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本編

第四十三話 手を取って⑤

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「……本性を現しましたね」
 最初から全てをわかっていたように呟いたクロムは、殺人人形と対峙した時にも手にしていた札を持って身構えた。
「クロム……ッ」
 その背中に、アリーチェはいっそ逃げることを提案する。
 相手は、国を乗っ取ろうとしている“魔女”。
 ならば、討伐するためには宮廷魔術師や騎士団などそれなりの国の機関が動くべきだ。
 だが。
「アリーチェさんは俺の傍から離れないでください」
「で、でも……っ」
 イザベラから鋭い目を離すことなく告げられた言葉に、アリーチェはどうしたらいいのかわからず揺れ動く瞳をクロムへ向ける。
「アレの目的の一つは貴女の身体を手に入れることのようですから、殺すような真似はしないかもしれませんが、だからといって痛い思いをするのは嫌でしょう?」
「っ」
 捕まれば、殺されるようなことはなくとも痛めつける程度のことは平気でするだろうと諭されて、びくっ、と身体が震えた。
 実際に、イザベラはアリーチェの肉体を欲しつつ、騎士たちの慰み者にしようとした。
 つまりは、生きた器さえあれば、その身体自体がどんな状態にあったとしても気にならないということなのだろうか。
「俺にとって一番厄介なのは、貴女を人質に取られることなので」
 クロムにとっては、殺されないから放っておいても大丈夫だという意識には繋がらない。
 アリーチェを人質に取られて痛めつけられるようなことがあれば、全面降伏するしかなくなってしまう。
 それに。
「いつ、気が変わるかもわかりませんし」
 アリーチェの肉体を手に入れたいと思っていても、すでにイザベラという器がある以上、最悪そのまま妥協してしまう可能性もなくもない。
「大人しく俺に守られていてください」
「っ」
 だからこのまま庇われていることを願われて、アリーチェがなにも言い返せずに言葉を吞み込んだ時。
「――っ!」
 イザベラが放った黒い雹のようなものに襲われて、札を手にしたクロムの腕が横一線にそれを薙ぎ払う。
「あぁ、口惜しや」
 姿こそイザベラであってイザベラでない存在ものが、わざとらしい嘆きを零す。
 イザベラの形をとっているというにも関わらず、全く違う生き物のように見えるのはなぜなのか。
「本当ならば、その女が他の男に犯され尽くす姿を見せてつけてやりたかったところだが、まぁ、仕方がない」
 アリーチェだけではなく、クロムにも地獄と絶望を見せてやりたかったのだと嘆きつつ、イザベラならぬ魔女は、クロムに向かって赤く染まった瞳を冷たく細めてみせる。
「少しばかりお主の力を見くびっていたようだ」
 それは、クロムが結界の張られた牢から逃げ出すことを想定していなかったための、まさかという溜め息か。
 だからこそ、アリーチェが閉じ込められていた塔には、その結界が張られていなかったのだろう。
「クロムに……っ、一体なんの恨みがあって……っ」
「アリーチェさん……っ」
 思わず突っかかってしまったアリーチェへ、前へ出ることを咎めるようなクロムの声が響き、黒い靄のようなものを手にしたイザベラが、くす、と可笑しそうに赤い唇を引き上げる。
「その男自身に恨みがあるわけではないが……」
「だったら……!」
 クロムになんの恨みも抱いていないというのなら、なぜクロムを殺そうとしているのだろう。
「ほんに、憎らしや。アレの末裔だからとここまで似ているとは、憎しみも倍増するものよ」
「……な、にを……」
 クロムを見つめる魔女の瞳は酷く冷たく、アリーチェはぞくりと身を震わせる。
「ほんに、わらわを封印したあの男にそっくりじゃ」
 今や失われてしまった古代魔術が存在していた時代。古き世で、魔女を封印したという人間。その魔術師にそっくりだというクロムの正体は。
ソレ・・はわらわを封印した魔術師の最後の末裔。ソレ・・があの男に瓜二つともなれば、わらわの憎しみも少しはわかるであろう」
「……え?」
 憎々し気に告げられて、アリーチェの思考回路は一瞬停止した。
「その男は、恐らく今世では唯一の古代魔術の遣い手じゃよ」
「――っ!」
 もはや使える者のいなくなった古代魔術。
 それを。
(……クロム、が……?)
「……そういうことです」
 呆然と時を止めるアリーチェへ、クロムが困ったように苦笑する。
「なので、アリーチェさんにかけられた呪いも、元をただせば全て俺のせいなんです。……っ!」
 魔女が手にした黒い靄が膨れ上がり、クロムの警戒心と緊張感も跳ね上がる。
「アレを再び封印することができる可能性を持つのは俺くらいなので……っ!」
 クロムを串刺しにしようとでもするかのように次から次へと湧いて出る黒い錐らしきものを一つ一つ壊しつつ、クロムの足はじわりじわりと後方へ下がっていく。
 つまりは、再び封印されることを恐れたからこそ、早々に危険分子を処分しようとしたということだろうか。
「こんなことになるのなら……っ、もっとたくさん用意しておくべきでしたね……っ」
 燃えるようにして手元から消えていく札へ、クロムはどこからともなく次の一枚を取り出しながら悔し気に表情を歪ませる。
「それ……?」
「俺の魔力を込めた呪符です……っ」
 今度は空から降るようにして落ちてくる黒い槍を見えない壁で中和して、クロムは荒くなった吐息をつく。
「昔、お遊びのつもりで作ったのですが……っ」
 空からの攻撃を防ぐ一方で、足元から突然突き上がってきた鞭のようなものを、札を持ったもう片方の手が霧散する。
「もう、ほとんど手持ちが……っ」
 また一つ札が消失し、クロムは悔し気に唇を噛み締める。
「! そんな……っ」
 一つ作るのに三日はかかるという呪符は、かつてクロムが実験のような気持ちで作った魔力貯蓄具なのだという。
 元々それほど作ってはいないが、それでも全て持ってきたはずの札はもう残り少なくなってしまったとクロムは焦りの色を見せる。
「もう、最後の手段を取るしかありません」
「!?」
 クロムの言う“最後の手段”とは。
 ――『相打ちが精一杯かと』
 嫌な約束が頭の中に甦り、アリーチェの背筋は凍り付く。
「まだ解析し終えてはいないので、一か八かの賭けですが……っ」
「い、いや……っ、クロム……!?」
 一体なにをしようというのだろう。
 ギリリと唇を噛み締めたクロムに不安と恐怖が湧き、アリーチェは嫌々と首を振る。
 まさか、命を賭けて。
 己の命を犠牲にして魔女に対抗しようというのだろうか。
「アリーチェさんは祈っていてください」
「なにを……っ」
 ちら、と投げられた視線に、心臓がドクリ……ッ、と大きく鳴った。
 そうして。
「!」
 やはりどこに隠し持っていたのか、クロムが手早く身に付けたものに、アリーチェの瞳は驚きで見張られた。
「……そ、れ……?」
 クロムの胸元で輝くのは、アリーチェを呪った首飾り。
 それから、左右の耳元と手首で同じ紅の輝きを見せるものは、古代遺跡から持ち出した二つの装飾品だった。
 虚空へなにか複雑な文様を描いたクロムはぶつぶつとなにかを呟いて、空から降り注いできた怒涛の黒い攻撃に向かって両手を突き出した。
 その直後。
「!?」
 衝撃を予想して身を竦ませたアリーチェの瞳に、その赤い輝きの中でも一層の輝きを見せるクロムの赤い双眸が映り込む。
 そうして。
「――っ!」
 二人の元まで届くことなく、はじめからなにもなかったかのように掻き消えた闇色に、魔女は驚愕に目を見開き、一方クロムは小さな安堵を吐き出した。
「……やっぱり」
 なにが起こったのか全くわからず、ただ茫然と虚空を眺めるアリーチェへ、クロムが少しだけ嬉しそうに苦笑する。
「未完成の呪とはいえ、きちんと反応してくれてよかったです」
 ほっとした吐息を落とすクロムの耳元・胸元・手首では、月の光を反射してか、美しすぎるほどの赤い魔石が輝いている。
「この魔具は、元々人を呪うためのものではないんです」
「……え……?」
 実は、と困ったような笑みを零したクロムに、アリーチェの瞳は呆然と瞬いた。
「この魔道具は、三つ揃って初めて効果を発揮する、魔力増幅具です」
「!」
 確かに、元々は儀式の際などに高貴な身分の者が身につけていたものだとクロムからの説明を受けていたことを思い出す。
「アレにはそこまでのことはわからなかったみたいですね」
 おかげで助かったというように小さな吐息を零すクロムに、アリーチェの瞳は揺らめいた。
 次から次へと明らかにされる情報が多すぎて頭の中が混乱気味だが、揃いの魔道具の正体・・に、緊張で胸がドキドキする。
「……それって……」
 アリーチェの解釈は、果たして合っているだろうか。
「魔女を倒せるかもしれない、ってこと?」
 どうかそうであってほしいという願いを込めてクロムを見つめた。
 アリーチェの目の前で美しく輝く三つの装飾品が魔力増幅具だというのなら、クロムが“敵わない”と言った魔女との実力差を埋めることができたりするのだろうか。
「そこまではやってみないとわかりませんが」
「っ」
 憎らし気にこちらを睨みつけてくる魔女を見据えたまま、淡々と返ってきたクロムの答えに、アリーチェはぐっと手を握り込む。
「お願いだから無理だけはしないで……っ」
 やってみなければわからない、ということは、可能性がある、ということだ。
 そして可能性がある以上、きっとクロムはこのまま魔女に挑むのだろう。
 けれどあくまで“可能性がある”というだけで、勝てる見込みがあるわけではない。
 ならば、アリーチェにできることは。
「信じてるから」
 ぎゅ、とクロムの背中に身を寄せて、泣きそうになりながら口を開く。
「お願いだから約束して」
 唇が震えて、言葉が上手く紡げない。
 この体温を失ってしまうかもしれない恐怖は消し去れず、それでもクロムを止められないことだけは理解する。
 だから、せめて、とアリーチェは願う。
「私が悲しむことだけはしないって」
「それは……」
 背中を通して困ったような声が響き、ぶわりと涙が溢れ出た。
 それと同時に自分では制御できない感情が溢れ出す。
「っ、好きなの……っ」
「――っ!」
 思わず突いて出た言葉に、クロムが息を呑む気配が伝わった。
 けれど、一度溢れた想いは止まらない。
「クロムのことが好きなの……!」
 こんな時に……、否、こんな時だからこそ自覚して、アリーチェの眦からは涙が伝い落ちていく。
 こうして一度クロムへの想いが形になれば、なぜ今まで気づかなかったのだろうと不思議に思う。
 魔力酔いなど関係なく、クロム以外に触れられたいなんて思わないのに。
 キスをされればあたたかな気持ちになって、もっと、と甘えたくなってしまうのも、全部、全部。
「……クロムが……、好き」
 このぬくもりを失いたくない。
 もっと触れてほしいと思うし、触れていたいと思う。
「だから……っ」
 アリーチェの解呪など、二の次で構わない。
 国の大事よりも、アリーチェにとってはクロムの方が大切だ。
 この人を失ってしまったら……、と考えるだけで身体が凍り付きそうになる。
「わかりました」
 少しだけ困り顔になったクロムが振り向いて、それでも赤い瞳が強く光った。
「約束します」
 クロムは、決して嘘は言わない。
「貴女の笑顔も守ってみせます」
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