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冬に咲く花

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『猫が…チシャ猫が…』

「僕は猫じゃないよ」

 孝宏は額を軽く叩かれ目が覚めた。

 ぼやける視界に初めに見えたのは、目前に迫る人の顔。
 絵の具で塗りたくったような真っ赤な髪に三角の耳。
 太陽とは無縁の白い肌に艶やかな長髪の男。最近どこかで見た顔だ。

 男は不機嫌に顔をしかめて、白いタオルを持っていた。額にヒヤリとしたタオルが優しく乗せられる。

「僕は狼だ。猫又と一緒にするなよ。見ろ、尻尾だってフサフサで立派だろ?」

「ああ確かに。でもそんな尻尾の猫もいるだろ」

「猫又に長毛種はいないよ」

 孝宏は寝ぼけた頭で答え、あることに気付きゾッとした。

『俺今、変な言葉喋ったかな……?』

「お前何言ってんの。異世界の言葉なんて、僕は知らないんだから、この国言葉で喋りなよ。さっきみたいにさ」

『喋って俺……何で?』

「ああもう。皆呼んでくるから、そこから動かないでね」

 要領の得ない孝宏の態度は、男を苛立たせた。

 孝宏が寝ていたすぐ左脇には扉があり、男はそこから外に出て行った。

「それで何でか俺も変な言葉を喋るんだよ」

 これは夢の続きかも知れない。

 孝宏は深いため息を吐いた。 


 木製の四脚のイスとテーブル。
 床は木の板が組敷かれているが、細長い台を堺に灰色の石畳に代わり、奥には扉と、よく見えないが釜戸らしき物がある。

 腰の高さほどの瓶が三個並び、野菜が積まれた籠が石畳に直に置かれていた。
 その向かいに食器が並んだ棚があり、細長い台の上には蓋はされていたが、良い香りの漂う鍋が置かれている。

 テーブルの上には、男が飲んでいたのだろう、白いポットとカップが置かれていた。

『どう見ても台所だよな』

 孝宏は台所の角に寝かされていた。

 背中が痛くないのは下に敷かれた簡易ベッドのおかげだろう。
 シーツでくるまれているが、日に干された草の香りがする。

 簡易ベッドを囲うように、床に白いインクで数字と見知らぬ文字とが書かれていた。

 それらが何を意味しているのか、孝宏が知るところではない。
 怪しげな儀式にも見えるが額のタオルは心地よく、少なくとも身の危険はないと気を緩めた。

 男に言われたとおり、孝宏が動かずじっとしていると、数分で数人の見知らぬ男女を引き連れ、男は戻ってきた。

 得げに笑みを浮かべ、さっきとは随分と態度が違う。

「ああ、本当。目を覚ましてる」

「良かった。覚えてるかな。あの後熱出して寝込んでたんだよ」

「いや、安心した。本当に」

「僕が付ききっきり看病したんだから当然だよ」

「皆さん。一応病み上がりですし、そう囲んでは彼も怯えています。それから自己紹介しませんと、おそらく状況を把握していないかと……」

 矢継ぎ早に降ってくる言葉に、一人が首を傾げた。

「え?勇者だし大丈夫だよね」

 白い髪の毛の少年の、一見トンチンカンな発言対し、孝宏はちょっとだけ嘘を吐いた。

「いえ、全く、何が何やら……」


 本当に恐ろしいのだが、孝宏は知っている事があった。



 周囲に集まったのは五人。
 床に書かれた文字に沿って、その内に入らないように並んで立った。

 栗色の髪の女性と赤髪の同じ顔の男が二人、片割れは初めにここにいた男だ。

 それと黒髪の大人の男と、白い短髪の同い年くらいの少年。

 ふと思い出した記憶があった。
 浴室で会った三人は確かこの人達だ。

「もしかして、風呂場であった人?」

 孝宏は白人女性と坊主頭の猫耳男を指差した。

「混乱していたと思ってたが、さすが勇者だな」

「は?」

 この人たちの間で、病人を勇者と呼ぶ習慣がある、訳ではあるまい。
 違和感を感じているのは、孝宏だけのようで、疑問に思っていそうなのは誰もいない。

「元気になったらさ。世界を救う旅に出ような、勇者!」

 白髪の少年から本気のキラキラが、瞳から溢れている。
 握手を交わし満面の笑みで手を握ったまま、上下に激しく振った。

(こいつマジか……)

 本音を隠し笑顔を作り、腕を引っ込めた。

 これはやはり夢の続きかも知れないと、孝宏は内心舌打ちする。

    何せ不思議な事に、孝宏は彼の話が本当になると知っていた。


 ここは地球ではない異世界で、彼らは異世界の住人で、自分こそがここでは異世界人なのだ。

 孝宏自身、突拍子もない考えだと思っているが、否定したいのが不思議なほど、脳裏に深く刻み込まれていた。



 ここは《大いなる神》と呼ばれる世界。

 地球とは異次元に存在する別の世界。

 地球にはない言語を操り、魔法を生活の基礎とする、御伽の世界。



 孝宏はここがどこか、彼らが自分たちとは違う人間だと知っている。


「それでも俺は勇者じゃない」


 孝宏は独りごちた。

 どうして知っているかなんて考えるのはしない。

 既に迷いこんだ身としてはやることは一つだ。

「俺、家に帰りたいです。どうすれば戻れますか?」
 
 やっと掴んだ幸福を逃すわけにはいかなかった。
 それには自分の青春のすべてが詰まっているのだ。

「あなた気持ちはわかるけどね、無理よ」

 座りこんだままの孝宏を見下ろして、栗色の髪の女が言った。前で腕を組み、心なしか表情が硬い。

「現時点で異世界を渡る方法なんてないの。だってそうでしょう?地球にそんな方法があるなんて聞いたことある?」

「でもここは地球じゃないです。魔法の世界です。それに俺は現に異世界を渡って来ているんですから、こちらから地球に行く道がないなんて考えられないんです」

「あるかもしれない、でも現時点では知らないし、わからないって言ってるの。だいたい何?助けてもらったんだから、礼くらい言ったらどうなの?あなた死にかけていたのよ」

 女の声が徐々に強くなっていく。明らかに孝宏に対して不満を持ち、それを隠そうとしていない。


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