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番外編【夜凪は柳に想い馳せ】

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「心配せずとも、今はネットが普及しているし、リモートでも仕事は進められるから。お前はここで身体を休めていなさい」

 安心させるように言い聞かせたつもりだが、おそらく柳は自分が病気でもないのに他人を巻き込ませている、とでも思っているんだろう。

 馬鹿じゃないのか。はっきりとした病気でないと看病をしてはいけないなど、それこそ非情だろう。柳が慕っている魅色が悪阻でも始まれば、「それは病気じゃないから」などといって気遣わないと? 違うだろう。それこそ、この子はあれやこれやと世話を焼くに決まっている。他人はいい癖に自分は駄目だという、この他人を優先する考え方はいったいいつになったら直るんだ。腹立たしい。

 オレは少し口調を強めて柳に尋ねた。

「病気でなくとも、苦しいのに変わりはないだろ。お前は体調を崩している人間に、それは病気じゃないからと言って無理やり動かすのか?」

 すると、その意味がわかったのかしばし間を置いてから「しない」と返事をした。オレは短く嘆息しつつも、今度は口調を弱めて柳の背中を撫でた。

「なら、今は身体を休めなさい。傍にいるから、欲しいものややりたいことがあればその都度オレに言いなさい」

 そうは言っても、この子のことだから気を使って自分で対処しようとするだろうが。全く……オレがここまで誰かに対し、何かをしようと気遣うことが出来るのはお前しかいないというのに。これが今までの女、男相手だったら放っておくか、勝手にしろの一言で済ませていたぞ。

 はっきり言って、今の柳は身だしなみも格好も、何もかもが崩れているしだらしがない。皺の寄った寝間着姿、寝癖のついた黒い髪、おまけにウミガメの産卵のポーズ。しかしそんな醜態を晒した状態でも、この子だけは見方が変わる。

 愛しい。

ただその一言に何もかもが凝縮され、許せてしまう。

 撫でているこの背中も、成人の男と比べればまだ柔らかく、それに温かい。もしかしたら痛みで熱を持っているのかもしれないが、触れているとこの子が確かにここにいるのだと安堵する。

 ああ。この寝癖だらけの黒い旋毛にキスしたいな。駄目だろうか。

 自身の欲求を抑えながら、オレは今朝から何も口にしていない柳へ朝食の有無を尋ねた。和食よりもパンくらいの軽いものなら食べられるのではないかと思いそれを提案する。この子もその返事をするべくオレへと顔を上げ、その美しい紫の目で俺を捉えた。すると……

 ぐるるるるるうううぅぅ~!!

 一瞬、地響きかと勘違いしてしまいそうなほどの腹の虫が盛大に響いた。もちろん、この子の。

 あまりにも盛大な腹の虫にオレは瞠若してしまったが、その後すぐに笑いが込み上げてきた。この子の今の姿と相まっては尚更だった。咄嗟に顔を背けて、それまで堪えていたものを吹き出した。

「ふっ、くくっ……持ってくるから、ふふっ。待ってなさい」

 ああ、本当に愛しいな。

 固まる柳の頬を一撫ですると、オレはさっさと寝室を後にした。「いやああああああ……!!」と、羞恥に耐えきれなかっただろう悲鳴がさらに笑いを誘った。

 キッチンへ入ると、柳が買い置きしていた食パンを袋から一枚取り出し、あの子が好きだろうイチゴジャムの瓶を取ってそれをたっぷりと塗った。何故、イチゴジャムを選んだのか。オレが好きではないからだ。甘いものが不得手のオレは殆どこのイチゴジャムを食したことがない。これが柳の手作りならば、それがたとえ砂糖が大量に投入されたものでも完食する意思はあるが、市販のそれを消費しようという積極性はない。ピーナッツバターの方がまだマシだ。

 対して柳は甘いものが好きだし、この食パンとイチゴジャムは行きつけのパン屋で買ったものだ。きっとこの食パンの想像をして腹を空かせたんだろう。

「そういえば、プリンもあったな」

 消費期限が間近だったはず。あれもオレは好まない。

 パンにプリンという甘いものばかりで血糖値の急激な上昇が懸念されるが、今日くらいはいいだろう。

 トレーにジャムを塗ったパンを乗せた皿とプリン、温かいミルクにスプーンを用意してオレは寝室へと戻った。

 そこには枕を頭の上に乗せて、ベッドで俯せになって寝ている柳の姿があった。何やら先ほどとポーズが違うな。そう思いながら、チェストの上にトレーを置く。

 頭隠して尻隠さずか? 布団も乗せると痛いからと、その身は全部出ているせいで、余計にそう思えた。

「柳。持ってきたぞ」

「うう~……」

「このまま食べずにいれば、また腹が鳴るだろ。ほら、枕をどけて」

「う~……はいぃ……」

 おずおずと枕をその頭から剥がす柳は、さらにぐしゃぐしゃになった髪をそのままに上体を起こした……が。

 べしゃりと再び俯せの状態で寝てしまう。一瞬、遊んでいるのかと思ってしまったが、力が入らなくてそうしているのだと二回目のそれで気がついた。起きられないなら起きられないと言えばいいのに。

「あまり鼻を打ちつけると、いい加減潰れますよ」

「えっ!?」

「ほら、オレに掴まって」

 柳の腹に腕を差し込むと、密着させた自分の身体にしがみつくよう促した。力を振り絞る柳がオレの肩に掴まると、そのまま片手は腰を抱いて上体を起こした。尻をマットレスに置いても良かったが、オレはそのまま柳の尻をオレの膝の上に乗せた。ああ、まだ軽いな。

「イチゴジャムで良かった?」

「う、うん。食べたいなって思ってたから……でも、あの、重くない?」

「もうちょっと体重を増やしていいくらいだな」

「そうじゃなくて……」

 オレの上に乗っていることが居たたまれないんだろう? 知ってる。

 わざとそれを無視して、パンを一口サイズに千切り口元へと近づけた。イチゴの甘い香りが鼻腔を抜けていくのを感じながら、柳に食べるよう促した。

「いただきます。あむ」

 小さな口でもぐもぐ食べる様はまだまだ幼く見える。けれど、その幼い容姿もこれきりなんだろうと思うと、何だか感慨深い。十も歳が離れていれば尚更か。まさかこんな関係になるとは夢にも思わなかったが……

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