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番外編【お風邪編】

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 ※本編より一年前のお話です。



「38.9℃……」

「けほけほ」

「こりゃ風邪だな」

「う~」

「呻いたってしょうがねぇだろ。大人しく寝てろ」

「うぅ~…………はい」

 布団で横になっている僕に、「しょうがねぇな」と面倒くさそうに呟きながらも、さらに厚手の毛布を被せてくれる龍一様は優しかった。

 久々に引いた風邪のせいで、喉はガラガラ、鼻はズルズル、頭はズキズキの三重苦。身体は思うように動かなくて、気持ちは憂鬱なことこの上ない。

 口調はそっけなくとも、床に伏せっている僕に優しい龍一様に、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「んな顔すんなよ。弱ってる時くれぇは大人しく弱ってろ。お前はもうちっとガキらしく甘えろってんだ」

 そう言って、下には氷嚢、おでこには冷やしたタオルを当てられる。ふわぁ……ひんやりしてて気持ちいい~。……と、思ったのも一瞬のことだけど。ジュンって音が立ったかのように、すぐにタオルが熱くなるんだもん。

 うぅ~。頭がふわふわするよ~。痛いよ~。重いよ~。熱いよ~。寒いよ~。

「ああ、そうだ。お前の学校にはこっちから連絡を入れといたからな。とりあえず、今日と明日はしっかり休め。昼になったら医者が来る」

「僕、自分で病院……けほけほ、い、行きます」

「馬鹿。こういう時は大人の言う事、聞いとくもんだ」

 龍一様は僕の頭を撫でると、「また後で様子を見に来るからな」と言って、部屋から出て行った。お仕事があるし、僕のことよりもそっちに行ってもらえたのは少しほっとしたかも。

「……けほこほ」

 いつの間にか僕の部屋となっている真城のお家の一室。そこにあらかじめ用意されていたのは、お勉強用の机と、僕の服が収納できる立派な箪笥、それから何万とするのかしれない上等な羽毛布団。さらに僕の私物が少しずつ増えていったにも関わらず、あっさりとしているこの部屋は、一人きりになると実に広く感じられた。

 真城のお兄さんたちがたまに遊びにきてくれても、眠る時は一人だから、やっぱり広い。

「けほけほ」

 そういえば、いつもは廊下が騒がしいのに、今日はとても静かだな。お兄さんたち、みんなお外に出ているのかな?

 学校……。葉月は僕がお休みしたこと、知ってるのかな? クラスが別だからお昼まで知らないかも。こういうときに、携帯電話って便利だよねぇ。持ってないから仕方ないんだけれど。

 お弁当、持っていってあげられなかったな。購買で買って食べているといいけれど……。

 布団の中で横になっていると、他に何もすることがない。瞼を閉じると、頭の中に霧がかかったようでぼやぼや~っと思考が鈍ってくる。

 ぼやぼや~っと。

 ぼやぼや~っと……。


 ………………。

 …………。

 ……。



「…………、……」

「……、……」

 ……ん。

 う?

 あれ? 何か……聞こえる?

「コホコホ……」

 あれれ? 僕、いつの間にか眠ってた……っぽい。目の周りが湿っぽいや。

 コシコシと手の甲で瞼を擦りながら起き上がると、襖向こうから聞こえてくる「声」に耳を傾ける。誰だろ? 龍一様かな? あ、お医者さんが来てくれたのかも。

 枕元にあるコンタクトレンズを両眼に装着させ、パジャマの上にカーディガンを羽織ると、僕はそっと襖を開けて顔を出した。するとそこには案の定の龍一様と……

「あれれ? お客さま、ですか?」

 背がものすごく高い、髪の色が真っ赤な男の人が立っていた。

「え~と……」

 この人は確か……龍一様のお客さんで、よくお話に来る人だ。すごく若いけど、パリッとしたスーツをいつも着ていて、いつかはこんな感じになりたいな~って思えちゃうような大人の人。

 僕はあんまり話したことはないんだけれど、挨拶はしたことがあるよ。確か名前は……

「紫瞠です。紫瞠、海」

 そうそう。しどーさん。僕がぼけ~っとしているから、代わりに向こうから改めて名前を言ってくれた。無表情なままで名乗るしどーさんだったけれど、その口調は幾分やんわりとしている。

 お客さまの前でパジャマ姿だなんてはしたないけれど、僕は挨拶をしようとにこっと笑顔を作った。

「しどーさん、お久しぶりです。こんにちっ、……っ、……ふっ、ぶえっくしょい!!」

 と、いきなり腰がくの字に曲がる程の豪快なくしゃみが出てしまった。手で抑えることもできず、そのまま豪快に。そう、豪快に。

 しどーさんに向かって。

「あぅ~……ずび」

 鼻を啜ると、冷たい何かがたら~っと糸を引いて光っている。光る先へ視線をやると、それはクモの糸の様で、ネチャッと、しどーさんのスーツについていた。

 そう、ネチャッと。

「すげぇ鼻水だな」

「はわっ!?」

 龍一様の苦笑でハッとする僕。

 た、たいへんだっ。僕、お客さまのスーツに鼻水ををををっ!?

 かといって、その場でハンカチもティッシュも持っていなかったために、僕は鼻水を垂らしたままあわあわと慌てるだけ。どうしよう。何か……何か拭く物!

 すると、目の前のしどーさんが。

「豪快なくしゃみでしたね」

 そう言いながら、僕の鼻に何かを当ててくれた。詰まった鼻でも感じられる、ふんわりとした石鹸の良い香り。しどーさんは、自分のハンカチを僕の鼻に当ててくれたんだ。

「ご、ごめんなひゃい……」

「いいですよ。はい、かんで」

「ずびー!」

 自分のスーツに他人の鼻水がべっちゃりとついてしまっているというのに、この人は怒るどころか柔らかく笑っている。その微笑みに、なんだかほっと安心してしまって、僕は思いきり鼻をかんだ。

 綺麗だったハンカチは、その、僕の鼻水で思いきり湿ってしまった。でも、しどーさんはそれで自分のスーツについた鼻水を拭うと、そのままポケットにハンカチを入れた。

「ありがとう……。でも、あの、それ……」

「ええ。後で洗いますよ」

「じゃなくて、僕が……げほげほ」

 僕が洗って返しますよ。そう言いたかったのに、喉が痛くて咳き込んでしまった。うぅ。言葉もろくに伝えられないなんて……

 すると、しどーさんは僕の背中に自分の大きな手を回してくれて、そのまま上下に擦ってくれた。
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