上 下
10 / 39

Ⅸ.The Hermit

しおりを挟む
 次の日の夜。
 戻ったセスクを玄関まで出迎えに来てくれた少女の顔色はとても良くなっていた。
 大体にして、昨夜はあんなこと・・・・・ができるくらいにまでに回復していたのだから、男の手元に留まらず、自分の傍へ来て欲しかったというのがセスクの本音だ。

 ――嫉妬と憎悪と、それ以上の自分の不甲斐なさに対する悔しさで、おかしくなってしまいそうだ。

「もう大丈夫なの?」
「うん。心配かけてごめんなさい」

 楚々としてセスクに付き従う少女は、本当に妻のように献身的で。
 手渡された上着を皺がつかないようハンガーにかける姿をみつめながら、セスクは唇を噛み締める。

「……昨日の夜は……」
「え?」

 自分は、一体なにを口にしようとしているのだろう。
 刹那、ギクリと少女の肩が強張ったのがわかってしまい、セスクは慌てて苦笑いを貼り付ける。

「……ううん。会えなくて寂しかったなぁ、って」
「! 私も………」

 そうして「ただいま」と「おかえりなさい」のキスをすれば、少女は嬉しそうにはにかんだ。

「もっとして?」
「……キス、好きなの?」
「……貴方とするキスは好き」
「……そっ、か……」

 恥じらいをみせる少女の告白に、それだけで気分が上がっていくのだから、現金なことこの上ない。

「んっ、ん……っ」

 ついついお互いの熱を交じり合わせる深いものになってしまい、離れた互いの唇から透明な糸が引く様に、ぞくりと背筋が痺れる心地がした。
 仄かに熱が籠った吐息を吐き出す少女の表情は酷く扇情的で、理性を総動員させることにかなりの労力を強いられる。

「……ねぇ、話してくれる?」

 華奢なその肩に手を置いて、真剣な顔でその大きな瞳を覗き込む。

「え?」
「……これまでずっと、アイツ・・・に良い様に利用されてたんじゃないの?」

 話したくないならば話さなくてもいいと思っていた。
 もし、好きでもない男たちに身体を自由にさせていた過去があったとして、それを正直に口にすることは苦痛だろうと思ったから。
 けれど。

――『本当に抱いていないんですか』
――『言わなかったですか?男に抱かれないと正気を保てなくなる淫乱な身体だと』

 嘲るような男の低い声が甦る。
 お互い、そんな風に気を遣っている場合ではないのではないだろうかと。そんな焦りも浮かぶから。

「……それは誤解だから」

 途端、迷うように揺れた瞳は、まるで男の仕打ちを庇っているかのようで一気に頭へ熱が上る。

「だったらおかしいだろうっ?君自身が望んでたっていうか!」
「それは違……っ!」

 これは、嫉妬だ。
 昨夜のことはともかくとして、少女の過去など気にしないと言いながら、心の何処かで今まで彼女の身体を好きにしてきた男たちを全員八つ裂きにしたくなってくる。
 慌てたように首を振る少女にも、ただ怒りが増すばかりの結果になる。

「違うの、違う……」

 けれど、少女は泣きそうに顔を歪め、縋るような瞳でふるふると首を振り続ける。

「全部、私が悪いの……。私が弱いから……っ」

 その悲痛の叫びは、セスクの胸を締め付ける。
 自分が悪かったからそんな風に泣かないで、と。一気に怒りが静まっていく。

「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……っ」
「シェリル……」

 その謝罪が、セスクの為に"守ってこられなかった"ことに対するものだと感じてしまうのは、セスクの自惚れだろうか。

「……生きていけないの……」

 震える唇で少女は言葉を紡ぐ。

「そうしないと、生きていけないから……」

 死にたくはない。生きたい、と。そう告げる少女の心の吐露は本音だろう。
 生活の為、泣く泣く娼館で働く女性たちがいることを知っている。
 自分を含め、そうしないと家族が生きていけないからと。
 困窮する彼女たちが仕方なく身体を売ることを、誰が責めることができようか。

「ごめんね。シェリルを責めるつもりじゃないんだ」

 さらりと綺麗な髪に触れ、セスクは心の底から謝罪する。
 もう、そんなことをしなくていいのだと、優しい眼差しでその大きな瞳を覗き込む。
 震える唇で吐き出された告白は、本当はそんなことをしたくはないのだという気持ちが滲み出ている気がするのは、セスクの願望なんかじゃきっとない。

「シェリルのことが本当に好きなんだ」

 愛しい少女にここまで想われて。
 欲しい、と思わない男が何処にいるだろうか。

「愛してる」
「セスク……、様……」

 驚きに見張られた瞳から、今度こそ本当に大きな涙の雫が溢れ落ちた。
 それは、喜びの涙だと、そう思っていいはずだ。

「だから、ちゃんと自信がもてたら」

 少女のことを愛しいと思う。
 間違いなく、少女も同じ想いを返してくれている。
 だから、必要なのは、セスクの自信だけ。
 一度抱いてしまったら、きっともう手離せない。
 元々手離す気などないけれど、その時にやはり身体目当てだったのかと、そんな風に悲しませたくはない。

 きっと、少女に溺れてしまうだろう自信がある。
 どんなに嫌がられても、毎夜求めてしまうのではないだろうかという危惧があった。
 だから。

「そしたら抱くから。もう少しだけ待っていて……?」

 少女も自分なしでは生きられないところまで堕ちて欲しいと。そこまで堕としてみせるとセスクは決意する。

――『貴方が彼女を堕とせるというのでしたら、差し上げても構いません』

 これは、あの男に対する宣戦布告。

「……はい……」

 嬉しそうに泣き微笑わらった少女の顔は、どこまでも清廉で綺麗だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

(完結)姉と浮気する王太子様ー1回、私が死んでみせましょう

青空一夏
恋愛
姉と浮気する旦那様、私、ちょっと死んでみます。 これブラックコメディです。 ゆるふわ設定。 最初だけ悲しい→結末はほんわか 画像はPixabayからの フリー画像を使用させていただいています。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

(完)妹が全てを奪う時、私は声を失った。

青空一夏
恋愛
継母は私(エイヴリー・オマリ伯爵令嬢)から母親を奪い(私の実の母は父と継母の浮気を苦にして病気になり亡くなった) 妹は私から父親の愛を奪い、婚約者も奪った。 そればかりか、妹は私が描いた絵さえも自分が描いたと言い張った。 その絵は国王陛下に評価され、賞をいただいたものだった。 私は嘘つきよばわりされ、ショックのあまり声を失った。 誰か助けて・・・・・・そこへ私の初恋の人が現れて・・・・・・

彼の愛は不透明◆◆若頭からの愛は深く、底が見えない…沼愛◆◆ 【完結】

まぁ
恋愛
【1分先の未来を生きる言葉を口にしろ】 天野玖未(あまのくみ)飲食店勤務 玖の字が表す‘黒色の美しい石’の通りの容姿ではあるが、未来を見据えてはいない。言葉足らずで少々諦め癖のある23歳 須藤悠仁(すどうゆうじん) 東日本最大極道 須藤組若頭 暗闇にも光る黒い宝を見つけ、垂涎三尺…狙い始める 心に深い傷を持つ彼女が、信じられるものを手に入れるまでの……波乱の軌跡 そこには彼の底なしの愛があった… 作中の人名団体名等、全て架空のフィクションです また本作は違法行為等を推奨するものではありません

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

「不吉な子」と罵られたので娘を連れて家を出ましたが、どうやら「幸運を呼ぶ子」だったようです。

荒瀬ヤヒロ
恋愛
マリッサの額にはうっすらと痣がある。 その痣のせいで姑に嫌われ、生まれた娘にも同じ痣があったことで「気味が悪い!不吉な子に違いない」と言われてしまう。 自分のことは我慢できるが娘を傷つけるのは許せない。そう思ったマリッサは離婚して家を出て、新たな出会いを得て幸せになるが……

(完結)その女は誰ですか?ーーあなたの婚約者はこの私ですが・・・・・・

青空一夏
恋愛
私はシーグ侯爵家のイルヤ。ビドは私の婚約者でとても真面目で純粋な人よ。でも、隣国に留学している彼に会いに行った私はそこで思いがけない光景に出くわす。 なんとそこには私を名乗る女がいたの。これってどういうこと? 婚約者の裏切りにざまぁします。コメディ風味。 ※この小説は独自の世界観で書いておりますので一切史実には基づきません。 ※ゆるふわ設定のご都合主義です。 ※元サヤはありません。

【完結】愛されないと知った時、私は

yanako
恋愛
私は聞いてしまった。 彼の本心を。 私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。 父が私の結婚相手を見つけてきた。 隣の領地の次男の彼。 幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。 そう、思っていたのだ。

処理中です...