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夢に咲く花

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 その日、孝宏たちのやる事は一切なかった。


 事後処理は兵士たちの仕事であるし、生きたまま巨大蜘蛛を捕獲せよとの命令であるから殺す必要もない。捕まえるだけなら兵士だけで十分足りた。

 孝宏たちは今後何が起こるのかも分からないとして、休息を言い渡されている。なので与えられた部屋で休んでいるのだが、暇すぎるのも問題だった。
 飛行船の運航は再開されておらず先を急げるでもなしに、孝宏などは筋トレを始めたくらいだ。

 だが退屈を我慢できるのは一日が限度だった。

 次の日には飛行船の中を自由に動き回れるようになったものの、外出したくとも許可が下りず、五人の不満は増していったのである。

 そんな中軍が本部を置く飛行場に、とある男とその娘が尋ねてきたのは四日目のことだった。

 齢10になろうか娘は、両手で花飾りが付いた包みを大事そうに抱え疲れた表で、しかし時折はにかみながら父親に待ちきれない様子で何やら尋ねている。

 二人の目的はとある兵士に会うことだ。

 娘にどうしても会って礼が言いたいとせがまれ、男は未だ落ち着かない町をわざわざ歩いてここまで来た。
 時期に兵士達も一部の残して、町を発つと知ったからだ。
 男は兵士の一人に声をかけた。


「あの……すみません、会いたい兵士がいるのです。その人に礼がしたくここまで来ました。お忙しいのは重々承知しておりますが、何卒取り次いではもらえないでしょうか」


 兵士も決して暇ではなかったが、深々と頭を下げる親子を見るとそう無下にもできず、また未だ戦闘の爪跡残る町は恐ろしかったであろうに、礼も言えず帰らせるには忍びなく思った。


「あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?それからその兵士の名前や特徴とかを教えて下さい」


 パッと頭を上げる娘の表情は輝いていた。


「はい、ありがとうございます。私はナアラ・エイゴウ、こっちは娘のキョウカと申します。ただその方の名前は存じ上げないのです。家の中に入って来た蜘蛛の化け物から守ってくださった女性の兵士の方なのですが……ご存じではありませんか?」


「ああ……」


 今回、民間に被害が出た件数は少なかった。その中でも建物内への侵入を許したのにも関わらず、ただの一人も犠牲者を出さなかったのはたった一件だけだ。

 一晩にして兵士の間だけではあるが、有名になった女性が切り伏せたと聞いている。ちなみにこの兵士もその女性に心を寄せる一人だ。


「ああ、多分解りますよ。ただその前に……」


 兵士は娘が大事そうに抱える包みに視線を落とした。
 中を検めなければいけないのは規則だからだ。決して、小さな女の子に抱きつき喜ぶ彼女を想像し嫉妬したからではない。

 娘はもしや取られるのではないかと不安になり、包を背中に隠した。不安そうな瞳とぶつかる。


「少しだけそれの中身を確認するだけ。一応規則だからしなくちゃいけないんだ」


 何が少しだけなのか。自分で突っ込みながら慣れない作り笑いで娘に話しかける兵士に、父親は申し訳なさそうに頭を下げた。

 面会できるかどうかの確認もしなければならないだろう。
 兵士は上官に報告するために耳のカフスを弾いた。






 空港施設の片隅にある地下室。四方を白い壁に覆われた狭い部屋にコオユイを含めた三人が得体の知れない黒い塊を囲う。


「回収された蜘蛛とはまさか…………これじゃないよな?」


 コオユイは黒い塊を見下ろして言った。強面の眉間の皺が一層深くなる。

 睨まれた兵士は弱り顔で黒い固まりをもう一度見た。
 これはあの蜘蛛モドキには見えないが、確かに元は巨大蜘蛛だった死骸だ。コオユイが回収するよう命じて、兵士が始めに見たときはまだ生きていた物だ。


「生きていた個体を捕まえたんですが、見る間に溶けてしまい……」


「他には?」


「調べさせてますが、どうやら死骸も生きている個体も一斉にすべて溶けだしたそうで」


「先手を打たれたか」


「なんと……」


 コオユイの隣で笑みを浮かべる白衣の女は、報告を受け楽しみにして来た魔術研究所の所員だ。しかし、こちらは落胆するどころか、口元に薄っすら笑みを浮かべ、目の輝きを隠しきれないでいる。


「では溶けたものごと研究所に送りましょう。すでに魔術干渉は解けていますし、こちらで処理します。よろしいですか?」


 自分の手には余る、コオユイは目を細めた。


「あぁ、ぜひともそうしてくれ」


 所員はまだ解けきっていない塊の部分を袋に入れ、液状になってしまったものは魔術で器用に吸い上げガラスの瓶に入れる。それをその場で研究所に転送した。
 魔術が使えるならこれほどまでに早い。


「そう言えば例の卵の殻……のようなあれはどうなった?」


 火事になった役所から発見された、茶色と灰色のマーブル模様の卵の殻らしき物。発見時すでに中身はなく、そもそも卵であるかすら怪しいのだが、判断を委ねられたコオユイはあらゆる可能性を考え研究所に送ったのだ。

 まだ巨大蜘蛛が現れる前だった。


「結果が出るまでもうしばらく時間がかかるでしょう。何せ敵の魔法技術は我々の遥か先を行ってます…………悔しいですが……」


 所員の様子に悔しさも焦りも感じられなず、何がそんなに嬉しいのかコウユイにはさっぱり理解できなかった。


「あれは何だと考えている?」


「火の中で耐える生き物は限られておりますが、あれはそのどれのものでもありません。消火直後に確認されたのを踏まえると、あれは何者かがあえてあの場に置いたか、もしくは偶然燃え残ってしまった何かの一部か。今となっては蜘蛛との関連が疑われます」


「だがあれはあの蜘蛛が入るには小さいだろう。それに魔力残渣により疑わしいと、念の為送ったんだぞ?蜘蛛の巣をあそこまで見事に隠す敵がそんな物を置いていくだろかうか?」


 コオユイも所員の言い分が最もなのはわかっている。

 発見された当初はあくまでも念のため、火事の原因を探る手がかかりになるかもしれないという程度の認識だったのが、あれだけの巨大蜘蛛に襲われた後ではすべてが疑わしかった。

 孝宏たちの活躍により最悪の事態は免れたとはいえ、後手に回ってしまった感は否めず、せめて壁が間に合ったのが不幸中の幸いだった。

 敵の技術は間違いなくコウユイたちが考える以上の所にあるのだろう。

 十数年前は、アノ国がその立場にあった。
 もしもオウカがあのまま宮廷魔術師としてとどまっていてくれたら、今の状況は違っていたのかもしれない。それだけ魔女の損失は大きかったのだ。


「単純に考えればないでしょう。ですが敵は優れた魔法技術を使い巧みに罠を仕掛けてきました。隠された蜘蛛の巣もそうですが、一回で廃棄される転送陣かと思わせときながら実はそうではなく、その上、投入された生物兵器といえる蜘蛛の数は予想を遙かに超えるものでした。他にも、蜘蛛の動きも初めの出現時と違っていたという報告もあるそうじゃないですか。彼らが二重、三重に罠を仕掛けている可能性は大いにあります。もちろん、ただ焼け残ってしまった普通の卵の殻かもしれませんが」


 ありとあらゆる可能性がある。


「もしも誰かの細工であるなら、あの火事は放火の可能性が高くなるな。このことで国内の情勢がさらに不安定になる」


「そうなりますね。さらなる敵の侵入を許してしまったかもしれない……ということですね」


「殿下がいらっしゃる時にわざわざ、どうして……」


 これには所員も口を噤んだ。

 そもそも放火をすれば警備がますます酷くなることぐらい予想できただろうに、あえて実行したことになる。


「狙いは殿下ではないのでしょうか。それとも別の……目的が?」


 コオユイは難しい表情を一層歪めた。

 それこそ得体の知れない罠の予感しかなく、できればこれ以上頭を悩ます案件を抱えたくなかった。 


「失礼します!」


 兵士が訪問客のことを伝えにやって来たのは、そんな時だった。


「協力者方に面会希望ですが、いかがしますか?」


 コウユイはさっと表情を引き締めた。


「……どんな奴だ?」


「成人した男と少女の親子二名です。装飾が施された箱を所持しており、助けてもらったお礼を言いに来たとのことです」


「では、規則通りに確認した後に面会を許可しよう。ただし兵士が二名は同行しろ。決して目を離すな」


「はっ!」


 敬礼し出て行った兵士を見送り、所員もやるべきことがあると出て行った。

 何もなくなった床を見つめ、コオユイはぽつりと零した。


「王族の警護はもう少し楽だと思ったんだがなぁ……」


 任務を蔑ろにしているつもりはない。ただ本来の範疇をはるかに超えているとは考えていた。

 護衛対象は逃げるし、よく厄介事に遭遇するし、むしろ自ら厄介事に首を突っ込む。

 だだし、その厄介事がこれ程までに大事なのは初めてで、思っていた以上に複雑かつ自分の手には負えそうになく、コオユイの悩みの種は尽きそうにない。

 王政を敷いていても王の権限など、昔に比べると国政への影響は少なく、狙われる機会もグッと減っているはずなのだ。
 事実トラブルに遭遇する王族は、ヘルメルを置いて他にない。


 前線から退けられると思った過去の自分が恨めしい。
 やっている事はむしろ昔より増えている。

 何もないと油断し弛むよりは、軍人としてはマシなのかもしれないが…………



「あの……私も……」


 コオユイは表情を硬くする兵士と目が合って、ようやく一人でないと思い出した。


「今のは訊かなかった事にしてくれ。お前もご苦労だったな。持ち場に戻っていいぞ」


「はっ!」


 コオユイは忘れろと言ったが、実のところ、この兵士も全く同じ気持ちであった。

 この兵士に限らず、多くの者が同じ気持ちだったので、仮に話したところで問題はなかったかもしれない。





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