僕? 僕はリヒトが楽しんでくれるのがなによりだけど……そうだなぁ、う~ん、じゃあ、哺乳瓶があれば買っておいてくれるかい」
「はい!」

 意気揚々と返事をしてから、僕は、哺乳瓶? と内心首を傾げた。

 哺乳瓶ってあれかな?
 僕が昔、ユーリに拾っていただいて、二年間寝たきりで目が覚めてからもまだちゃんと起きれなかったりしたときに、ユーリ様がミルクや果実水を飲ませてくれた、あの容器のことかな。
 あの頃はまだこの国の言葉がよくわからなかったけど、確かそんな名前で呼んでいたように思う。

 なぜユーリ様がそのようなものを欲しがっているかはわからなかったけれど、僕はユーリ様の希望を絶対に叶えようと、握りこぶしを作った。
  
  


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

【完結】虐げられオメガ聖女なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました(異世界恋愛オメガバース)

美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!

成長を見守っていた王子様が結婚するので大人になったなとしみじみしていたら結婚相手が自分だった

みたこ
BL
年の離れた友人として接していた王子様となぜか結婚することになったおじさんの話です。

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

BL団地妻~淫乱人妻(♂)、濡れ濡れ内助の孔~

夕凪
BL
酔っぱらって眠る夫の隣で、夫の部下と×××…… AVっぽい話を書こうと思って始めたBL団地妻。 おととなななさんと同一世界観で書いているお話です。 男なのに「奥さん」で「団地妻」なおバカな設定ですので、なんでも許せるひと向けです。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

魔王討伐後に勇者の子を身篭ったので、逃げたけど結局勇者に捕まった。

柴傘
BL
勇者パーティーに属していた魔術師が勇者との子を身篭ったので逃走を図り失敗に終わるお話。 頭よわよわハッピーエンド、執着溺愛勇者×気弱臆病魔術師。 誰もが妊娠できる世界、勇者パーティーは皆仲良し。 さくっと読める短編です。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

処理中です...