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夢に咲く花

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 誰かがかすかに息を飲む音が聞こえた。だが誰も手足を止めなかった。黙々とひたすら下へ、下へ降りていく。


「そう言えば、結局服は何に使ったの?」


 マリーは梯子を下りながら気になっていた事をカダンに尋ねた。カウルも気になっていたのか下から声がする。


「囮の人形を作った。俺たちの服は変態用だからそういった加工はし易いし、一時しのぎに誤魔化すくらいはできるかなって。奴らあんな見た目だけど、それなりの知性があったら厄介だろう?奴ら屋根から下に降りれないようだったし、どちらにしろ大丈夫だった思うけど、一応ね……」


「なるほど」


 上手く行っていると良いが、実際はどうだろうか。マリーは気になるが確かめようがない。  


 どのくらい降りただろう。マンホールは意外と深かったように思える。時間にして一分近くは下り続けたかもしれない。
 マリーは時折手を止め、下を見ては変わらぬ闇に眉を顰めた。無意識の内に緊張し、無駄に力んだ手が軽い痺れを覚え始める程に下りた時、かすかに人の話声が聞こえてきた。

 地下から聞こえる人々の声が怯え、潜めた声が不安を漏らす中、初めにカウルが下へ到達した。次にマリーが地面に足を付けると、カウルの手がさっと伸びて、マリーを脇に誘導する。最後にカダンが降りてきた。


「火の加護を受けた魔力を糧として地下を柔らかい光で照らせ。火が垂れ足元がから浮かび上がれ。熱くないし冷たくない。強くないし弱くない。継続的な光源であれ」


 カダンの長めの詠唱の後、カダンの掌から黄色の光がポロポロ零れ落ち始めた。

 それは瞬く間に人々の足元に広がり、アーチ状になっている壁を這いあがり、目に見えるすべての壁天井が、淡い光に覆われた。

 光に包まれ明るくなり見えたのは、決して広くない空間で大人や子供、小奇麗な格好をした者や薄汚れた服を纏う者たちが身を寄せあっている光景だった。
 淡い光でも暗闇に慣れた人々の目には眩しく、目を細め手をかざし、それでいて、三人の来訪者に視線を集中させていた。


「意外と………綺麗なのね」


 マリーは足元のすぐ横を流れる下水と、アーチを描くの天井を交互に見ながら言った。

 多くの人の視線を一斉に浴びて気後れしそうなのを誤魔化す為、わざと関係ないことを呟いたのだが、とはいえ嘘を言ったわけでなく、下水道は実際綺麗だった。

 確かに天井は、背の高いカウルなどは屈まないと立てない程に低く、境目がわかりにくいが水路でない通路は、三人が横並びになれば余裕はないどころか、一人は片足を水路に突っ込むだろう幅しかない。

 しかし、嫌な臭いもなく、地上の建物と違いレンガでなくコンクリートで固められ、壁に苔やカビが生えるわけでもなく、マリーが苦手とする小動物も息を潜めているのか気配すらない。


「魔法の効果だよ。下水は魔法で常に浄化されてるから、もしかしたら地上より綺麗かもね」


 カダンが小声で教えてくれる。良い意味で完全に期待を裏切られ、マリーは取りあえず胸を撫で下ろした。  


「おい、あんたたち。やはり上はまだあれがいるのかい?」


 マリーたちに真っ先に声をかけてきたのは、白髪頭の身なりの良い初老の男だった。男の問いかけにカウルが答え、カダンが続けた。


「はい、どうにも逃げきれなくて……」


「ざっと見ただけの感想ですが、数が増えてるかと……道だけでなく屋根の上にまで、奴ら現れましたし」


 一瞬狭い下水道内がざわついたが、次の瞬間には打って変わり重い沈黙が辺りを支配する。


「じゃあここも危ないかもしれないってことかい?」


 たまらず誰かが口にした。

 質問をしているようでその実、その者はすでに答えを出しているようであった。

 その場の誰もが、初めから逃げきれたと思っていなかった。だが、その誰かがあえてカダンに尋ねたのは、本当になってしまった時、その責任がまるで自分にあるのではないかと言う錯覚から逃げるためだ。

 自分が言葉に出してしまったが為に、あるいは考えてしまった為にアレが現れたと思いたくなくて、カダンに答えを出して欲しかったのだ。

 いないと言ってもいると言っても、カダンに批難の矛先を向けるだろう。人はズルい生き物だ。


「それは……」


 人々の思うところはカダンにも想像出来たが、どう答えるべきか迷って言葉が出ずに唇を噛んだ。

 結局のところカダンもこの人たちと大差ないのだ。解っていても恐ろしくてはっきり言えもしないくせに誤魔化す勇気すらない。
 沈黙したが為に、さらに淀んでいく雰囲気の中、マリーが笑顔を浮かべ言った。


「大丈夫ですよ、きっと」


 握った自身の拳を胸に当てる。背筋を伸ばし、ぷっくりと膨らんだ唇から白い歯をわずかに覗かせ、その笑みには自信すら伺える。


「小娘が何を根拠に」


 そんな彼女に向かい侮蔑を含み言った誰かを、咎める者は誰もいない。

 カウルとカダン以外は皆、マリーが適当に言っているだけと思っただろう。マリーの持つ剣の威力を知らぬであれば、当然と言えば当然だ。

 今の現状で冷静でいる者の方が少ない。

 若い娘が良かれと嘘を吐く。それが善意だろうが混乱を招くのであれば、彼らにとってそれは悪なのだ。人々の無言の非難がマリーに突き刺さる。
 マリーがそれを気付かない風体で、拳を握るその手に一層力を込めた。

 近くに巨大な蜘蛛がいない事はカダンには解っていた。これからも巨大蜘蛛が現れない確証はないが、このままではマリーが不憫だ。

 一度に多くの魔術を使えない忌々しい体も、魔力を使い切っていなかったのが幸いし、回復の速度は早い。今一度己を奮い立たせれば、探索の魔術を使って人々に見せるくらいはできるだろう。
 

「見通す目で、ここに繋がる下水道の全てを映しだせ」


 カダンにしては短い呪文を紡ぎ数秒後、人々の目前に立体映像が浮かび上がった。

 今いるこの下水道を写したもので、呪文の通りそこにあるすべてを映していた。
 カダンたちはもちろん、同じように避難した別の場所の人たちも見て取れる。カダンが動かせば天地を入れ替えることも大きくも小さくもできた。


「蜘蛛は少なくとも、今ここにはいない」


 カダンは下水道を人々が納得するよう念入りに、時間をかけて確認した。人か蜘蛛かは見分けが容易なのは幸いだった。


「でもこれから現れるってことは……」


「それはわかりません。ですが、これだけの人がいるのに、未だに姿を見せない辺り、可能性は低いと思います。もちろん絶対じゃないですし、罠も考えられます。ただ、あの蜘蛛たちは屋根の上から地上へ降りられない様子でしたし、少なくともマンホールを下りてくるのは難しいんじゃないかと思いますよ」


 絶対じゃない、罠だ。カダンはその部分だけはっきりと声を大きくして言ったが、人々はほっと息を吐いて表情を緩めた。


「そうか、そう……なら安心だが」


 カダンと初めに声をかけてきた初老の男が会話している横で、カウルはじっとカダンを見ていた。
 地上では辛そうにしていたが、今はまた余裕を見せている。多少は回復したのか、隠して平気を装っているだけか。どちらにしても思わしくない状況なのは変わらない。

 ルイがいない今、自分がやるしかないと思い込んでいる従兄が、カウルは心配で仕方なかった。

 カダンはカウルよりも物を知っているのかもしれないし、マリーよりも魔術を巧みに操る。しかしマリーの魔術も魔術師の資格を持つルイと同等とまではいかなくとも、ルイが一人で魔術を使うのを許可する程度の腕前を持つし、カウル自身も道具使えば制限なく魔術を使えたのだ。

 カウルは任せてくれたら良いのにと思いながら、兄弟も同然に育った従兄を見ていた。


「ねえ、じゃあ、このまま宿までいけるんじゃない?あ、でも上の地図がないから無理かなぁ」


 下水道の立体映像を眺めていたマリーがあっけらかんと口を挟んだ。

 緊張感がないとは言わないが、有事に巻き込まれているとは思えない程いつもの彼女だ。カダンやカウルでさえも一瞬ポカンと口を開きマリーを見る。

 いや、この二人と他の人々とでは驚いたポイントは違っていた。

 マリーの≪大丈夫ですよ、きっと≫と言う発言を、カウルとカダンの二人はマリーがここに残って人々を守ると言う意味合いを含めていると考えていたのだ。だからこそカダンは危険はないと証明して、マリーを説得したかったのだ。しかし、杞憂であったようだ。

 このまま宿に向かうのならば、どのみち地下水道の経路図は必要であったし、決して無駄ではなかったが疲労感が、ジワリとカダンの中に広がる。


「いや、場所は調べられるし、行こうと思えば行けるけど本当に良いの?マリーがそれを言い出すとは思わなかったよ」


「俺はてっきりここに残ると言い出すと思っていた」


 正直に言う二人に対し、マリーが不本意だと言わんばかりに首を横に振った。


「ルイとタカヒロに合流するのが先なんでしょう?そのぐらい解ってるんだから……ちゃんと……」


 最後尻すぼみに声が小さくなっていったのは、広場でも押し問答を思い出し方からだ。

 カウルとカダンがいう事は、実は一度は考えた、がすぐに諦めた。ならば皆で一緒に行動しようとも思ったが、そうなるとルイと孝宏を優先出来ない。

 彼らのことは彼ら自身に任せるしかない。
 マリーがそう結論付けるまでそう長くはかからなかったが、一度は考えたと二人に口が裂けても言えないなと、マリーはこっそりため息を吐いた。


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