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夢に咲く花

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「ロープを離すな!!!」


 突然カダンの怒号が響いた。

 カウルの手からロープがするりと抜け落ち、解放された牛が車目掛けて突進した。

 けれども、結界が牛の侵入を阻み、どおんと低い音を立て空気を震わせた。

 結界に顔を押し当て、息を荒げて唸る黒い塊は、沈みかけた真っ赤な太陽に横から照らされ、存在を恐ろしげに変貌させている。


「ひっ……」


 牛に対し恐怖を覚えた次の瞬間、孝宏の腹の奥で熱が渦巻いた。牛が低く唸る度、それに呼応して腹の中の鳥も身を捩る。

 孝宏は無意識に息を止め、腹を抱え、背中を丸めた。腹がひっくり返ったような苦しさと、じりじりと焼け付く熱さが孝宏を当時に襲う。


 息を吸おうと、口を開いた瞬間吐き出した自身の息に、オレンジ色の火の粉が混じる。

 咄嗟に口を手で覆ったが、一度堰を切ってしまっては、呼吸を止めることも叶わず、寧ろ、止めようと足掻く程、指の隙間から散る火の粉は増していった。


 ルイに貰った腕輪をしてから、凶鳥の兆しは実に大人しかった。

 一人で村に入った時は、環境が特殊だったと理解していたし、その証拠に、あの襲撃以来これが初めての事だ。

 今も驚きはしたものの、あの時程感情を揺さぶられてはいない。


(それともあれを基準にするのが間違いか……前はもっとちょっとした事でなったんだし)


 どちらにせよ、こんな場所で火を吐き出すわけにも、吹き出すわけにもいかない。

 今更自傷行為を隠す必要もないだろうと、孝宏は右腕の手首を思いっきり噛んだ。痛みがすべてを塗りつぶし、腹の疼きすらも痛みに上書きされる。

 歯が骨をゴリゴリと弄る痛みが心地よい。



「いきなりどうしたの!?」


「…………」


 孝宏は無言でマリーを見上げた。

 自傷行為で凶鳥の兆しの暴走が止まる事については、すでに皆に話してあった。

 ただ実際に傷を見たルイと違い、話を聞いただけのマリーでは、咄嗟にそれらが結びつかず、更に、暴走に対しどう対処すべきかもわからなかった。


 戸惑うマリーのひんやりとした手が孝宏の額を、それから頬を撫で、首に当てられた。


「信じらんない、何て熱さ……」


 それはおよそ人の体温ではなく、マリーの人としての本能が警鐘を鳴らした。それ故に、孝宏がマリーの手を払い、彼女の腹を軽く押した時も、逆らわず数歩後ろに下がった。


 結界の向こうでは暴れる牛を何とかしようと、カダンとカウルが躍起になっている。



「ルイ、牛を眠らせてくれ!このままじゃ、牛も無事に済まない!」


「もう何度もやったよ!でも全然効かないんだ!」


「とにかく、逃げない様にしろって!」


「だ・か・ら!やってるって!」


 凶鳥の兆しは大人しくなりはしなかったが、それでも幾分か気分が落ち着け、息を整え、孝宏は徐に顔を上げた。


 牛が相も変わらず、結界に顔を押し当てては、こちらを見下ろしている。牛の吐く息で結界壁が白く曇り、それがキラリと光る。


(あれは何だろう?)


 初めは太陽に反射したのかとも思った。しかし、目を凝らしよく見れば、牛の吐き出す息の中に、光る糸のようなものを見つけた。

 糸のようだが、体に絡むではなく、口の中からピンと張って伸びている。

 光る糸は牛の口から孝宏の横を通り、車の向こうへとつながっている。ちょうど、牛が突進している方だ。しかし 孝宏に光る糸の先を追う余裕はない。


 孝宏は深く考えず、光る糸に手の伸ばした。

 自身の吐き出す火の粉が指先に当たり、一際大きく散る。その時咄嗟に光の糸が焼き切れないかとも思ったが、火が小さすぎるのか、それとも糸が魔術の類でないのか、変化は訪れない。


(どうしよう……どうしたら……)


「タカヒロ大丈夫?どうしたの?」


「マリー、ルイに……牛の、口から……光る糸、がって……」


「糸?」

 
 マリーの目には糸はおろか、結界すらも見えていない。理解しがたい事ではあったが、マリーは孝宏が言った事をそのままルイに伝えた。するとルイは数秒の思案の後、牛たちに新しく魔術をかけた。


「すべてを絡み取る意図は風の糸。僕の操り糸は光の絃。解かれ紡がれ響き、すべてに行きわたれ」


 ルイの指先から放たれた光が、牛に巻き付いたかと思えば、次の瞬間、別の光の糸が四方に飛び散り消えた。

 すると今度は早かった。牛はとたんに動きを止め、低く唸り始めた。

 一歩二歩、結界から後ろに下がり、体を左右に振るう。前足を折り曲げ、後ろ足を曲げ、ゆっくりと地面にうつ伏し、数回の瞬きの後、瞼を閉じた。


(すげぇ、あっという間……)


 その様子を見届けると、ルイを含める一同が同時に息を吐き、体の力を抜いた。

 孝宏もまた、安堵と共に緊張の糸を解いたが、腹に抱えた苦しさは消えず、しばらくは立てそうにない。


 心配して声を掛けてくるカウルとルイに、大丈夫だと言って返すが、しばらく放っておいて欲しいと言うのが本音だ。

 熱が波のように押し寄せて、今は声を出すだけでも苦しくて仕方なかった。

 孝宏は体が膨張するかのような感覚に耐え、また、背中を小さく丸めた。


(ちょっと、これは、初めての感覚かな……)

 


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