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本編

第十二話 余命五日の初夜②

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 場所を移してここはクロムの部屋。
 生活に必要な最低限の調度品や物しか置かれていない小さな部屋は、座る場所と言えば必然的にベッドしかなく、そこに腰かけたアリーチェは、クロムがなにやら準備しているのをそわそわと見守っていた。
 床の上に直接置かれた数個の魔道具らしきものは、当然使用用途などはアリーチェにはさっぱりで、ただクロムの作業が終わるのを待つしかない。
 そうして。
「では、始めますね」
 一通り準備を終えたらしいクロムがベッドに腰かけたアリーチェの前に立ち、アリーチェはこくりと息を呑んで身構えた。
「っ、どうぞ……!」
 なにが起きても受け入れる覚悟で、身体を強張らせて目を瞑る。
「えと……、その……」
「っなによ……っ」
 困ったようなクロムの態度に、キ……ッ! と鋭い目を向けた。
「そこまで痛いことはしないので、そんなに硬くならな……」
「痛いことをするの!?」
 公爵家の令嬢として育てられたアリーチェは、厳しく躾けられはしても、身体に怪我など負わないよう細心の注意を払って生きてきたため、痛みというものにとても弱い。
「……はい……。少しだけ……」
「……っ」
 思わず責めるような声を上げれば申し訳なさそうに肯定され、アリーチェはひゅ……っ、と息を呑む。
 子供っぽいと笑われようが、嫌なものは嫌なのだ。
 例え少しだとしても、痛くされることが好きだと思う人間は変人だろう。
「本当にちょっとだけですから」
 そう言ってクロムが手にした見たこともない魔道具に、アリーチェはぎくりと怯えの色を見せる。
「な、なにをする気なの?」
 びくびくとしながらも、怖いもの見たさのようなものもあり、ついつい正体不明の魔道具に意識を向けてしまう。
 クロムの手に収まってしまう程度の小さな魔道具の正体は。
「この魔道具の細い先端を少しだけ身体に刺して、中にちょっとした液体を出させてもらうだけで……」
「なによそれ……っ!?」
 魔道具の先端についているものは、縫い物をする時の針にも似ているものだった。
 針を指に刺してしまった経験ならばないこともなかったが、それよりも太く見えるそれを身体に埋め込み、さらに液体を抽入するなど恐ろしくて堪らない。
 思わず涙目になりかけてしまうアリーチェへ、クロムはそれを手にしたまま淡々と口にする。
「俗に言う注射器です」
 見たことありませんか? と不思議そうに尋ねられ、自分の知識と記憶を総動員させて“注射器”なるものの正体を探ってみる。
 “注射器”という言葉そのものは、確かにどこかで聞き覚えのあるものだった。
(確か……、医療道具の一つ、だったかしら?)
 アリーチェをはじめ、マクラーゲン公爵家は家族一同健康体で、医者にかかるようなことは定期的な健康診断の時くらいのため、実物を見た記憶がアリーチェには薄かった。
 しかも、恐らくは、一般的に使われている医療用の注射器よりは遥かに華奢な作りをしているような気がした。
「ちょっとチクリ、とするだけですから」
 ぐずる子供を宥めるように迫られて、アリーチェは心なしクロムから距離を取る。
「……な、なにが入っているの……?」
 なんとかその時・・・を引き延ばしたくて往生際悪く尋ねれば、クロムの眉間には皺が寄った。
「……言ってもわからないと思いますけど」
 詳しい成分などの説明は省き、ただ古代魔道具で精製した薬みたいなものだと告げてきたクロムに、アリーチェは縋るように潤んだ上目遣いを向ける。
「飲むのじゃダメなの……?」
 身体の中に取り入れる必要があるというのなら、液体を飲み干すのではダメなのだろうか。
「それでもいいですけど……。吐き出さないでくださいね?」
「……う……」
 どうやらとても飲めたものではないほど酷い味がするらしい。
 顰め面で「全部飲めるのならば」と肯定され、アリーチェは反論の言葉を失った。
 腕にチクリと刺さる数秒間の痛みか、はたまたとても飲めたものではないそれを口にするか。
「わ、わかったわ……!」
 どちらも究極の選択には違いないが、“飲む”という選択肢があってさえ注射を選んだクロムの答えを信じ、アリーチェは覚悟を決めた。
「するなら早くしてちょうだい……!」
 こうなれば、一瞬でも早く終わらせてしまいたい。
 自分の身体に針が刺さる場面など見ていられるはずもなく、ぎゅっと目を瞑れば「じゃあ失礼しますね……」とクロムがアリーチェの腕を取ってきてびくりと身体が震えた。
(嫌――!)
 縫い物用の針を誤って指に刺してしまった時はどんな感じだっただろうか。
 一瞬の痛みが走った後、ぷっくりと赤い血が浮かんできて……。
(怖い怖い怖い怖い……!)
 そんな想像をしているうちに夜着の肩口を下げられて、ちくり、という痛みが走った。
(ひ……っ)
 縫い物をしている時であれば痛みは一瞬だが、今回は液体を抽入する時間もある。
(早く終わって……っ!)
 それだけを祈って、心の中で「一、二、三、四……」とゆっくり数を数えてみる。
 そうして何秒たった頃だろうか。
「……っいた……!」
 針が引き抜かれる感覚に痛みを覚え、アリーチェは思わず声を洩らしてしまっていた。
「……お……、わり……?」
 恐怖の時間はこれで終わったのかと、安堵の吐息をついて脱力する。
 だが。
「そうしたら次に……」
「まだあるの!?」
 サイドテーブルの上に注射器を置いたクロムが次の準備を始める姿に、アリーチェは驚きの目を向ける。
「まだ始めたばかりです」
 平淡な喋り方はいつも通りだが、そこに少しばかり呆れの色が見える気がするのは、きっと被害妄想だ。
 が。
「なんでもいいので、体液をもらえませんか?」
「……へ?」
 至極真面目な顔で口にされた要求に、アリーチェの目は点になる。
(……今……、“体液”って言った……?)
 聞き間違いだろうか。
「前々からお願いしようと思っていてできずにいたんです。体液を分析することでわかることって、実はかなり多くて」
「……」
 どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「たい、えき……」
 体液、というとあれだろうか。
「汗でも唾液でも血でもなんでもいいんですけど」
 そのどれもが普通であればとても提供などしたくないもので、アリーチェは表面上は表情を固めたまま、内心では顔を引き攣らせてしまう。
「ちょうどいいので、こちらの血液を採取させてもらっても?」
「……ど、どうぞ……」
 ここまで来れば自棄やけだ。
 先ほど針を抜いた場所からぷっくり浮き出た血液を指し示すクロムへ、アリーチェは小さく同意する。
 そんな、たった一滴二滴程度でよければ、この機会に採取すればいい。どうせ布で拭き取られて捨てられる運命だ。
(……もう、どうにでもして……)
 ご丁寧にも、スポイトのようなものを使って透明な液体入りの小さなガラス瓶へ血液を落としているクロムの姿に、頭が痛くなってくる。
 クロムの言っていることはわかるような気がするが、とても理解はできそうにない。
(これだから“天才”は……!)
 よくわからない憤りを感じながらされるがままにしていると、そこでふいにクロムが動きを止めた。
「……な、なに……?」
 こちらを観察するかのような無感動な瞳に、じ、と見つめられてギクリとする。
 次は一体なにをされるのだろう。
「……すみません。ちょっと失礼しますね」
 形だけの許可を求めたクロムは、思わず身を引きかけたアリーチェに構わず、まだうっすらと血の滲む柔らかく白い腕を手に取った。
「え……?」
 腕を持ち上げて近づいてくるクロムの顔に、アリーチェの瞳はなにをする気だろうと瞬いた。
 ――の瞬間。
「!? ……な……っ!?」
 ペロリ、と這わされた舌先に、アリーチェは驚きのあまり言葉を失っていた。
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