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本編
第五十一話 真実の愛①
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イザベラは、レーガン伯爵家の一人娘だった。
他には子供に恵まれず、両親や双方の祖父母たちから大切に大切に育てられたイザベラは、ある時病を発症した。原因のわからない不治の病など、この世界では珍しくはない。医者とて万能ではないのだ。
ただの風邪のように始まった病だったが、気づけば症状は重くなり、いつしかベッドから起き上がることも叶わなくなった。
このままではイザベラは……、と誰もが迫りくる別れの予感に打ちひしがれた時。イザベラの両親は、藁にもすがる思いで頼った魔術師から、万物の病に効くという妖しい魔道具を手に入れた。そしてそれは絶大な効果を現し、イザベラは元の健康な身体を取り戻したのだった。
けれど、それが事の始まり。
ここからはクロムの推測が入るのだが、恐らくその魔道具の中には大昔に封印された魔女の魂が眠っていた。その魔女が死にかけていたイザベラの身体を手に入れたことにより、病が回復したように見えただけだったのだ。
イザベラが伯爵家の令嬢という身分を持っていたことは、魔女にとっては幸運だったに違いない。イザベラの身体を乗っ取った魔女は、あくまで“イザベラ”という貴族令嬢を装いつつ、かつて抱いた野望を再び胸に、まずはハインツへと近づいた。魅了の魔術を使ってハインツを誘惑した魔女は、ゆくゆくは王家を意のままに操るつもりだったのだろう。だが、そのために、魔女の中には一つの懸念があった。
それは、かつて自分を封印した憎き魔術師の末裔――、クロム。もはや古代魔術を扱える者はなく、唯一の遣い手であるクロムもかつての魔術師に比べればかなり力は衰えていた。とても魔女に対抗できるはずのないクロムなど、本当は放っておけばよかったのだ。けれどそれができなかったのは、胸の中に燻った憎き仇への怒りからだろう。もしかしたら、その仇にクロムがそっくりだということも、魔女の憎悪を大きくする要因だったのかもしれない。
そうして魔女は、ハインツの婚約者であったアリーチェに目を付けた。将来の王太子妃である邪魔なアリーチェをその座から引きずりおろし、さらに古代魔術道具研究家として名高いクロムの元へ行くよう上手く情報操作をして。
アリーチェに刻まれた呪いは、例えるならば細い糸のようなもので魔女に繋がっており、クロムへの監視も兼ねていたのだという。
さらに、アリーチェを通してクロムに攻撃を仕掛けることも可能だったと聞いた時にはぞっとした。アリーチェは知らず、クロムへの暗殺者として仕立て上げられていたのだ。もし、クロムによって呪いが抑え込まれていなかったなら、呪いに喰い殺された瞬間にアリーチェの身体は魔女のものとなり、クロムを殺していたに違いない。
魔女は、あの時アリーチェに向かって言っていた。
より良い器を見つけたのだと。
恐らくは、元々の器に魔力があるかないかで魔女が使える魔術の強さに多少の影響力があるのだろう。
ハインツとの婚約を解消させながら、すぐにその座に自分が収まらなかったのは、アリーチェの身体を手に入れた後に、婚約者として返り咲くことも想定に入れていたからかもしれない。全ては、憶測でしかないけれど。
クロムの話によれば、生に満ち溢れた人間の身体を乗っ取ることは、さすがの魔女とはいえ困難を極めるらしい。
イザベラは病死をする寸前だったため、すんなり手に入れることができたのだ。
そして、目を付けたアリーチェには呪いをかけ、少しずつ少しずつ生命を削り取ることにした。せっかくならば、クロムごと抹殺することを考えて。
とはいえ、本来肉体を手に入れるための一番の方法は、健康な身体を持つ人間の“心”を殺すことだという。
――心の死んだ、健康な肉体。
だから魔女は、アリーチェを騎士たちの慰み者にし、クロムの死を見せつけて絶望に追いやろうとしたのだ。人間とは理の異なる魔女にとって、肉体そのものが穢されることなどはどうでもいいのだろう。
「……貴殿は、古代魔術が使えるというのか」
魔女が消えたことによって洗脳が解けた王は、すぐに呼び出したクロムへと苦悩の表情を向けていた。
「……はい。ですが……」
「わかっている。それはここだけの話にした方がいいだろう」
打ちひしがれた様子で頭を抱えた国王は、認めたくない事実を認めたクロムへ、苦し気な吐息を吐き出した。
元々は聡明な国王だ。この時代に古代魔術を操る者がいるなど、あらぬ火種を呼ぶだけのただの危険分子にしかならないことをすぐに理解したのだろう。
だから、クロムのことは、このままなにも知らなかったことにすると。
「ご理解いただき、ありがとうございます」
国王の出した結論に、クロムもまた深々と頭を下げて同意した。
幼い頃から記憶力の良かったクロムは、物心つくより前に両親から聞かされた祖先の話を、今でもしっかり覚えているという。
かつてこの国にいたという大魔術師が、邪悪な“魔女”を魔道具に封じ込めたという、嘘か誠かわからない御伽噺のような古い武勇伝を。
半信半疑だったその話は、けれど、真実だったのだ。
「その妖しげな魔道具については、レーガン伯にすぐに献上するよう要請した。その後の処理については……、頼めるか」
「はい」
苦々しい表情で窺った国王からの頼み事を、クロムはあっさりと引き受ける。
なにも知らなかったこととはいえ、国家存亡の危機を導いたレーガン家の罪は重く、この後どんな処分を下すかは検討中だという。内容を表沙汰にできない以上、慎重に慎重を重ねてしまうのは当然のことだろう。
「なにからなにまで申し訳ない」
それがいつのことだかはわからないが、恐らくは遠い過去に古代遺跡に忍び込み、魔女の封印された魔道具と首飾りを盗み出した者がいるのだろう。首飾りと腕輪と耳飾りは、魔女の封印を強化する役目を担っていたのかもしれない。その中から魔女の封印された魔道具と首飾りだけが盗み出され、少しずつ少しずつ封印は弱くなっていた。“万物の病を治す魔道具”などという言葉は、それを売りつけた魔術師の嘘だったに違いない。だが、それはある意味現実のものとなり、魔女に身体を乗っ取られる形でイザベラは病から回復した。
全ては、不運が重なった結果。それでも。
「こたびのことは本当に、貴殿には申し訳ないことをした」
「いえ……、それは……」
全ての元凶は魔女であり、国王にはなんの責もない。
そして、この国と共に魔女が狙ったものはクロムの命だ。
それでも国を統べる者として頭を下げた国王へ、クロムは苦し気に首を横に振る。
「褒美はあとでゆっくり取らせよう」
「そんなものはいりません」
結果的に魔女を滅ぼし、国を救ったとしても、クロムはそれを自分の手柄だとは思わないのだろう。
そもそも魔女はクロムの命を狙っていた。だからそれに対抗しただけだと。
「だが、そんなわけにはいかぬだろう」
とはいえ、国を救ったことは確か。
クロムがいなければ今頃この国は魔女に乗っ取られていただろうと告げる国王へ、クロムは強い意思のこもった瞳を真っ直ぐ向ける。
「俺は、身分にも権力にも興味がありませんし、むしろ煩わしいだけです」
それは、“研究オタク”であるクロムの本音に違いない。
「ただ……」
が、そこでクロムからちら、と投げられた視線を感じたアリーチェは、「?」と不思議そうに首を傾けた。
「なんだ?」
「いえ……」
訝し気に眉を顰めた国王へ小さく首を振り、しばらく考え込む仕草を見せたクロムは、ややあってから真っ直ぐ国王の顔を見上げていた。
「そうですね。もし叶うならば、研究施設に常駐してくださる腕のいい料理人がほしいです」
アリーチェの代わりに。
「!」
クロムが国王に願った“褒美”の中身に、アリーチェは小さく目を見張る。
それは、アリーチェが研究施設に戻らないから、というわけではなく……。
――『俺の重たい愛を受け止めてください』
もしかしたら、クロム以外のことにアリーチェの時間を取られることが許せないのだろうかと思えば、じわじわとした羞恥に襲われる。
「……わかった。そんなことでいいのなら……」
「充分です。ありがとうございます」
小さく嘆息し、料理人の手配を了承した国王に、クロムは丁寧に頭を下げる。
そうして一通り王との話を終えたアリーチェとクロムは、謁見室を後にするのだった。
他には子供に恵まれず、両親や双方の祖父母たちから大切に大切に育てられたイザベラは、ある時病を発症した。原因のわからない不治の病など、この世界では珍しくはない。医者とて万能ではないのだ。
ただの風邪のように始まった病だったが、気づけば症状は重くなり、いつしかベッドから起き上がることも叶わなくなった。
このままではイザベラは……、と誰もが迫りくる別れの予感に打ちひしがれた時。イザベラの両親は、藁にもすがる思いで頼った魔術師から、万物の病に効くという妖しい魔道具を手に入れた。そしてそれは絶大な効果を現し、イザベラは元の健康な身体を取り戻したのだった。
けれど、それが事の始まり。
ここからはクロムの推測が入るのだが、恐らくその魔道具の中には大昔に封印された魔女の魂が眠っていた。その魔女が死にかけていたイザベラの身体を手に入れたことにより、病が回復したように見えただけだったのだ。
イザベラが伯爵家の令嬢という身分を持っていたことは、魔女にとっては幸運だったに違いない。イザベラの身体を乗っ取った魔女は、あくまで“イザベラ”という貴族令嬢を装いつつ、かつて抱いた野望を再び胸に、まずはハインツへと近づいた。魅了の魔術を使ってハインツを誘惑した魔女は、ゆくゆくは王家を意のままに操るつもりだったのだろう。だが、そのために、魔女の中には一つの懸念があった。
それは、かつて自分を封印した憎き魔術師の末裔――、クロム。もはや古代魔術を扱える者はなく、唯一の遣い手であるクロムもかつての魔術師に比べればかなり力は衰えていた。とても魔女に対抗できるはずのないクロムなど、本当は放っておけばよかったのだ。けれどそれができなかったのは、胸の中に燻った憎き仇への怒りからだろう。もしかしたら、その仇にクロムがそっくりだということも、魔女の憎悪を大きくする要因だったのかもしれない。
そうして魔女は、ハインツの婚約者であったアリーチェに目を付けた。将来の王太子妃である邪魔なアリーチェをその座から引きずりおろし、さらに古代魔術道具研究家として名高いクロムの元へ行くよう上手く情報操作をして。
アリーチェに刻まれた呪いは、例えるならば細い糸のようなもので魔女に繋がっており、クロムへの監視も兼ねていたのだという。
さらに、アリーチェを通してクロムに攻撃を仕掛けることも可能だったと聞いた時にはぞっとした。アリーチェは知らず、クロムへの暗殺者として仕立て上げられていたのだ。もし、クロムによって呪いが抑え込まれていなかったなら、呪いに喰い殺された瞬間にアリーチェの身体は魔女のものとなり、クロムを殺していたに違いない。
魔女は、あの時アリーチェに向かって言っていた。
より良い器を見つけたのだと。
恐らくは、元々の器に魔力があるかないかで魔女が使える魔術の強さに多少の影響力があるのだろう。
ハインツとの婚約を解消させながら、すぐにその座に自分が収まらなかったのは、アリーチェの身体を手に入れた後に、婚約者として返り咲くことも想定に入れていたからかもしれない。全ては、憶測でしかないけれど。
クロムの話によれば、生に満ち溢れた人間の身体を乗っ取ることは、さすがの魔女とはいえ困難を極めるらしい。
イザベラは病死をする寸前だったため、すんなり手に入れることができたのだ。
そして、目を付けたアリーチェには呪いをかけ、少しずつ少しずつ生命を削り取ることにした。せっかくならば、クロムごと抹殺することを考えて。
とはいえ、本来肉体を手に入れるための一番の方法は、健康な身体を持つ人間の“心”を殺すことだという。
――心の死んだ、健康な肉体。
だから魔女は、アリーチェを騎士たちの慰み者にし、クロムの死を見せつけて絶望に追いやろうとしたのだ。人間とは理の異なる魔女にとって、肉体そのものが穢されることなどはどうでもいいのだろう。
「……貴殿は、古代魔術が使えるというのか」
魔女が消えたことによって洗脳が解けた王は、すぐに呼び出したクロムへと苦悩の表情を向けていた。
「……はい。ですが……」
「わかっている。それはここだけの話にした方がいいだろう」
打ちひしがれた様子で頭を抱えた国王は、認めたくない事実を認めたクロムへ、苦し気な吐息を吐き出した。
元々は聡明な国王だ。この時代に古代魔術を操る者がいるなど、あらぬ火種を呼ぶだけのただの危険分子にしかならないことをすぐに理解したのだろう。
だから、クロムのことは、このままなにも知らなかったことにすると。
「ご理解いただき、ありがとうございます」
国王の出した結論に、クロムもまた深々と頭を下げて同意した。
幼い頃から記憶力の良かったクロムは、物心つくより前に両親から聞かされた祖先の話を、今でもしっかり覚えているという。
かつてこの国にいたという大魔術師が、邪悪な“魔女”を魔道具に封じ込めたという、嘘か誠かわからない御伽噺のような古い武勇伝を。
半信半疑だったその話は、けれど、真実だったのだ。
「その妖しげな魔道具については、レーガン伯にすぐに献上するよう要請した。その後の処理については……、頼めるか」
「はい」
苦々しい表情で窺った国王からの頼み事を、クロムはあっさりと引き受ける。
なにも知らなかったこととはいえ、国家存亡の危機を導いたレーガン家の罪は重く、この後どんな処分を下すかは検討中だという。内容を表沙汰にできない以上、慎重に慎重を重ねてしまうのは当然のことだろう。
「なにからなにまで申し訳ない」
それがいつのことだかはわからないが、恐らくは遠い過去に古代遺跡に忍び込み、魔女の封印された魔道具と首飾りを盗み出した者がいるのだろう。首飾りと腕輪と耳飾りは、魔女の封印を強化する役目を担っていたのかもしれない。その中から魔女の封印された魔道具と首飾りだけが盗み出され、少しずつ少しずつ封印は弱くなっていた。“万物の病を治す魔道具”などという言葉は、それを売りつけた魔術師の嘘だったに違いない。だが、それはある意味現実のものとなり、魔女に身体を乗っ取られる形でイザベラは病から回復した。
全ては、不運が重なった結果。それでも。
「こたびのことは本当に、貴殿には申し訳ないことをした」
「いえ……、それは……」
全ての元凶は魔女であり、国王にはなんの責もない。
そして、この国と共に魔女が狙ったものはクロムの命だ。
それでも国を統べる者として頭を下げた国王へ、クロムは苦し気に首を横に振る。
「褒美はあとでゆっくり取らせよう」
「そんなものはいりません」
結果的に魔女を滅ぼし、国を救ったとしても、クロムはそれを自分の手柄だとは思わないのだろう。
そもそも魔女はクロムの命を狙っていた。だからそれに対抗しただけだと。
「だが、そんなわけにはいかぬだろう」
とはいえ、国を救ったことは確か。
クロムがいなければ今頃この国は魔女に乗っ取られていただろうと告げる国王へ、クロムは強い意思のこもった瞳を真っ直ぐ向ける。
「俺は、身分にも権力にも興味がありませんし、むしろ煩わしいだけです」
それは、“研究オタク”であるクロムの本音に違いない。
「ただ……」
が、そこでクロムからちら、と投げられた視線を感じたアリーチェは、「?」と不思議そうに首を傾けた。
「なんだ?」
「いえ……」
訝し気に眉を顰めた国王へ小さく首を振り、しばらく考え込む仕草を見せたクロムは、ややあってから真っ直ぐ国王の顔を見上げていた。
「そうですね。もし叶うならば、研究施設に常駐してくださる腕のいい料理人がほしいです」
アリーチェの代わりに。
「!」
クロムが国王に願った“褒美”の中身に、アリーチェは小さく目を見張る。
それは、アリーチェが研究施設に戻らないから、というわけではなく……。
――『俺の重たい愛を受け止めてください』
もしかしたら、クロム以外のことにアリーチェの時間を取られることが許せないのだろうかと思えば、じわじわとした羞恥に襲われる。
「……わかった。そんなことでいいのなら……」
「充分です。ありがとうございます」
小さく嘆息し、料理人の手配を了承した国王に、クロムは丁寧に頭を下げる。
そうして一通り王との話を終えたアリーチェとクロムは、謁見室を後にするのだった。
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