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第一章~王女の秘密~

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 夏に北の避暑地で過ごし、季節が変わる前に宮殿のある王都へと戻ってきていた。私にとって夢のような体験は今も心の片隅でくすぶっている。


 でもそれだけ。


 私の中に残された彼は、燃え尽きようとしている残り火に過ぎず、たまに小さすぎる光に手をかざすだけのもの。



 ああ、そう考えると、彼との思い出の品を一つも持っていないのは幸運だったわね。だって人は太陽に焦がれて、そこに神の姿を見出したのだから。







 心を無にしてはいけない。己を無にするのだ。

 爪先、毛先まで己と心得よ。

 努力とは才能である。



 私は大きく息を吐き出して、全神経を周囲へ向けた。

 ロープに吊された白い物体が、不規則に四方八方から襲いかかるのを、的確に避け受け流していく。

 重しをロープで吊るしただけの単純な装置。もちろん当たれば痛いし、怪我をする。

 子供の頃はこれが柔らかいブロックだった。柔らかいと言っても当たれば、痣が出来る程度には固さがあるのだから、子供の頃は避けるのに必死だった。


 歳を重ね、今では私の好きな鍛錬の一つ。


 髪を固く結び着慣れた運動服に着替えると、自分ではなくなった気がして、逆に落ち着く。

 今は、甘いデザートよりも、友人たちとのお喋りよりも、可愛い動物たちに癒やされるよりも、心が休まる気がする。


 何より集中しなくちゃいけないので、この時ばかりは王女として振舞わなくても良いのだ。


 私が私でなくても誰にも咎められない。結局はそこが一番気に言っているのかもしれない。
  


「姫様、そろそろご休憩されてはいかがでしょう?式典の打ち合わせもござます」


 ドアの向こうで侍女が言った。


 この声は最近入ってきたばかりのあの子ね。

 礼儀作法は出来ているし、普通に見れば申し分ない。けれども私は、キッとドアを睨み付けると、ドアの向こうに聞こえない様、小さく溜息を吐いた。

 それが私を苛つかせる最大の要因なのも知らないで、簡単に言ってくれるのね。


 私は入ったばかりの新人侍女に当たり散らしそうになったのをこらえ、振り子の一つに渾身の蹴りをくらわせた。


 王族の嗜みとして、一般的な型通りの護身術を学ぶ時間という事になっている。
 けれども一般的なお嬢様の護身術とは魔法であり、格闘術などではない。侍女は何事かと思ったに違いない。

 若い侍女はドアの向こうで、大きな音にさぞかし驚いている事だろう。私はフフンと笑みを浮かべた。


「まあ、魔法が暴発してしまったわ。私、自分で思っているよりも疲れているみたい。ありがとうシンディア」


 できる姫というのは、例えば新人の馬番の名前だって知っている。もちろん出身地も経歴もすべて。私は囮なのだから。知らないということは、それだけで罪だ。


 忌々しい式典が目前に迫り、婚約者である本物の王子は、明後日には王都に到着する手はずになっている。

 王宮に入り大臣の補佐官に任命されたのちに婚約を発表する。

 それから彼が輝かしい業績を残し、国民の信頼を勝ち取れば、私との結婚なんておまけのようなもので、お父様とお母様は、愛する我が子をようやく腕に抱けるというわけだ。


「姫様タオルをお持ちいたしました」


「汗を流したいの。軽くシャワーを浴びるから準備をお願い」


「かしこまりました」


 シンディアは一礼して部屋から退出する。

 着替えを用意しに行ったに違いない。これで次からはあらかじめ用意しておくようになる。

 別に私は細かいことを言うつもりはないけれど、それを良しとしないお目付け役がいるので、私の世話係は随分と気が付く娘ばかり。

 たまに可哀想になるけれど、彼女たちも仕事なのだからしょうがないと割り切る様にしている。私が責めるような真似はしないし、その代わりフォローもしない。


「最近はまた、ここに籠もられる時間が多くなっていらっしゃるような気が致します。どうかご自愛を」


 先ほどまて侍女が立っていた隣で、私の護衛を務めるカクが、面白くなさそうに閉まるドアを見つめた。


「彼女はどう?」


「と言われましても、まだ何とも……彼女の評価を付けるには早すぎます」


「そうね……ありがとう」


 早くすべてが終われば良いと思ってしまうから、誰も彼も怪しく見える。

 私が全然困っていない表情で

「困ったわね」


 と零すと、カクも


「全くです」


 と神妙な面持ちで頷いた。



「冷静にね、見極めなければね。私は王女なのだから」


 シャワー室に向かいながら独り言ちる私の呟きに、カクは決して頷かない。ただいつものように奥歯を噛み締め、喉ぼとけが上下した。



 私はシャワーを浴びながら考えた。



 もしも姫などになっていなかったら、今頃あの青年ともしくは別の誰かと、恋人としてあるいは友人として、心を通わすこともあったのだろうか。


「……ふふっ」


 ダメね。あまりにも想像出来なくて笑ってしまうわ。





 今から十六年前秋も深まる夜のこと。私は生まれようとしていた。

 母が秘密裏に迎え入れられた離宮で、王妃様の出産に合わせるべく薬を飲んで。

 苦しかったに違いない。でも耐えた。


 そして王子よりも少し遅れて私が生まれた。



 誕生日が近づく度に考えるの。

 私を手放す時、両親は少しでも寂しさを感じてくれたかしら。それは今でも同じかしら。

 私を思い出してくれることはあるかしら。


 彼らに私を娘と思う感覚はあるかしら。



 そして私にもその感覚はあるのかしら。


 
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