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夢に咲く花
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「これを使おう」
肩に手を置かれ孝宏がハッとして振り返り見上げると、ナキイが立っていた。いつ戻ってきたのか、部屋に入ったかどうかも気が付いてはいなかった。
全体的に小さくなった印象を受ける上半身裸であるのも十分気になるのだが、孝宏の目を引いたのは、ナキイが差し出す茶色の物体だろう。
「えっと……これは何ですか?」
医者も匙を投げた。
ルイはこのまま死ぬのだと思っていた孝宏は、ナキイが差し出す物体が何のための物なのか、彼がどういうつもりでいるのか測りかねていた。
「テア山の滴だ」
≪テアサンノシズク≫
それが何か解らないが、苦しむくらいなら一思いに殺ってしまおうなどという、物騒な物ではないだろう。
何せナキイは、自分たちを身を挺して守り、ルイをおぶって病院まで運んでくれた恩人だ。外に出ていた間に助けになる方法を見つけてくれたのかもしれない。
孝宏は戸惑いながらも、ナキイに場所を明け渡した
ナキイはルイの首元まで被っている薄い布団を取ると、訝し気に眉をひそめ小さく声を漏らした。
「なっ……」
拭き取られていたが、濃灰色のニットは、首から胸にかけて黒くシミがあり、首筋にはわずかに拭き残した赤黒いものが掠れて残る。口を開けば白い歯が血でぬめる。
明らかに吐血した後であるが、弱々しくも呼吸もできているし喉の奥で詰まってもない。
ナキイはそこでふと、孝宏はこの事を知っているのかと気になった。
しかし聞くのも憚れる。余計なことを言って不安を煽るのは避けたかった。
ナキイは背後を気にしつつ、孝宏から血が見えないようさり気なく立ち位置を変えた。
ルイの服をめくり鎖骨部分まで白い肌を晒すと、ずっと握っていた茶色の小瓶の先を、片手で持ったまま、器用に親指でへし折る。
パキッと固い音を立て現れた口は、小瓶に見合って小さく、それでもそこから漂うツンと得も言われぬ臭いが鼻に付く。
ナキイはそれを胸の中心めがけて垂らした。
小瓶から無色の液体が垂れルイの肌に落ちるが、ベッドに流れ落ちるでもなく、すっと肌に吸い込まれ消えていく。
液体がすべて消えるまで、十秒もかからなかった。
「これでダメならもう打つ手はない」
孝宏にはその言葉が希望なのか、それとも最終宣告なのか判断が付かなかった。
孝宏がナキイを見上げた。
ナキイは眼光鋭く、口元はギュッと結ばれ、顔中の筋肉が強張っている。ある種の覚悟が滲み出ているようだ。
ナキイの真剣な、というよりは鬼気迫る表情に、孝宏は息を飲んだ。
彼を疑うつもりはなく、ただ恐ろしいことが起こったのではないかと、直感めいたものがふと脳裏を過っただけだ。
孝宏は何気なしに、というか、ほぼ無意識にナキイの右手首を両手で掴んだ。
色んな表情が入り混じり、自分自身でも整理が付かないまま出た行動だった。
随分と情けない顔をしていたのだろう。ナキイはやや表情を緩め、孝宏の両手に自身の左手を重ね、ぐっと握った。
「すまない。不安にさせるつもりではなかったんだ。この薬はありとあやゆる病気怪我、魔法効果までをも回復させてくれる……万能薬と言ったら解りやすいかな。状態異常の九割がこれ一つで対処可能な代物だ。これで対処できないケースは極わずか。非常に稀であるが故に、この町で対処できる施設はない」
ナキイはあえて一つの可能性を排除した。今更それを伝える必要はないと判断したからだが、孝宏はたまらず聞き返した。
「手遅れでなければ、ルイは助かるかもしれないって……ことですよね?」
ナキイはそれに対し、肯定も否定もせずに、黙ったままルイに視線を落とした。
一般的に魔術札の効果が比較的早く表れるのに対し、薬の効果が表れるまで多少の時間を要する。
魔術を用いれば、病気の種類や怪我の程度、患者の症状や状態によって、多少の差はあれど、短時間である程度回復するのが日常であるこの世界の住人にとっては、たとえたった数分でも密度の濃い時間になる。
ベッドの傍で膝を床に付き、孝宏は祈るような気持ちでルイを見ていた。
顔を苦しそうに歪めたまま変化はない。
顔の、特に目元は無数の傷にまみれ、血が滲み赤く腫れあがり、両手の指先は血に染まる。左の掌など真っ赤に爛れている。
薬が効いたとして、一体どのような変化があるのだろうか。
突然目を覚ますのか、逆に気がつかないほど緩やかに傷が治っていくのか。
孝宏は部屋の出入り口の横、壁に背を持たれて立っているナキイを振り向いた。
彼に詳しく聞いてみようと思ったが、どうも声をかけづらい。
ナキイも孝宏の視線に気づく様子はなく、かといってルイを注視しているわけでもない。虚空を映す瞳には、拒絶されているように感じる。
何ともどかしい時間なのだろう。
思いもよらない光が未来を照らし、僅かに湧いてしまった希望が、胸を締め付け苦しい。
どうなるのか分からないという事だけで、こんなにも恐ろしい。いつだって分からないことだらけだが、今、いつにも増して恐いのは一人だと思うからだ。
「大丈夫、大丈夫だ」
孝宏はプレッシャーに自分の心が負けてしまわない様、繰り返し自分に言い聞かした。
肩に手を置かれ孝宏がハッとして振り返り見上げると、ナキイが立っていた。いつ戻ってきたのか、部屋に入ったかどうかも気が付いてはいなかった。
全体的に小さくなった印象を受ける上半身裸であるのも十分気になるのだが、孝宏の目を引いたのは、ナキイが差し出す茶色の物体だろう。
「えっと……これは何ですか?」
医者も匙を投げた。
ルイはこのまま死ぬのだと思っていた孝宏は、ナキイが差し出す物体が何のための物なのか、彼がどういうつもりでいるのか測りかねていた。
「テア山の滴だ」
≪テアサンノシズク≫
それが何か解らないが、苦しむくらいなら一思いに殺ってしまおうなどという、物騒な物ではないだろう。
何せナキイは、自分たちを身を挺して守り、ルイをおぶって病院まで運んでくれた恩人だ。外に出ていた間に助けになる方法を見つけてくれたのかもしれない。
孝宏は戸惑いながらも、ナキイに場所を明け渡した
ナキイはルイの首元まで被っている薄い布団を取ると、訝し気に眉をひそめ小さく声を漏らした。
「なっ……」
拭き取られていたが、濃灰色のニットは、首から胸にかけて黒くシミがあり、首筋にはわずかに拭き残した赤黒いものが掠れて残る。口を開けば白い歯が血でぬめる。
明らかに吐血した後であるが、弱々しくも呼吸もできているし喉の奥で詰まってもない。
ナキイはそこでふと、孝宏はこの事を知っているのかと気になった。
しかし聞くのも憚れる。余計なことを言って不安を煽るのは避けたかった。
ナキイは背後を気にしつつ、孝宏から血が見えないようさり気なく立ち位置を変えた。
ルイの服をめくり鎖骨部分まで白い肌を晒すと、ずっと握っていた茶色の小瓶の先を、片手で持ったまま、器用に親指でへし折る。
パキッと固い音を立て現れた口は、小瓶に見合って小さく、それでもそこから漂うツンと得も言われぬ臭いが鼻に付く。
ナキイはそれを胸の中心めがけて垂らした。
小瓶から無色の液体が垂れルイの肌に落ちるが、ベッドに流れ落ちるでもなく、すっと肌に吸い込まれ消えていく。
液体がすべて消えるまで、十秒もかからなかった。
「これでダメならもう打つ手はない」
孝宏にはその言葉が希望なのか、それとも最終宣告なのか判断が付かなかった。
孝宏がナキイを見上げた。
ナキイは眼光鋭く、口元はギュッと結ばれ、顔中の筋肉が強張っている。ある種の覚悟が滲み出ているようだ。
ナキイの真剣な、というよりは鬼気迫る表情に、孝宏は息を飲んだ。
彼を疑うつもりはなく、ただ恐ろしいことが起こったのではないかと、直感めいたものがふと脳裏を過っただけだ。
孝宏は何気なしに、というか、ほぼ無意識にナキイの右手首を両手で掴んだ。
色んな表情が入り混じり、自分自身でも整理が付かないまま出た行動だった。
随分と情けない顔をしていたのだろう。ナキイはやや表情を緩め、孝宏の両手に自身の左手を重ね、ぐっと握った。
「すまない。不安にさせるつもりではなかったんだ。この薬はありとあやゆる病気怪我、魔法効果までをも回復させてくれる……万能薬と言ったら解りやすいかな。状態異常の九割がこれ一つで対処可能な代物だ。これで対処できないケースは極わずか。非常に稀であるが故に、この町で対処できる施設はない」
ナキイはあえて一つの可能性を排除した。今更それを伝える必要はないと判断したからだが、孝宏はたまらず聞き返した。
「手遅れでなければ、ルイは助かるかもしれないって……ことですよね?」
ナキイはそれに対し、肯定も否定もせずに、黙ったままルイに視線を落とした。
一般的に魔術札の効果が比較的早く表れるのに対し、薬の効果が表れるまで多少の時間を要する。
魔術を用いれば、病気の種類や怪我の程度、患者の症状や状態によって、多少の差はあれど、短時間である程度回復するのが日常であるこの世界の住人にとっては、たとえたった数分でも密度の濃い時間になる。
ベッドの傍で膝を床に付き、孝宏は祈るような気持ちでルイを見ていた。
顔を苦しそうに歪めたまま変化はない。
顔の、特に目元は無数の傷にまみれ、血が滲み赤く腫れあがり、両手の指先は血に染まる。左の掌など真っ赤に爛れている。
薬が効いたとして、一体どのような変化があるのだろうか。
突然目を覚ますのか、逆に気がつかないほど緩やかに傷が治っていくのか。
孝宏は部屋の出入り口の横、壁に背を持たれて立っているナキイを振り向いた。
彼に詳しく聞いてみようと思ったが、どうも声をかけづらい。
ナキイも孝宏の視線に気づく様子はなく、かといってルイを注視しているわけでもない。虚空を映す瞳には、拒絶されているように感じる。
何ともどかしい時間なのだろう。
思いもよらない光が未来を照らし、僅かに湧いてしまった希望が、胸を締め付け苦しい。
どうなるのか分からないという事だけで、こんなにも恐ろしい。いつだって分からないことだらけだが、今、いつにも増して恐いのは一人だと思うからだ。
「大丈夫、大丈夫だ」
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