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第二章~自由の先で始める当て馬生活~

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 初めにあの影を見た時、随分と大きな魔獣なんだなと思った。

 玄関の上の窓まで届く程の巨体を持つ魔獣といえば、ドトリやジョウヨウバチだけれど、これはそのどちらでもなかった。


「まさか……」


 玄関のドアを破り入ってきた、枯葉色の魔獣。私が知るとある物にそっくりだ。

 それはぶよぶよした体を自在に変形させ、切っても殴ってもダメージを受けない。
 まるでそれ自体が魔物である様に見えるけれど、実は、本体が作り出したとても粘度の高い粘液で、大抵の場合毒を持ち、本体を隠し保護する目的も持っている。
 粘液部分を魔法で操り、粘液の毒で相手を侵したり、粘液で包み込み窒息させる。


 以上が私が昔読んだ本に載っていた、スライムとかいう魔獣の説明だ。

 ジージールと一緒に見た、城の書庫にあった子供向けの絵本。載っていた魔獣はすべて空想上のもので、現実にはいないはずだったのに。

 枯葉色の魔獣を見た瞬間、脳裏に蘇る幼い頃の記憶。

 まさか。呟きながら私は、反射的にイヴの魔法具を握りしめ、男に手を伸ばしていた。


「俺を守れっ」


 まるで余裕のない男の命令を、スライムは忠実に守る。
 

 スライムが粘液を細長く、私目掛け伸ばしてくる。


 イヴとエリンを狙わないのは、男と記憶を共有しているだとか、思考が通じているとかではないと思う。それなら言葉で命令するはずがないもの。

 動いているのもを攻撃するように躾けられているのかもしれない。


 だからって、それは私が止まる理由にはならない。


 まともに立てず、スライムに庇われている男。さっきまで勝ち誇っていた男の滑稽な姿に、今度は私が笑みを向ける。

 次の瞬間スライムが私を捕え、男は顔を引きつらせたまま笑む。けれど、それも一瞬だけだった。


 馬鹿ね。私がスライムごときで止まるはずないでしょう?一体どのくらいの魔獣と対峙してきたと思っているの? 


  手が僅かに男に届き、私は思いっきり魔力を魔法具に流し込んだ。魔法が男を浸食していく感触が、魔法具を通じて伝わってくる。


 男は崩れ落ち、スライムが動きを止め、触手がスルスルと短くなっていく。こうなってはただブヨブヨしているだけの塊。

 男からの命令がないと動けないのかもしれない。どういう仕組みなのかしら。

 スライムの能力は未知数で、無駄死にする可能性もあったけれど、ともかく私は賭けに勝った。


 スライムの粘液が体にまとわりついて気持ち悪い。私は髪をかき上げ、手を降って粘液を落とす。特に手足の痺れもなく、体調に異変もない。今のところは、だけど。



 まあ、それにしても、私、勝ったわね。

 完全勝利とは行かなかったけれど、いつもの魔法具もカクもジージールもいない中で、この結果は上々ではなくて?

 男が目を覚ます心配はもうない。

 イヴの魔法具。あれは本当なら対象を仮死状態にする魔法具で、魔法を解除するまで目を覚ませない。イヴの様な常人が使うからこそ眠るだけで済むの。

 私が魔法具を魔力で満たし、本来の効果が現れたというわけ。人の命を奪うような魔法具じゃなくて本当に良かった。

 だって骨を折ったりするだけで、あんな反応するんだもの。見せられるわけないじゃない。



 真っ青な顔で私を見ているエリンと目が合った。口をパクパクさせて何かを言おうとしているけれど、どれも言葉になっていない。



「大丈夫、終わったわ」


 気分が高ぶったまま、上手く笑えているか解らないけれど、エリンに微笑む。


「さっさと逃げていればこんな事にならなかったのに。私が引き留めてしまったから。ごめんなさい」


 エリンが首を横に振る。涙がぽろぽろ零れ、音の出ない口が《ありがとう》と形作る。


「それで、私はこんな風だから、イヴの手当てをお願いしたいのだけど……」


 両腕を広げる私の腕から、拭いきれなかった粘液がぼたりと落ちた。エリンは弾けるように立ち上がると、転がるようにイヴの側に駆け寄った。

 
 そのイヴはというと、正直な所あまり芳しくない。


 エリンが名前を呼んでも反応が返ってこない。真っ青な顔で、男に殴られたお腹を抱えたまま、息も上手く吸えていない。



 魔獣討伐の現場や訓練の最中、何度か目にした光景が脳裏に思い浮かび、私は奥歯を噛みしめた。彼らの内数人は時間を置かず旅立ってしまった。

 イヴもこのまま放置してはいけない、そんな予感がした。


 私は台所に走り、両腕のを洗い流した。消毒しなければ万全とはいえないけれど、その時はその時。


 私は見た目には綺麗になった手で、腕のフィルムを剥がし、隠されていた魔法式の書かれた札を取り出した。


 緊急用の回復札。怪我であればこれで治るはず。使ったことないけれど、カクが一瞬で治るって言ってもの。きっと大丈夫。


 戻るとエリンの態勢がちょっとだけ変わっていて、一瞬意識が戻ったのかと思う。けれどすぐに違うと気付いた。

 服のボタンが外されている。きっとエリンがやったのだ。


「治療するから、ちょっと離れてて」


「あ!」


 私は泣いているエリンをイヴから引き剥がすと、緩められていた服をはだけさせ、イヴの腹に札を貼った。それから、魔法式に隅々に届けと祈りながら魔力を流す。


 魔力で満ちた札が淡く光を放ち、ジワリジワリと溶けていく。私の鼓動も早く打つ。


 間に合ったかしら。間に合っていると良いけれど…………お願い。

 エリンが喉を鳴らした。


 腹の札が全て溶け、魔法が発動する。
 まず、イヴの腹の赤黒い痣が薄くなり始め、呼吸が落ち着いていく。顔に赤みが差してくる頃には、私もエリンもだいぶ落ち着いていたと思う。


「イヴ?大丈夫?」

 
 まだ意識があるように見えないけれど、親友としては声を掛けずにはいられなかったんだと思う。

 エリンはイヴが返事を返さなくても、肌の温かさと落ち着いた呼吸だけで安心して笑みを零した。


「アイさん、イヴを、私達を助けてくれて、ありがとうございました。あなたさっき、自分のせいだって言ってたけど、そんな事ないです。私たちがあのまま外に出ていたら、さっきの化け物に食べられていたと思うから……」


「そんな事は……」


 エリンが首を横に振る。


「あれだけの雄たけびを聞いても、誰も帰ってこないじゃない。町まで聞こえないようにしてあるのかも。通信機も通じなかったし……」


 通……信……機?


 そうよ!通信機があるんじゃない!何かあったらそれでジェスとクライブに連絡して助けを求めれば良かったんだわ!

 私ってば普段使う機会が全くないからって、存在を忘れていたわ。

 まあ、今回に限っては線を切られていたから、意味なかったかもしれないけれど、次はちゃんと通信機で助けを呼ぶって覚えてなくてはね。



「……きっと線を切ってあったんだ思う。そこまでしているのに、外に逃げた人を放っておくはずないじゃない。だから、あなたは私たちの命の恩人。本当にありがとう」


 エリンが深々と頭を下げた。


 私が命の恩人だなんて……言われてみるとそうような気分になってきた。


「じゃあ……」と小声でこぼし、一度は下げた視線を上げた。


 エリンは大丈夫かしら。信用できる子かしら。ゾワリと鳥肌が立つ。


「本当に私に恩を感じているなら、一つ頼みたい事があるのだけれど」


 エリンがギクリと体を強張らせた。


「変な事じゃないの。さっきイヴに使った魔法札……あれはあの男が持っていた事にして欲しいの」


「……え?どうしてそんな事を」


 イヴを助けた自体は問題ない。けれど、それを私が隠し持っていたと知られたくない。

 記憶喪失を装っているという負い目がある。人助けでさらに負担が増すのは、ごめんこうむりたい。
 他には思い出していないのかって聞かれたら、きっと私はもう隠しきれないと思うから。

 そもそも、肌に貼って隠す特殊フィルムは、まだ世間に出回っていない技術だ。知られるわけにはいかない。 


「ごめんなさい。けれど、誓って私はやましい人物ではないの」


 襲ってきた人を返り討ちにするのは疚しくない…………わよね?


「私はその……」


 記憶喪失を装っているから、嘘がバレたら困るのって……それは疚しい響きしかないわ。

 全部説明する?元王女ですって?信じてくれるかしら?信じてくれたとして、黙っていてくれるかしら?


 エリンが首を横に振った。


「良い、言わなくて。あなたが悪い人じゃないって信じる…………大丈夫、誰にも絶対に言わない。アレはあの男が持っていた物を使ったって、ちゃんと言う」


「あ………ありがとう、本当にありがとう」


 私はエリンに頭を下げた。






 
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