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本編

第三十七話 引き離された手①

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 王宮の敷地内の一角には“嘆きの塔”なる建物が建っており、元々は罪を犯した王族などを生涯幽閉するために作られたものだという。
 部屋がいくつあるのかはわからないが、その、最上階に近い一室に。なぜか、アリーチェは勾留されていた。
(……一応は王太子の元婚約者という立場を考慮して……?)
 通常、王族でもないアリーチェがこんなところに収監されることはない。だが、ハインツと正式な婚約を結んでからは準王族のような扱いをされていたことは確かだ。もしかしたらその辺りを配慮してのことだろうかと首を捻りつつ、それよりも考えなければならないことがあると、唯一外の様子を見ることのできる小窓の向こうへ思いを馳せる。
 今は昼。天気は快晴。だが、薄い雲の流れる青色以外の景色を見ることは叶わない。
(クロム……、は……)
 アリーチェがここに囚われてから三日がたっている。王族を収監するための施設というだけはあり、アリーチェは衣食住を始めとした一通りの生活に困ることはないけれど、別の場所に連れて行かれたと思われるクロムについてはどうなのだろう。
 どこの国にも言えることだろうが、罪人に対する扱いは酷いものだ。
(……ご飯……、ちゃんと食べられているかしら……)
 暴力は振るわれていないだろうか。ベッドなどはないだろうから、硬く冷たい床の上でかけるものもなく眠っているのだろうか。そんな心配をしながらも、つい思い出してしまうのは、アリーチェがいつも食事を運んでいた横顔だ。
(……会いたい……)
 極自然と湧き上がった想いに、アリーチェの瞳はゆらりと揺れた。
 この二カ月弱。ほとんど離れることなくずっと傍にいた。
 無事でいるだろうか。今、なにをしているのだろうか。
 “天才”クロムのことだ。なんだかんだと周りを丸め込んで上手くやっていたり……、などと考えかけてアリーチェは首を振る。
 確かにクロムは“天才”だが、人間関係構築に関しては平凡以下だ。
(クロム……!)
 自分の今後よりも遥かにクロムのことの方が心配で、アリーチェは服の上からぐっと心臓の上辺りを握り締める。
 ――ギィ……ッ。
 と。
 その時、ふいにどこからか金属の動く鈍い音が聞こえ、アリーチェははっと顔を上げる。
 まだ、食事が運ばれてくる時間ではない。そして、監視の兵は棟の外にいるため、ここまで昇ってくることはない。
 ならば、誰がなんのために。アリーチェになんの用事があってやってくるのだろう。
(……な、に……?)
 胸がざわつき、ドクドクとした鼓動を打つ。
 硬い石の上を歩く二種類の足音が虚空に冷たく響き、アリーチェのいる部屋の前で止まると、鉄格子の嵌められた監視用の窓が開かれた。
「……っ」
 そして、恐る恐る鉄格子の外を確認したアリーチェの瞳に飛び込んできたのは。
「! ハインツ様」
 思ってもみなかった人物の姿に、アリーチェの瞳は大きく見開いた。
 さらには。
「……と、イザベラ、様……」
 当然のようにハインツに寄り添うイザベラへ、どうしてこんなところに来たのだろうという不審が強くなる。
 王太子であるハインツが、わざわざ罪人となったアリーチェに会いに来ること自体がまず考えられなかった。だが、元婚約者として、ということであれば、苦しい言い訳だがなくもない……、かもしれない。
 けれど、イザベラに関しては。
 まるでハインツの隣に立っていることが当然だという顔をしているイザベラだが、二人が婚約したという話は聞いていない。にも関わらず、二人が堂々と寄り添っていることを誰も不思議に思っていないことが不思議でならなかった。
 例え二人の婚約、結婚が確実なものだと周りが認めていたとしても、古代遺跡にまで同行し、今、こうしてここにいることはどう考えてもおかしなことだった。イザベラの立場を、ハインツの婚約者時代のアリーチェに置き換えてみても、そこまでのことはできないはずだった。
「アリーチェ様。御機嫌よう」
 赤い唇を引き上げて、イザベラがにこりと微笑んだ。
「……一体どうなさったのですか」
 裁判の日程が決まったとしても、この二人がそれを伝えに来るなどありえない。
(だったら、なに?)
 裁判と言えば、今頃マクラーゲン公爵家は大変なことになっているだろうなと考えて、ツキリと胸が痛んだ。娘大事な両親のことだ。王家を相手にしたとしても、きっと正面から闘う姿勢を見せるに違いない。
「まぁ。王太子殿下自らが足を運んでくださったというのに怖いお顔」
「……」
 わざとらしく口元を手で覆ってみせたイザベラには、本気で鋭い視線を向けてしまいそうになる。
 言動一つ一つが鼻につく感じがするのは、そもそもアリーチェがこんなことになった元凶相手だからだろうか。
 ハインツとの仲を見せつけるように一歩距離を縮めたイザベラは、咲き誇る黒薔薇を思わせるような笑顔を浮かべてゆっくりと口を開く。
「クロム・スピアーズの死刑執行が決まったので教えて差し上げた方がよろしいかと思いまして」
「っな……っ!?」
 予想外も予想外。と、いうよりも、まずありない決定に、アリーチェは愕然と目を見開いて絶句する。
 この国には司法というものがある。どんなに非道な罪人だとて、法廷での審議なしに刑に処されることはない。
 それが。
「イザベラは優しいな」
「そんな、ハインツ様こそ……」
 ハインツの口利きがあったからこそここに来ることができたのだと、イザベラは甘えた様子でその胸元に擦り寄った。ハインツはそんなイザベラの肩を軽く抱き寄せているが、目の前で甘い雰囲気に浸り出す二人の姿はもはや茶番にしか思えない。
 二人の間で交わされる会話からは、わざわざイザベラがこの件をアリーチェに伝えることを進言したらしいことが窺えたが、一体なにを考えているのだろう。
 確かにクロムの現状が知れることは有り難いが、なぜこんなことになっているのか意味がわからない。
 アリーチェが外界から遮断されていたこのたった三日の間に、一体なにが起こっていたというのだろう。
「クロムはなにも悪くないわ……っ! クロムは私のために……!」
 なぜ、突然処刑などという話になるのだろう。
 確かに王家管轄の敷地内への無断侵入は大きな罪だが、それだけで即死刑になるようなものではない。
 そもそもクロムがこんな強硬手段に出なければならなかったのは……、と考えて、アリーチェははっとなる。
「クロムの依頼主は私よ! つまりクロムの行動の責任は全て私にあるわ!」
 クロムは、アリーチェのために古代遺跡へ侵入した。それは、アリーチェにかけられた呪いを解くためだ。そして、クロムへ解呪を依頼したのは他でもないアリーチェだ。
 だから。
「悪いのは私よ……!」
 アリーチェに呪いをかけたのはこの二人だ。だが、悔しいかな、証拠もなにもない状況でそんなことを主張してもなんの解決にもなりはしない。むしろ名誉棄損で訴えられ、さらに立場が悪くなってしまう可能性すらある。
 だから、それはいい。悔しくて悔しくて堪らないけれど、今、彼らをその件で追及している場合ではない。
 けれど。
(私を排除したかったんじゃないの……?)
 真に想い合う二人が結ばれるために。イザベラを王太子妃にするために、アリーチェが邪魔だっただけではないのか。
(……呪いを解かれたら困るから……?)
 呪いが解けてしまったら、再びアリーチェがハインツの婚約者になってしまうかもしれないことを危惧して、ここまでのことをするのだろうか。
 ならば、アリーチェを断頭台に送ればいいだけのことだ。このまま解呪できなければどちらにせよ死ぬ運命なのだから、いっそアリーチェを刑に処せばいい。
 それなのに、なぜ。
 どうしてクロムを殺さなければならないのか。
 今後も数々の功績を期待されるクロムを失うことは、国にとっても大きな損害となるはずなのに。
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