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冷棘との出会い

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 パーティーは最高潮を迎えていたが、おまえは人の輪からそっと離れて、ひとり中庭へと落ち延びた。

 本来であれば、ニルスの婚約者として彼のそばにいるべきところだ。だが、ニルスはそれを求めなかった。おまえ自身、彼に避けられているのを知っているから、自然と別行動となった。一緒に来ている父も他の貴族との交流に忙しく、娘をかまっているヒマはないようだった。

 ひとり、壁を背にぽつんと立っていたおまえは、出席者たちが自分を見ながらひそひそ話をすることに耐えられなくなった。

 だから、逃げるように中庭へ出て行ったのだ。

「……あれは……」

 そこには先客がいた。

 呪われた国――漢皇国(かんこうこく)の皇子・皇冷棘(スメラギ・レイト)がひとり、おまえに背を向けて佇んでいる。

 月の綺麗な夜だった。

 晴れ渡った夜空だ。

 冷棘の瞳も、髪も、その夜空を写し取ったかのように美しかった。

「…………」

 おまえは立ち尽くして、彼の後ろ姿にみとれていた。

 やがて、黒い髪が揺れて、ゆっくりと彼はふりかえった。

「貴女か」

 その低い声は、やはり素っ気ない。

 彼の容貌にひかれて寄ってきた女性なら、その一声(ひとこえ)で怖じ気づき、退散してしまうだろう。

 だが、おまえはちがう。

 いつも周りにいる者のおべっかと、その裏にある嘲笑を聞かされて育ったおまえには、そのそっけなさが逆に嬉しい。

「あ、あのっ。先ほどは、ありがとうございました」
「別に。思ったことを口にしたまでだ」

 淡々と彼は言った。

 きっとそれは真実なのだろうと、おまえは思う。

 みにくい令嬢を哀れんだからではない。

 かばったというわけでもないだろう。

 それでもおまえは、彼に感謝を伝えずにはいられなかった。

「レイトというお名前は、とても不思議な響きですね」

 おまえが言うと、冷棘はかすかに首を傾げた。

「王国で生まれ育った貴女には、そう感じるのかもな。我が国には漢字というものがあるのだ」
「カンジ?」
「冷棘は『冷たい棘(とげ)』という意味だ」
「す、素敵ですねっ!」

 お前が言うと、彼は不思議そうな顔をした。

「素敵? この名前が?」
「はい!」
「冷たい棘だぞ。自分のことながら、あまり縁起の良い名前とは思えぬが」

 おまえは、力いっぱい、首を振った。

「そんなことありません! 格好いいです!」
「ほう。どこが?」
「『レイト』という音の響きには、鋭く切り込むような激しさを感じます。そして『冷たい棘』という意味には、毅然として、他者に決しておもねらない強さを感じます。その二つが組み合わさって、なんていうか……その、さ、最強です!」

 勢い込んで口にしてから、おまえは後悔した。

 最強だなんて。

 公爵令嬢が口にするような言葉ではない。

 父や母が傍にいたら、きっと、きつく叱られただろう。

 しかし、冷棘の反応は――。

「最強か。それなら縁起がいい」

 ふっ、とその口元が緩んだかのように見えた。

 あるいはおまえの錯覚だったかもしれない。

 願望であったかもしれない。

 だが、その声は、さっきよりも和やかに感じられた。

「貴女は公爵令嬢らしくないな。カヤ・ホーリーロード」

 名前を覚えてもらえていたことが、おまえには嬉しい。

「よく言われます。それでお母様やお父様に迷惑ばかりかけて。みんなからも、嫌われているんです」
「なら、私と同じだな。ついさっき、この国の嫌われ者になってしまった」

 肩をすくめる彼を見て、おまえは思わずふきだした。あわてて口をつぐんだが、彼はおまえを咎めようとはしなかった。

「あの、殿下は『精霊士(ネレイヤ)』をご存じですか?」
「精霊と交信することができるという異能の者か。古い伝承だな」
「皇国には、その末裔がいらっしゃると祖父の本で読んだのですが」

 彼は首を振った。

「現在の皇国に精霊士(ネレイヤ)はいない。私の知る限りだが」
「では、殿下も精霊を実際にご覧になったことはないのですか?」
「ああ。見たことがない」

 その返答は、おまえを気落ちさせた。

「だが――」

 と、冷棘は続けた。

「ほんとうに大切なものは、目には見えない。私はそう思う」

 晴れた夜空のような黒い瞳が、じっとおまえを見つめている。

 おまえは頬を赤らめて、顔をそむけた。

「あ、あの、そんなに見ないでください……」
「なぜ?」
「だって、わたしの顔、みにくいでしょう?」

 そう言った瞬間、おまえはひどく悲しくなった。

 自分の顔がみにくいことなんて、とうの昔に知っている。わきまえている。あきらめている。

 そう思っていたのに、彼に「自分はみにくい」と伝えた瞬間、暗い穴の底に落ちていくような悲しみをおぼえた。

「みにくい、か」

 彼はそっけなく言った。

 黒い瞳は、おまえの顔を見つめたままだ。

「貴女は、自分の顔が嫌いなのか?」
「……。きらい、です」
「なぜ?」
「父も母も、言っています。わたしはみにくいと。婚約者のニルス様も口にこそ出しませんが、きっと……」
「他人のことなど知らぬ」

 冷棘の声は、やはりそっけない。

「目に見えるものしか見えない者のことなど、放っておけばいい」

 その言葉の意味が、おまえにはわからなかった。

「…………」

 ただ、不思議と、その言葉はおまえの心に染み渡った。

 乾いた砂漠に優しい雨が降るかのごとく、じんわりと。

 だが、そのとき――。


「そこまでだ、レイト皇子」


 突然の声に振り返ると、そこには近衛兵たちを従えたニルスが立っていた。

 その表情は怒りをこらえている。

「終戦から十年あまりが過ぎ、そろそろ『呪われた国』にも許しを与えてよかろうということで、夜会に招いてやったのに。先ほどの挨拶といい、今こうして我が婚約者と話し込んでいることといい、まったく礼儀知らずではないか!」

 おまえはあわててニルスの前に立った。

「ち、違うのですニルス様! 冷棘殿下はそのような……」
「お前もお前だ! 軽々しく、よその国の男と!!」

 ニルスの怒りから、おまえをかばうようにして、冷棘が進み出た。

「彼女は私が誘ったのだ。ただ話していただけで無礼と言われる筋合いはない。無礼というなら、自分の婚約者を無視して他の令嬢と戯れていたどこぞの王孫(おうそん)のほうがよほど礼儀を知らぬと思うが?」
「き、貴様、それは私のことか!?」
「それ以外のことに聞こえたか?」

 ニルスの顔が、怒りのあまりふくらんだ。

 容姿端麗、王族一の美形と言われる彼だが、こうして感情を露わにすると、たいして美しくもない。

「民度の低い、呪われた国の皇子めが! この私を愚弄するのか!」

 ニルスは近衛兵から剣を受け取り、冷棘に詰め寄ろうとした。

 それは、あくまで「ふり」だった。

 詰め寄るふりをしただけだ。

 国力で遙かに劣る皇国が、王国とのあいだに争いを起こすわけがない。こっちが強気に出れば必ず引き下がるだろう、這いつくばって許しを請うだろう――それを見越しての態度だった。

 だが、冷棘は――。

「動くな」

 静かに言った。

 微動だにせず、おまえを守るように立ち塞がりながら、静かに言った。

「それ以上動けば――戦闘開始とみなす」
「……う、ぅ」

 ニルスは金縛りにあったかのように、動かなくなった。

 剣闘のことなど何もわからないおまえの目にも、ニルスの腰がひけているのがわかった。

 ニルスを護衛する近衛兵たちも同じだった。

 誰ひとり、丸腰である冷棘の前に、立とうとしなかった。

 その時、会場のほうで鐘の音が三度鳴り響いた。

 夜会が終わりを告げる合図だった。

 その音で、ようやく金縛りが解けたニルスが言った。

「今日のこと、覚えておくからな。レイト皇子」
「どうぞご自由に。王孫殿下」

 冷棘は流れるような優美さで一礼した。文句のつけようがない、完璧な作法だった。

 ニルスは次におまえをにらみつけた。

「カヤ。このことはお前の両親にも報告するからな」
「はい……」

 おまえはしゅんとなってうつむいた。

 ニルスが去ると、冷棘はおまえに向き直った。

「面倒事に巻き込まれぬうちに、私も退散する。貴女もそうしたほうがいい」
「あ、あの、殿下……」

 すでに冷棘は歩き出している。

 肩越しに、ちらりと振り返って言った。
 
「冷棘でいい」
「えっ?」
「私の名前が気に入ったのだろう? ならば、殿下などではなく、名前で呼ぶといい」

 おまえは、顔じゅうに喜びを広げた。

「は、はいっ……はい! 冷棘さま!」

 黒衣に包まれた彼のしなやかな体が、夜の闇にまぎれていく。

 おまえは、彼が見えなくなった後でも、ずっとそこに立ち尽くしたのだった。





 ふわふわとした足取りで、おまえは帰宅した。

 まだ頬が熱い。

 今まで感じたことのない幸福感が、おまえの胸にわきあがっている。

 帰宅した後、きっとニルスから報せを受けた母にひどく怒られることだろう。だが、今日は耐えられる気がした。これだけ胸が温かいのだから。

 だが――。

「奥様、しっかりしてください! 奥様!」
「ひどい熱だ。す、すぐに医者を!」

 帰宅したおまえを待っていたのは、黒ずんだ顔色をしてソファに横たわる母の姿だった。

 執事やメイドたちのあわてぶりが、普通ではない。

 呆然とするおまえが事態の深刻さを知るのは、少し後のことだ。


 おまえの母が、死病にかかったのである――。

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