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滴
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しおりを挟む六年後――
「しーずーく! おっはよー!」
「……武虎、声が大きい」
「そっけないっ!! でもそこがいいっ!!」
元気な挨拶をするも俺に注意され、顔を手で覆い隠しオーバーなリアクションを見せる男の名は武虎。姓は羽柴。
彼は周りに笑われながらも、すぐにニパッと人懐こい笑みを浮かべて、ハードカバーの本を立てながら読んでいる俺の前の席に着いた。
「何、読んでんの? 純文学ってやつ?」
「官能小説。『団地妻の昼下がり ~こんな私を許して~』」
「滴お前……案外、ムッツリなのな」
若干引き気味の武虎に、俺は「冗談だよ」と紙素材のブックカバーを捲って本来のタイトルを見せる。何のことはない。ただの料理本だ。写真がメインの物と違って、殆どが文章で書かれている十年程前の著作物。モノクロのそれは脳内での画像処理が苦手な俺にとって非常に読みやすい。
武虎が「ふーん」と本に視線を落としたままの俺に尋ねた。
「滴って料理、できんの?」
「できるよ。美味いか不味いか、勝率は五分だけど」
「ほぼ苦手なんじゃねえか」
「同居人は全部平らげてくれるんだから、結果オーライだ」
「同居人……」
武虎がポツリと呟く。チラッと視線を上げると、彼は眉の皺を中央に寄せて、さっきまでの笑みを消した。おそらく、俺の言う同居人の顔でも思い浮かべたんだろう。武虎は彼をよく知っているから。
「なあ、滴。お前……」
「羽柴ー! ハヨー!」
「なあなあ、聞いてよ羽柴~! 俺またフラれちった~!」
「ああ? なんだよ、お前ら……あ! サッチー! お前っ、またフラれたんかよ~!」
武虎が俺に何かを言おうとしたところで、クラスの男子が武虎へ声をかけた。続々と登校する生徒達が集まる俺のクラスもそろそろ始業時間が迫りつつあるというのに、誰も席に着こうとしない。何を朝からそんなに話すことがあるというのだろう? みんな、ネタに尽きないね。平和、平和。
「悪い、滴。また後でな」
自分の前で手を合わせて俺に謝る武虎へヒラリと手を振ると、彼はすぐに他の男子達の輪の中へと入っていった。
クラスの人気者は大変だ。武虎は俺が在籍する二年C組のムードメーカーでありリーダー的存在。俺と同じく転校生だというのに、クラスへの溶け込みは早かった。男性アイドルのような見目の良さもあるけれど、あれは才能だろう。
対して俺は、どのクラスにも一人はいるだろう本が友達のインドア男子。友達と呼べる人間はおらず、まだまだこのクラスに馴染めずにいる。もう一ヶ月は経つんだけどな。誰でも平等に接する武虎が唯一、俺に関わろうとしてくれる。
正直なところ、俺は静かに過ごしたいんだけど、仕方ない。
『学校とはそういうものだよ。たくさん学んできなさい』
俺の同居人が微笑みながら言った台詞だ。
シキ。
俺よりうんと歳上の、三十三歳の男。同居人であり、俺にとって保護者のような存在。結婚はしておらず独身。
かれこれ六年程、俺はシキの下にいる。彼と出会う前まで俺は、学校へ通うどころか学校という存在すら知らなかった。
辛うじて文字は読めても語彙力がなく、発音もたどたどしい俺にシキは全てを一から教えてくれた。本来の読み方、舌の使い方、声の出し方、そして文字の書き方まで。シキは俺の先生になって根気よく接してくれた。俺も頑張って言葉を学んだ。
ある程度それを覚えた後、今度は小学生の勉強を始めた。本来なら中学生くらいの歳だったというのに、ピカピカの小学一年生の勉強から始まったのだ。そこから先は仕事で多忙なシキがマンツーマンで指導をするというわけにもいかなかったので、彼の部下の男から教わった。それでも仕事の合間にシキは俺の勉強に付き合ってくれた。
その涙ぐましい努力が実を結んだのか、俺は十九歳という歳で現在、高等学校に通わせてもらっている。同級生に本当の歳は明かしていないけれど、男とも女ともつかない中途半端な身体つきのお陰か誰も俺を疑わない。
どころか、太い黒縁眼鏡に加えて長めの前髪で目元が隠れているせいもあって、女子どころか男子すら俺に近づかないでいる。姿勢も常に前屈み気味でいるし、端から見れば不気味だもんな。
本当はフレームもシンプルな薄めの眼鏡が好みなんだけれど、眼科での診断書を元にシキが誂えてくれた物だから文句は言えない。
俺にかかる費用は全てシキが賄ってくれている。今着ている制服も、通学に使う鞄も、弁当にかかる費用も、全て。
シキには頭が上がらない。シキがいるから、俺はこうしていられる。シキがいるから、俺は生きていられる。
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