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本編

第八話 余命十五日の平手打ち

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 二週間がたった。
 この頃になるとさすがのアリーチェも少しばかり不安に駆られないでもなかったが、胸元の文様以外に呪いの実感があまりない為と、相変わらずの周りの能天気さ。そしてなによりもクロムが全く焦りを見せていないことから、驚くほど普通・・の生活ができていた。
「……あの……、クロム……?」
 今日も今日とて雛鳥に餌を与える母鳥の如くクロムの口元にちぎったパンを運びながら、アリーチェはいい加減自分で食べてもらえないものだろうかと、意外にも整ったその横顔を窺った。
 だが。
「……ん~~?」
 なにをしているのかアリーチェには皆目見当もつかないが、魔道具らしきもので呪いを解析しようとしているらしいクロムは悩まし気に眉を寄せ、手元の赤い宝石を真剣に見つめ続けたまま。
 魔道具と宝石の反応を窺うようにしばらく手元を凝視して、酷くゆっくりと咀嚼したパンをゴクリと飲み下してから数秒後。
「……あ? なんですか?」
 やっと気づいたかのように顔を上げたクロムに、アリーチェはがっくりと脱力してしまっていた。
「……なんでもないわ」
 こんなやり取りももはや何度目だろうか。
 まるで幼い子供のように食べさせてもらっていることを、クロムは恥ずかしいともなんとも思っていないらしい。クロムにとっては研究が一番。他のことは本気でどうでもいいらしかった。
 恐らくは、本気でこの状況を楽だと思っているに違いない。
(いつまでこんなことを……!)
 羞恥やら怒りやら、自分でもよくわからない感情で内心身体を震わせながら、アリーチェはスープを掬ったスプーンをクロムの口元へ持っていく。
 もはや条件反射のように口を開けて与えられたものを咀嚼するクロムからは、美味しいとも不味いとも言われたことはない。どうやら猫舌らしく、最初の頃に「熱……っ!」と声を上げたくらいで、あとは本当に無反応だ。
(今度、激辛料理でも作ってやろうかしら)
 なにを口にしても一切表情を変えないクロムに、思わずそんなことを考えてしまう。一日の中で一緒にいる時間はかなり長いというのに、会話らしい会話をしたことがあっただろうか。こうして手作り料理を直接食べさせているにも関わらず、未だにクロムの好き嫌いもわからない。
(……嫌いなものがなくたって、好きな食べ物くらい……)
 クロムのことだ。食べられればなんでもいいくらいの感覚なのかもしれないが、好き嫌いのない人間にも“好みの食べ物”の一つや二つくらい普通あるだろう。
(……好きな食べ物がわかれば作るのに……)
 なにを作ればクロムの関心をこちらに向けられるだろうか。
 パンの最後の一欠片を咀嚼しているクロムをぼんやりと眺めながらそんなことを考える。
 別段料理が得意なわけでも好きだと思ったこともなかったが、研究員たちのあの喜びようを見ると悪い気はしなかった。むしろ、なんだかくすぐったい気持ちにさせられて。
(っち、違うわよ!? これは、呪いの解析をできるだけ円滑にさせるために……!)
 先ほど激辛料理を作ってやろうかと考えたことは棚に上げ、アリーチェは心の中でふるふると首を振る。
 人間、美味しいものを食べる行為は、志気を促進させる効能があると思うのだ。
 だから、ひいては全て解呪のため。アリーチェのためになるからに違いない。
 決して、「美味しい」と喜ぶクロムの姿を見てみたいからではなく。
(研究オタクのくせに……!)
 残り少なくなったスープを片手に、よくわからない八つ当たりで肩を震わせる。
 どこからどう見ても野暮ったいダサ男にも関わらず、よくよく見ると妙に整ったその顔は世の中に謝れと言いたくなる。
 自分の見た目などどうでもいいと思っている研究オタクに、その顔は宝の持ち腐れだろう。
(……まぁ、部屋の中は案外綺麗に片付けられているけれど……)
 どこになにが置いてあるかわからない状態は効率を悪くするだけだと、意外にも研究施設内は整然と片付けられている。
 研究に没頭しているためか、妙に食べる速度が遅いクロムがスープの具を咀嚼している間に、アリーチェは改めて室内を見回した。
 広い研究室の壁の一面は上から下まで専門書らしきもので埋められており、また別の一面は等間隔で作られた棚の上に魔法薬やら乾燥させた薬草らしきものやらが並べられている。大きな暖炉の横には引き出しのみの棚があり、厳重に管理されているのか一つ一つ鍵まで付けられている。
 最後の一面にはたくさんの植木鉢に囲まれた大きな窓があり、魔法植物と思われるものが育てられていた。
 そしてそんな部屋の中央にいくつか置かれた机の一つが、クロム専用の研究机だった。
(……なにが書いてあるのかさっぱりだわ)
 また一掬いスプーンを差し出しながら、机の上に広げられている紙に視線を落とす。そこにはなにやら数式らしきものが羅列されていたが、アリーチェには全く理解できなかった。
(魔術の勉強も成績はそれなりに良かったのだけれど……)
 アリーチェにも魔力というものはあるらしく、魔術学を学んだ結果、それなりの知識と初歩的な魔術を扱うくらいはできるようになっていた。
 だが、元々魔術そのものが衰退してしまった世界では、王宮付きの高位魔術師でさえ、馬一頭を燃やし尽くすことができる程度の火炎球を生み出すくらいがせいぜいだ。それでも彼らが重宝されるのは、治癒力を上げる魔術を習得していたり、過去に作られた魔道具を扱えるからという理由が大きかった。
 魔力を持つ者が少なくなり、魔術も衰退してしまった今。新たな魔道具が作られることはもはやない。魔力がなければそもそも魔道具を扱うこともできないため、それだけで彼らは貴重な存在だ。
(……まさか、古代魔術文字、とか?)
 元々魔術に関する文字自体が複雑で難解だ。知識だけを詰め込んだアリーチェの頭でっかちな理解では、“天才”クロムが書き殴る数式を読み解けるはずもない。それでも思わずそんなことを思ってしまうのは、彼が他でもない古代魔道具研究の第一人者だからだ。
 クロムが研究・解析する分野の中には、古代魔術文字も含まれている。長い歴史の中で誰一人として読み解くことのできなかった、もはや解析不能と言われている古代魔術文字だが、なぜだか彼であれば読めてしまえるかもしれないと思うのは、アリーチェの感覚が麻痺してしまっているからだろうか。
 今まで使用用途が不明だった数々の魔道具を、クロムは数年で次から次へと解き明かしていった。
 恐らくは、今クロムの机の上に並べられているなんだかよくわからない魔道具たちも、例の宝石を分析するための古代魔道具に違いない。一体なんのためにどのように使われているのか、アリーチェにはさっぱりだけれど。
(……クロム自身に魔力はない……、のよね……?)
 古代魔道具の最大の利点は、魔力がなくとも使い方さえわかれば誰にでも扱えるという特徴にあった。
 魔道具の内部に魔石が埋め込まれており、定められた動作をするだけで動かすことができるのだ。
 魔道具研究の第一人者として有名なクロムだが、クロム自身が魔術を扱えるという話を聞いたことはない。魔術の適性がないからこそ、魔術を使うことに憧れて研究を始めた、などというきっかけがあってもおかしくないかもしれない。
 ちなみに、アリーチェの魔術力は、と言えば、指先に小さな光を灯せる程度の、なんの役にも立たない超初級魔術レベルだ。
「……はい。最後のデザート」
 相変わらず一言の会話もないまま隣から指で摘まんだ葡萄を差し出せば、クロムはぱくりとそれに食いついた。
 その瞬間。
「……あ……っ」
 指ごと口に含まれて、アリーチェは驚愕に目を見開いていた。
「……え?」
 葡萄を口に含んで離れたクロムは、己がしたことに気づいていなくとも、思いの他大きな反応をしてしまったアリーチェには気づいたらしく、不思議そうな目を向けてくる。
 横着をしてフォークを使わなかったアリーチェに問題がなかったとは言わないが、無意識に人の指まで口に含んでしまうクロムもクロムだ。いくら手元の解析に没頭しているとはいえ、注意が足りなさすぎる……、というよりも注意をしなさすぎだ。
 これなら釘や画鋲を口元に持っていっても食べてしまいそうだ。
「……今……っ! 指、を……! 人の指まで……っ!}
 なんだか物凄い羞恥を感じ、真っ赤になって訴えるアリーチェに、きょとん、と目を丸くしたクロムは、そこでなんとなく事態を理解したらしく「あぁ」と納得の吐息を洩らす。
「失礼しました」
「!」
 なんでもないことのようにあっさりと謝られ、恥ずかしがっているこちらの方がおかしいようなクロムの態度に、さらに顔が熱を持つ。
(指……っ! 食べられ……っ!?)
 そこまで大袈裟なものではないが、アリーチェにとっては衝撃だ。
 指先を柔らかな唇に食まれた感覚は、妙に生々しくアリーチェの中に残っている。
 そして意識してしまえば、葡萄を口にしたことで瑞々しく艶めく唇が色っぽくてドキリとする。
(なにドキドキしてるのよ……!)
 動揺しているのがアリーチェだけともなれば自意識過剰のようで、アリーチェは懸命に心音を抑えようと自分自身へ訴える。
(私はただの給仕係……!)
 だが、そんなふうに焦るアリーチェの一方で、黙々と作業に戻ったクロムはなにやら眉間に皺を寄せて悩まし気な呟きを洩らす。
「ん~……。この波動、なんか引っかかるんだよなぁ……」
 アリーチェに対しては丁寧語を崩さないクロムだが、さすがに独り言まではそうではないらしい。
「どこかで似たような波形を見たことがあるような……」
「……」
 あくまで見た目だけは顕微鏡に似たなにかを覗き込みながらぶつぶつと呟いているクロムの横で、アリーチェは無言に戻る。
 今までもこうして研究に没頭するクロムの姿を見てきたが、独り言とは珍しい。
 クロムにとって、よほど悩ましいことがあるようだった。
「ん~~?」
 ますます顔を顰めて考え込むクロムに、アリーチェは一度席を外そうかと考える。
 研究に没頭するあまり、基本的に机に向かっている時は他のことがなにも見えなくなるらしいクロムは、どんなにアリーチェが手元を覗き込んで凝視していても集中力を欠くことはないが、アリーチェが傍にいる意味もない。
 それならば空になった食器を片づけてしまおうかとアリーチェが席を立ちかけた時。
「……あぁ、そうか。もしかしたら」
 なにやら活路を見出したらしいクロムの呟きに、アリーチェは思わず振り返る。
 そうして。
「――……っ!?」
 中途半端に立ちかけていた体勢のせいで、クロムの視線の高さにはちょうどアリーチェの胸元が晒されていた。
 その、ドレスの胸元を。
「な……っ!? ななな……、な、ん……っ!?」
 ぐい、と。なんの前置きもなく下に下ろされ、アリーチェはあまりの衝撃に真っ赤になって言葉を失った。
「ちょっと黙ってじっとしてて」
 女性の胸元を覗き込みながら、クロムの瞳は真剣そのものだ。
 もはや呪いの刻印を確認することしか頭にないらしいクロムは、いつもの丁寧語すら忘れている。
「ちょ……っ」
 思わず上げかけたアリーチェの制止の声さえ耳に届かず、胸の膨らみの間へさらに顔を近づけたクロムはじ……、と呪いの文様を凝視して、次に珍しくも弾んだ声を上げる。
「! なるほど! とするならば……」
 一歩、解呪に近づいたらしい。
 だが。
「……変態……っ!」
 わなわなと身体を震わせたアリーチェは、堪らずクロムの顔へ平手打ちをお見舞いしてしまっていたのだった。
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