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第一章

少しだけ、穏やかな日々 6

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「気に入るところなんて……」

(そんなもの、僕にはない……)

 そう言いかけたが、レイヴンは唇を引き結んだ。シンは自分の罪を知らない。また彼にしてみれば、自分はただの命の恩人だ。好意的な部分しか知らない人間を気に入るのは必然というものだ。

 しかしそれをわざわざ口にする必要もない。どれだけ自分を気に入ろうとも、身体が回復し次第、シンは村から出ていくのだから。レイヴンは視線を落とし、「そうですか」と相槌を打った。

 それからも、他愛ない会話をしつつ、まったりとした食事が終わった。使用済みの皿を水が入った桶に漬けた後、レイヴンの瞼は自然と落ち、その場で倒れるように深い眠りへとついてしまった。腹を満たしたことに加え、蓄積された疲労が限界に達したのだろう。

 シンはレイヴンを抱きかかえると、おもむろにベッドへ横になった。僅かな振動でも起きる様子はなく、すやすやと静かな寝息を立てるレイヴンの黒髪を、優しく梳きながら彼の顔を見つめる。

「はあ……」

 短く嘆息しつつ、レイヴンの顔を隠すようにシンはその胸に彼を閉じ込めた。

「やばいな…………これは」

 この時、呟いた彼がいったいどんな表情をしてこの言葉を発したのか、それは本人以外に知る由もない。





 ーーーー…





 月が顔を隠した夜のことだった。

 空が墨で塗りつぶされたかのような闇夜の下で、辺りは真っ赤に燃え上がる炎が広がっていた。

 火の粉を振り撒きながら高く舞う炎は轟々と。四方八方へと逃げ惑う人々の叫換はぎゃあぎゃあと。

 それはまるで地獄を表した絵図のようだった。

 なぜ、こんなことに? どうして、あんなことに?

 考えても考えても、答えは一つにしか辿り着かなかった。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 頭を抱えながら謝罪の言葉を念じるも、もはや自分にはこの惨状を止めることはできなかった。

『ーーー!』

 耳を劈くような声が、自分の名前を呼んだ。ああ、"彼"だ。普段から常に余裕を乗せた笑みを貼り付けている"彼"は、珍しく必死の様子だった。

 叱咤するように"彼"が名前をもう一度呼ぶと、呆けて立ち竦む自分の手を取るなり、その場から逃げるように走った。

『はあっ……はあっ……こっちへ! 早く……! ーーー!』

 山を越え、川を越え。

 走って、走って、走って。

 そして……

『何でだよっ……! なんで……どうしてっ……!』

 自分は、唯一の理解者だった大切な人を、この両手で谷の底へと突き飛ばしたのだ。

 最後に自分を見た"彼"の顔が表すものは、きっと絶望の他にないだろう。

『いやあああ!!』

『聖女がっ……聖女が人を殺したあぁ!!』

『人殺し!!』

『聖女を捕まえろー!!』

 あちこちから人々の怒号と怨嗟が飛び交った。そしてそのどれもが、ある一点……自分へと向けられる。

 これから自分がどうなるのか、それは想像に難くない。それでも、自分の視線は深い谷の底から、しばし離れなかった。

 落ちる涙は頬を伝い、震える唇はただ一言を紡いだ。

『ごめんね………………ルカ』





 ーーーー…





 レイヴンはゆっくりと瞼を開いた。

「…………夢?」

 外からの虫の音が小屋を包む中、呟いてから自分がそれまで眠っていたことに気がついた。

 冷たい水滴が額の周りをぐるりと纏っており、自身の口はハッ、ハッ、と切るような短い息を吐いていた。魘されていた。そう気付かされ、手の甲で顔に貼り付く髪を払った。

 滅多に見ることのない夢を見て気分が悪くなったのか、身体は異常な寒さを感じていた。

 どんな夢を見たのだろう? 目が覚めた途端、夢の内容を忘れてしまった。胃の方からグッと込み上げる吐き気に口元を覆うと、自分の頭を優しく撫でる者が囁くように問いかける。

「悪い夢でも見たのか?」

「…………る…………シン、さん?」

 夜目でうっすらと見える顔がシンだとわかるや否や、吐き気が治まり、すうっと息がしやすくなった。

 苦しさが霧散したことを不思議に思いつつも、寝惚けているのかレイヴンはゴロンと横向きになり、そのまま甘えるようにシンの胸へ顔を埋めた。

 すると、頭上でフッと笑みが落ちた気がした。

「おやすみ、レイヴン」

「…………ん」

 大きな両腕がレイヴンをあやすように抱き締める。レイヴンは再び、深い眠りへと落ちていった。

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