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冬に咲く花

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 その時ガレキの合間を駆け抜けて来る、白く大きな獣が見えた。

 その獣は数メートル手前で孝宏の見知った少年に変化し、兵士の肩に手をかけた。


「タカヒロから離れてください。ヘンタイが伝染ったらどうするんですか」


「カダン、それは……」


(俺が、ヘンタイになるかも知れないって思ってるのか?それともこの世界では、ヘンタイは伝染病か何か?)


 言えなかったのは、決して肯定されるのを恐れたからではないはずだ。

 カダンの息は荒く、激しく胸が上下する。軽蔑がにじむ視線と、兵士の歓喜に満ちた視線が交差した。


「それは私への信頼の証しかい?」


 兵士が後ろを振り返ったところで、カダンが二人の間に体を滑り込ませた。孝宏が一歩後ろに下がると、合わせてカダンも一歩後ろに下がった。


「私たちは軽口を叩き合える関係になったんだね。嬉しいよ」


「別に他意はありません。俺の本心ですよ。ボウクウさん」


「ノンノン、ちゃんと名前で呼んで。ナルミーだよ、美しいカダン」


「よくもそんなことが言えますね。口先だけの人を、俺は信用しないと決めているんです」


「信用して良いさ。人魚は皆美しいと決まっている。君は美しくない人魚に出会ったことがあるのかい?」


「では、聞きますが、ボウクウさんは人魚に会ったことあるんですか?」


「ああ、もちろんだよ。私は美しいモノが好きだよ。美しいと聞いた者は全て見た。残念ながら、そうでないモノも中にはあったけどね。でも私が出会った人魚は皆美しかった」


 捻くれた見方をすれば仲が良くも思える彼らのやり取りを、孝宏は牛を挟んで眺めていた。

 身を屈めて牛の影に隠れると、牛が嫌がって離れた。


(前からの知り合いなのかな。わりと仲良さそうだ)


「貴方と言い合ってる時間はないんです」


「白い人魚は初めてだ。君は美しく輝いている。私が保証する」


「急ぐので、俺たちはこれで失礼します」


「観念して私のものになりたまえ」


「さあ、タカヒロ行こう。車を止める場所まで案内するよ」


 カダンが牛の影に隠れた、孝宏を見つけて言った。

 カダンは自身を称賛する台詞を語り続ける彼など、既に眼中にない様に振舞っているが、カダンはいつになく眩い笑顔を浮かべている。

 彼のこんな笑みを見るのは、台所での自己紹介以来だ。


「あの人はほっとくの?」


「タカヒロが気にする事じゃあないよ。さあ、行こう」


「ま、確かに俺は関係ないな」


 二人の事情を第三者が気にするなんて野暮というものだ。

 カウルがいないのでカダンが綱を引いたが、やはり、カウルでないとダメなのか、初めは牛たちも嫌がった。しかし、何度も言い聞かせるうちに観念したのか、カダンに付いて歩き始めた。

 あのナルミーという兵士も、ずっとカダンに喋りかけていたが、無視を決め込むカダンに肩をすくめ、その内先に行った。

 現在村の中に車が通れるだけの道幅はない。そのためぐるっと回り道をしなければならず、二人は来た道を戻り始めた。

 荒れた林の中、牛を引いて歩くカダンの斜め後ろを、孝宏は遅れないように早足でついて歩いた。

 ここも以前は緑生い茂る場所だったに違いないが、今は無残にもなぎ倒された木々が散乱している。

 緑の天井にポッカリと大きな穴が空き、赤く染まり始めた夕空が覗いていた。右手には木々の合間から、ソコトラ村が見える。


(こんな所来なければ良かった。鈴木さんと町に残ってた方が良かったかも)


 お腹を抑えるのはすっかり癖になっていた。感情の揺らぎは、腹の底の熱を刺激する。


 しばらく行くと向かって左側、数十メートル離れた所に、やけに薄暗く霞んで見える場所があった。

 折れた木々が折り重なる中に、大きく、何やら不気味な塊がある。

 孝宏たちが乗ってきた車と同じ位の塊だ。近づくにつれ強烈な腐敗臭が鼻につき、カダンが歩く速度を早めた。

 孝宏は塊が気になって、目を細めて見た。

 遠目ではっきりしないが、どうやらそれは橙色の毛を持つ獣のようだ。長い胴に長い毛、特徴が検問所での獣と重なる。

 塊の傍に落ちている物に気がついた。獣に比べると、随分と小さな塊が二つ、ある生き物の一部に見えた。背筋がゾッと凍った。

 視線を外せぬまま、孝宏は前を歩くカダンの裾を引いて尋ねた。


「カダン、あれは何?獣に見えるけど……」


 カダンはすぐさま孝宏の手を取って引き寄せた。立ち止まりかけた孝宏を急かし、早足にその場を通り過ぎようとしている。


「あれは今朝村を襲った獣。討伐されたのだけど、死んだ後に霧状の毒を噴出し始めてね。あれに近づくと体が溶けるらしくて、もう誰も近づけない」


 カダンは小さな声で《あの人も回収できない》と付け足した。


(やっぱり……あれが人間かよ)


 ここから見えた部位は二つ。残りの部位がどうなったかは想像に難くない。

 今朝からたった十数時間であそこまでなるのだから、毒の威力は驚異的と言える。僅かに触れただけで皮膚は焼けただれ、肉は腐り落ちるに違いない。

 昼間の検問所で殺すなと言われたのは、このためもあるのかもしれないと、孝宏は思った。

 幸いにも毒を撒き散らす獣ではなかったが、もしそうだったら今無事でいられなかったはずだ。

 胃が痙攣し口中に苦い物が広がった。孝宏はグッと唇を噛み背中を丸めて耐えたが、痙攣は収まらず、口を閉じていても嗚咽が漏れた。

 孝宏はズボンのポケットに手を入れた。あの日以来コール音の鳴らない、壊れた電話をギュッと握り締めた。

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