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本編
第十話 余命十日の抱き枕②
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そしてその夜のこと。
「少し効率が落ちてきたような気がするので、さすがに今日は自室で横になろうかと思うのですが」
座り心地の良い椅子を運び込み、クロムの研究机の傍でうつらうつらとうたた寝をしていたアリーチェは、そこでハッと意識を取り戻していた。
基本的にクロムは、研究室のソファで仮眠を取るくらいでほとんど寝ずに作業に没頭している。
それだけ頭を働かせていれば脳が疲れるのは当然で、きちんとした睡眠を取った方が効率は上がるというものだが、アリーチェは今までクロムが研究室以外にいる姿をほとんど見たことがない。
一刻も早く呪いを解いてほしいと思う気持ちは本音だが、さすがに研究オタクのクロム自身からそんな言葉を聞いてしまえば、たまにはきちんとした睡眠を取った方がいいと思ってしまう程度には、クロムの日常生活は常軌を逸している。
人間は寝る生き物だ。
いつだったか、人間は絶食するよりも寝ずにいる方が早く死ぬと聞いたことがある。
「だったら……」
自分も借りている客室に戻ろうと、生あくびを噛み殺しつつアリーチェが腰を上げかけた時。
「一緒に来てもらえますか?」
真顔で声をかけられて、寝ぼけていたアリーチェの脳は一気に覚醒した。
「……は?」
「一緒に寝てください」
「……はぁ!?」
この男は、一体なにを言っているのだろう。
まさか一人寝ができない体質だとでも言うのだろうかと、アリーチェはクロムへ白黒する瞳を向ける。
不思議と、不埒な考えは一切浮かんでこなかった。
なにせ、相手は研究が恋人と言っても過言ではない変人だ。
今まで研究室で何度二人きりになろうとも、アリーチェなどいないかのように研究に没頭し続けていた男なのだ。そういう心配は全くしていない。
……なんとなく、女として魅力がないのかと、少しばかりもやりとした気持ちが湧かなくもなかったが、そんなことには蓋をする。
では、“一緒に寝る”とは具体的になにを意味するのだろう。
「なにを言って……?」
「寝ている時に突然閃くこともあるので」
「……」
夢の中で。と、酷くあっさり告げられて、アリーチェは思わず無言になった。
(……この人、夢の中でまで研究をしているの……?)
一体どこまで研究馬鹿なのだろう。
閃けばすぐに臨床実験をしなければ気が済まない。
クロムがそういう性格であることを、アリーチェはこの半月でよく理解していた。
万が一にも本当に夢の中でなにか閃けば、アリーチェが熟睡していようが構わず叩き起こされるに違いない。
「……わかったわ……」
これは、自分の命に係わる超重要任務。渋々と腹を括ったアリーチェは、それでも初めて入ったクロムの簡素な私室に小さなベッドが一つしかない事実を前にして、綺麗な顔を引き攣らせることになるのだった。
༓࿇༓ ༓࿇༓ ༓࿇༓
吐息がかかるほどの至近距離で無防備な寝顔を晒しているアリーチェを見下ろして、クロムはつい先ほどこの少女と交わした会話を思い出していた。
『ここで貴方と一緒に寝ろ、って!?』
『ベッドが一つしかないんですから仕方がないでしょう』
『そういう問題……っ』
『ベッドが二つあった方がおかしいでしょう』
“一緒に寝る”ことに対して一体どういう想像をしていたのかと理論詰めで問いかければ、アリーチェは悔しそうにぐっと言葉を呑み込んだ。
ここで自分が床で寝るだとか、クロムに床で寝ろと言い出さないところがなんとも彼女らしくて、ついついらしくもない笑みが零れそうになってしまった。
『俺は軽くシャワーを浴びてきますから。気にせず先に寝ていてください』
そう言って一度部屋を後にして戻ってくれば、逃げ出すこともせずにクロムのベッドの中ですうすうと寝息を立てているアリーチェの姿があって、無意識に眉間に皺が寄ってしまっていた。
――素直すぎる。
と、いうよりも。
『……さすがにちょっと無防備すぎじゃないですか……?』
自分も寝るべく布団を捲れば、その拍子に空気が入って肌寒さを感じたのか、アリーチェの身体は少しだけ丸くなる。
ベッドに乗り上げれば、キシリ……ッ、というスプリングの音が鳴った。
『俺も一応は男、ですよ……?』
アリーチェの隣に潜り込みながら、つい目の前の耳に囁きかけ――……。
「食べられてしまったらどうするんですか」
「……」
もちろん、すでに夢の中にいるアリーチェから答えが返ってくることはない。
クロムは小さく肩を落とし、アリーチェを腕の中に抱き締めると目を閉じて。
「……お前の狙いは、この子か」
ふいにしっかりと目を開けたクロムは、誰もいない暗い虚空に向かって問いかけた。
そこには、禍々しい力を感じさせる、誰にも見えない黒い影があった。
「それとも……」
その影は、まさか気づかれるとは思っていなかったのか、ぎくりと警戒するかのような動きを見せた。
「彼女に手を出すな」
ある一点を鋭く睨み付ければ、黒い影はすごすごと逃げ出すように移動する。
「消えろ」
それは、音なき断末魔を上げて掻き消えた。
後にはただ、アリーチェの無防備な寝息が聞こえるのみ。
そうして次の日の朝。
うっすらと目を開けたアリーチェは、自分が抱き枕のようにクロムの腕の中に抱き込まれていることに気づいて、ついその身体をベッドの下に蹴り落としてしまっていた。
「少し効率が落ちてきたような気がするので、さすがに今日は自室で横になろうかと思うのですが」
座り心地の良い椅子を運び込み、クロムの研究机の傍でうつらうつらとうたた寝をしていたアリーチェは、そこでハッと意識を取り戻していた。
基本的にクロムは、研究室のソファで仮眠を取るくらいでほとんど寝ずに作業に没頭している。
それだけ頭を働かせていれば脳が疲れるのは当然で、きちんとした睡眠を取った方が効率は上がるというものだが、アリーチェは今までクロムが研究室以外にいる姿をほとんど見たことがない。
一刻も早く呪いを解いてほしいと思う気持ちは本音だが、さすがに研究オタクのクロム自身からそんな言葉を聞いてしまえば、たまにはきちんとした睡眠を取った方がいいと思ってしまう程度には、クロムの日常生活は常軌を逸している。
人間は寝る生き物だ。
いつだったか、人間は絶食するよりも寝ずにいる方が早く死ぬと聞いたことがある。
「だったら……」
自分も借りている客室に戻ろうと、生あくびを噛み殺しつつアリーチェが腰を上げかけた時。
「一緒に来てもらえますか?」
真顔で声をかけられて、寝ぼけていたアリーチェの脳は一気に覚醒した。
「……は?」
「一緒に寝てください」
「……はぁ!?」
この男は、一体なにを言っているのだろう。
まさか一人寝ができない体質だとでも言うのだろうかと、アリーチェはクロムへ白黒する瞳を向ける。
不思議と、不埒な考えは一切浮かんでこなかった。
なにせ、相手は研究が恋人と言っても過言ではない変人だ。
今まで研究室で何度二人きりになろうとも、アリーチェなどいないかのように研究に没頭し続けていた男なのだ。そういう心配は全くしていない。
……なんとなく、女として魅力がないのかと、少しばかりもやりとした気持ちが湧かなくもなかったが、そんなことには蓋をする。
では、“一緒に寝る”とは具体的になにを意味するのだろう。
「なにを言って……?」
「寝ている時に突然閃くこともあるので」
「……」
夢の中で。と、酷くあっさり告げられて、アリーチェは思わず無言になった。
(……この人、夢の中でまで研究をしているの……?)
一体どこまで研究馬鹿なのだろう。
閃けばすぐに臨床実験をしなければ気が済まない。
クロムがそういう性格であることを、アリーチェはこの半月でよく理解していた。
万が一にも本当に夢の中でなにか閃けば、アリーチェが熟睡していようが構わず叩き起こされるに違いない。
「……わかったわ……」
これは、自分の命に係わる超重要任務。渋々と腹を括ったアリーチェは、それでも初めて入ったクロムの簡素な私室に小さなベッドが一つしかない事実を前にして、綺麗な顔を引き攣らせることになるのだった。
༓࿇༓ ༓࿇༓ ༓࿇༓
吐息がかかるほどの至近距離で無防備な寝顔を晒しているアリーチェを見下ろして、クロムはつい先ほどこの少女と交わした会話を思い出していた。
『ここで貴方と一緒に寝ろ、って!?』
『ベッドが一つしかないんですから仕方がないでしょう』
『そういう問題……っ』
『ベッドが二つあった方がおかしいでしょう』
“一緒に寝る”ことに対して一体どういう想像をしていたのかと理論詰めで問いかければ、アリーチェは悔しそうにぐっと言葉を呑み込んだ。
ここで自分が床で寝るだとか、クロムに床で寝ろと言い出さないところがなんとも彼女らしくて、ついついらしくもない笑みが零れそうになってしまった。
『俺は軽くシャワーを浴びてきますから。気にせず先に寝ていてください』
そう言って一度部屋を後にして戻ってくれば、逃げ出すこともせずにクロムのベッドの中ですうすうと寝息を立てているアリーチェの姿があって、無意識に眉間に皺が寄ってしまっていた。
――素直すぎる。
と、いうよりも。
『……さすがにちょっと無防備すぎじゃないですか……?』
自分も寝るべく布団を捲れば、その拍子に空気が入って肌寒さを感じたのか、アリーチェの身体は少しだけ丸くなる。
ベッドに乗り上げれば、キシリ……ッ、というスプリングの音が鳴った。
『俺も一応は男、ですよ……?』
アリーチェの隣に潜り込みながら、つい目の前の耳に囁きかけ――……。
「食べられてしまったらどうするんですか」
「……」
もちろん、すでに夢の中にいるアリーチェから答えが返ってくることはない。
クロムは小さく肩を落とし、アリーチェを腕の中に抱き締めると目を閉じて。
「……お前の狙いは、この子か」
ふいにしっかりと目を開けたクロムは、誰もいない暗い虚空に向かって問いかけた。
そこには、禍々しい力を感じさせる、誰にも見えない黒い影があった。
「それとも……」
その影は、まさか気づかれるとは思っていなかったのか、ぎくりと警戒するかのような動きを見せた。
「彼女に手を出すな」
ある一点を鋭く睨み付ければ、黒い影はすごすごと逃げ出すように移動する。
「消えろ」
それは、音なき断末魔を上げて掻き消えた。
後にはただ、アリーチェの無防備な寝息が聞こえるのみ。
そうして次の日の朝。
うっすらと目を開けたアリーチェは、自分が抱き枕のようにクロムの腕の中に抱き込まれていることに気づいて、ついその身体をベッドの下に蹴り落としてしまっていた。
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