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夢に咲く花
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しおりを挟む通りの反対側が騒がしいような気がして、ルイが顔を上げた。
音を拾おうとしたが、耳は布の中に納まっており上手く聞こえない。だからといって、掌を当てたとしても遠くの音を拾うのは困難だし、カダンならいざ知らず、純血ではないルイがこの距離で細かい音まで拾うのは、そもそも無理だっただろう。
次第に近づいてくる喧騒に、まばらな通行人の数人が顔を上げ一点を向いていく。何かが騒ぎながら、こちらに向かって来ているのは間違いない。
あの様子だと数秒の内にここに到達するだろう。ルイは通りの端に寄った。
だが孝宏はというと、騒ぎに全く気が付いておらず、通りの中ほどでぼうっと立ったままだ。
「またか」
気が付けばいつでもどこでもぼうっとして、周囲を全く気にしていない。孝宏のいつもの癖だ。だが本人にそのつもりはないようで、指摘しても≪そう≫とあいまいに頷くばかりで要領を得ない。
往来のど真ん中では、今回に限らず危ないことも多いだろう。
「タカヒロ、そこにいると危ないよ」
危ないからと、ルイが声をかけたが、時すでに遅く、追われ通りを失踪してきた男と孝宏はぶつかってしまった。
「でぇっ!!!!」
「すまない!」
走ってきた男に全く気が付いていなかったのだろう。孝宏は突き飛ばされ、全く受け身も取れず地面に頭を打ち付けた。ガンッっと頭を打つ音が、ルイの耳にまで届く。
近くで世間話に花を咲かせていた女たちも、男を上手く避けそのまま立ち去ろうとした通行人たちも、周囲の視線が一斉に音の方へ、孝宏と男に注がれた。
当の孝宏はと言うと、あまりの痛みに声も出せず、頭を抱え悶絶している。効果はないと解っていても頭を掻きむしり、痛みをこらえるのに必死になっている。
逆に男はよろけたものの転ばず、短い謝罪を口にしただけで、走るのを止めず、振り返ることすらしない。
「申し訳ないが、私は急いているのでこのまま失礼する。お前たち!私に代わって謝罪しておいてくれ!くれぐれも失礼のないように…………」
まばらとはいえ人通りのある中を、男は器用に素早くすり抜けていくものだから、言葉の最後は小さく、昼下がりの喧騒にかき消されてしまっている。
「っざけんな……ちょっと……ま、て……」
いくら掻き毟ったところで引かぬ痛みに目を回しつつ、孝宏は立ち去る男を探して顔を上げた。失礼とは何か男に問いたくとも、すでに人ごみに紛れどれが男か、目で追うのは叶わない。
「俺が対応する!皆は追ってくれ!」
男が走り去った後を、十数名の軍服の集団が追いかけ、その集団の後方を走る男が、前を急ぐ仲間に言った。
孝宏の横を通り過ぎる際、数人が短い謝罪を口にしていくが、それが仲間と孝宏のどちらに対するものか、または両方に対してなのかはわからない。だが、宣言通り集団の一人が立ち止まった。
他と恰好が違い私服だ。
(この人は兵士……じゃない?)
「私共の主人が大変失礼をしました。それで怪我の具合を……見せてもらっても…………よろしい……でしょうか」
明らかにサイズの小さい服を身にまとい、後ろに反り返る太く大きな角が特徴的な男。黄金に輝く瞳がまっすぐ孝宏を見下ろす。
瞬きを忘れた彼の瞳がギラリと艶を帯び、どうしてだか、冷えた金色に熱が籠る。
「えと、大丈夫です」
悲しい日本人の性なのか。謙遜こそが美徳とまでは言わないが、孝宏ははっきりと痛いと言うのを避け、不満を飲み込み、この時の、できるだけの作り笑いを浮かべた。
この時の孝宏は、頭が痛いかと聞かれれば確かに痛かったが、それよりも周囲の視線の方が気になって仕方がなかった。
早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られていた。
しかしこの角の生えた男、ナキイは孝宏の言う《大丈夫》に耳を貸さなかった。
孝宏の視線が右へ左へと泳いでいるのを見て、何を気にしているのか察したものの、何しろ≪くれぐれも≫と言われている以上、中途半端な真似をするわけにはいかなかった。
ここで引き下がって後で大事でもあったら、主人である男は激怒するだろうし、ナキイ自身もそのような事態は避けたかった。
「こういうのは甘く見ない方が良いです。今は何ともなくとも、数日後に何かしらの症状が出ることもあります。手足の痺れとか吐き気などはないですか?これ、何本に見えますか?」
ナキイは指を二本立てて、孝宏に見せた。
「二本です。打ったところが痛むだけで、後は……特に何ともないです」
当たり前のことを指摘され、孝宏は恥ずかしくなり俯いた。
頭を強く打った時は、安易に考えてはいけないと、昔あれほど言われていたのにすっかりしてしまった。
何しろ、頭を打つような日常から遠ざかって久しいのだ。無理もないだろう。
孝宏は地面に肘を付き、体を起こそうとしたが、思っていた以上に四肢に力が入らない。体がズシッと重く感じる。
(あ……ヤバいかも)
孝宏が頭を持ち上げ、肩が地面から離れたところで、ナキイが素早く孝宏の背中に手を差し入れた。
(え?)
孝宏は背中を支えられ、おかげで楽にはなったが、今度はナキイの膝を立てた足と胴の間に引き寄せられた。
胴がすっぽり納まり案外心地よいが、恥ずかしさはさっきの比ではない。
(逆にいえば、恥ずかしいのを我慢すれば、心地よいってことだけど、出来なさすぎてもう吐きそう)
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