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雫
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しおりを挟む運が良いのか、目の前にいるのは校医だ。医者ならば相談すれば、これが何かわかるだろうか?
俺は劣等種であることを伏せ、自身でわかる症状と身体の変化について伝えた。
「昨日からずっと、甘いものが食べたくなるんです。それまで甘党だったわけじゃなくて……急にお腹が空く感じがして、食べないと気分が悪くなるというか」
「力が抜けちゃう?」
「ぼーっとします」
普段からぼんやりとしている自覚はあったけれど、以前よりそれが増した気がする。特に今日はふわふわと頭が寝惚けているような感じがある。あれだけぐっすり眠った筈なのに。
馬野先生は「ふむ」と一瞬だけ考えるポーズを取った後、俺に向かって一つの可能性を告げた。
「それはもしかしたら低血糖かもしれないね」
「低血糖?」
「血糖値が正常範囲より下がってしまうことだよ。異常な空腹感や集中力の低下などが症状的に当てはまりそうだね。もちろん、検査をしないことにははっきりとしたことは言えないんだけど……」
すごい。症状が当てはまっている。それは病気とは違うのかな。
可能性が示されただけでも、俺は安心した。これがもしも劣等種だから、という理由だったら……きっと落ち込むどころじゃなかったから。
胸を撫で下ろす俺に、馬野先生は医療器具が入っていると思しき壁際の棚からペンタイプの器具を取り出した。
「こういう血糖測定器があるから、今すぐ検査ができるよ。まだ食前みたいだしね」
検査と聞いて思わず腕を擦った。注射とか、痛いのは勘弁なんだけど。でもこの思考は無表情の俺でも馬野先生には伝わったようで……
「痛くないよ。血糖値を測るだけだから」
と、クスクス笑われた。
どうして伝わって欲しくない考えが伝わってしまうのか。俺は勝手に赤くなる頬をそのままに、先生に向かって「お願いします」とぶっきら棒に言った。
「じゃ、右手を出して」
器具を手にしたまま馬野先生は俺の隣に座ると、左の手の平を差し出した。その上に、俺は言われるがまま自分の右手を乗せると、彼はその手をアルコール綿で消毒する。特に人差し指を念入りに消毒され様子を観察していると、その指の腹に器具の先を押し当てられた。
「いたっ」
ブツッという、肉が裂けた感覚が俺の指先から広がった。
痛い。地味に痛い。誰だよ。さっき痛くないとか言ったの。
「穿刺しただけだよ。大丈夫」
「……はい」
冷静な態度の先生に、俺は恨みがましく目を細めた。
指の上でじわりと血玉が作られると、スポイトのような物で微かな血が吸い出されていく。その工程が何度か繰り返された後、微量に採血された俺の血は器具の中に収められ、出血した部分に絆創膏を貼られた。先生は採血した器具にキャップを取りつけ、「お疲れ様」と俺の頭を撫でた。むぅ。みんな俺を子供扱いする。
俺は前髪を直しながら、検査について尋ねた。
「結果はすぐにわかるんですか?」
「明日以降にはわかるよ。さ、昼休みが終わってしまう。食事をどうぞ」
促されて、俺はチュロスを手に取ると大口でそれを食べ始めた。あ~美味い。昨日のドーナツも美味かったけど、このチュロスも最高の甘さだ。
サンドウィッチより何倍も腹が満たされていくのがわかる。もう三食全てがデザートやお菓子だけで済んでしまえばいいのに……なんて思いながら、俺はチュロスを頬張った。その様子を見てなのか、馬野先生がフッと微笑を浮かべた。
「何か?」
「ああ、いや。今日は美味そうに食べていることがわかってね。ここのチュロスは評判だから、並んで買った甲斐があるよ」
何処の店のチュロスなんだろう? 俺も買いに行きたいくらいだ。
黙々と食べている俺の様子を、馬野先生は何が楽しいのかニコニコと見つめている。う……ちょっと気まずい。
何か話題はないかと、ぼんやりする頭の引き出しを探り、その中で見つけた無難だろう質問を彼に振った。
「先生が甘党なのって、昔からなんですか?」
「そうだね。でも元は私の知り合いがきっかけだったけど」
「知り合い?」
首をコテンと横に傾けると、馬野先生は特に渋る様子もなく、何処か懐かしむように語り出した。
「まだ子供だった頃に通っていた塾でね。別のクラスの子だったけど、とにかく頭の良い子がいて、その子が毎食後に必ず菓子やデザートを食べていたんだ。それまで特に甘いものが好きなわけではなかった私は、その子に憧れて真似をするようになった。勉強も食事も、その子を見習うようになったんだ」
ぼんやりしている俺の頭でもピンと来た。馬野先生は塾と言っているけれど、きっとそれは以前に聞いたあの養成機関のことだ。
羽柴さんが通っていたという、天才を育てる場所。ということは、馬野先生の言う知り合いというのはおそらく……
「それに甘いものを摂れば頭が良くなるかもしれないっていう、我ながら子供じみた考えがあったからね。続けていたら、いつの間にか甘党になってしまっていたけれど」
苦笑する先生に、俺は尋ねた。
「その知り合いの人は……今はどうされているんですか?」
すると、先生は神妙な顔つきになって首を横に振った。
「わからない。塾も途中で辞めてしまったからね。将来有望な子だったのに、何処かに引き取られたと聞いた。家族も蒸発してしまったらしいしね」
「そう、なんですか」
間違いない。羽柴さんのことだ。羽柴さんは馬野先生と淡白な関係のように語っていたけれど、馬野先生は羽柴さんを慕っていた。
そして先生は、渇望している。
「もしもだけど、私と近い年齢で『中瀬』という男性を見つけたらどんな情報でもいい。教えてくれないかい? 私は彼に会いたいんだ」
「はい…………もし、見つけたら」
「ありがとう」
だからといって、俺は彼に応えてあげられない。これはきっと、羽柴さんと馬野先生が向き合うべき問題だからだ。
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