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冬に咲く花

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 孝宏が意識を取り戻した時、クラスメイトの木下との待ち合わせの為に、家を出たところまでは覚えていた。
 だがそれ以降の記憶はない。

(か、体が動かない!?)

 孝宏は目が覚めてすぐ、体の不自由さに気がついた。
 力を入れても、体は命令通りに動いてくれず、指先が僅か程にも動かない。

(くそ!?どうなって……てか誰だよ、こんな事すんのは!?)

 事故にあったにしては意識がはっきりしすぎている、と孝宏は思った。

 ならば夢でもないし、誰かに拘束されたのだろうと思い込み、いるかもわからない犯人に腹を立てる。

 仮に犯人がいたとして、重力を足に感じるのだから、立ったまま拘束されているのだろう。

 しかし、だとするとかなり特殊な拘束具合だ。体のどこも、一ミリたりとも動かせないでいるのだ。手足を単純に拘束するのはもちろん、縛ったとしてもこうはならない。
 土に埋められているとしても、鼻が無理でも口からは一応息はできるのだから奇妙な話だ。その口も僅かに隙間が開いているだけで、上手く言葉を発せられない。どうにか声を出そうとしても情けない音がこぼれるばかりだった。

 当然恐怖はあった。もし全身が固まっていなければ、震えてまともに立つ事さえできなかっただろう。けれども俺の人生短かったな、と振り返るような真似はしたくなかった。

 孝宏の、あらゆる感情が黒く塗りつぶされていく。どうしたら助かるのかとか、逃げるにはどうすべきかとか、考える隙間もなくなった。とにかく助けを呼ばなくては、孝宏はとありったけの力を腹に込めた。

「あぇぇぇぇ……ヴァアァァァ………」

 やはり小さな叫びは、言葉にすらならなかった。

 今の孝宏にとって、口のわずかな隙間がほぼ唯一の呼吸器官である。頑張って声を出そうとすれば、酸素を補うのに十分とはいえず、酷く息苦しく意識が朦朧とする。
 孝宏は何度も気を失い、目が覚めては助けを求めて、また気を失った。

 そうしている内にいくらか時間が経過しているらしかった。もう何度目かもわからない振り絞った声が、カラカラに乾いた喉に響く。唯一の武器も、これではもう役に立ちそうにない。それでも諦められないと、孝宏は掠れた叫びを繰り返した。

 それからさらに何度か気を失って、どれほどの時間が経っただろうか。とうに声は出なくなっていた。喉の奥が焼けたように痛く、飲み込む唾すら出てこない。

 そんな時だった。不意に何かを叩く音がした。硬質な音が二回ずつ、執拗に繰り返す。音は自身の側頭部、耳のあたりから聞こえてくる。疲弊し鉛と化した意識で、孝宏が自分への合図だと気が付くまで多少の時間を要した。

 孝宏はなんとか合図に答えようと、必死に腹筋に力を入れたが、空気が溢れるばかりで肝心の声が出ない。だが相手にはそれで十分だったようだ。
 音が止んだ。そして横に倒されたかと思えば、上下左右に激しく揺れた。不意に止まり、ほっとしたのもつかの間、上下逆さまになる。少なくとも丁寧な扱いではない。最後にうつ伏せに斜めにされ逆さまよりずっとマシと、孝宏はホッと胸を撫でおろした。

 ふと、相手が自分を殺しに来たのではないか、と孝宏は考えた。
 自分は誰かに拘束されていたのだから、これが助けとはかぎらない。もしそうだとしても、文字通り手も足も出ないのだからなす術はないのだが。
 どうか助けであってほしい。強く願いながら、時間にして五分もないだろう短い間、孝宏はまるで生きた心地がしなかった。


(なんだろう……暖かい)

 別に体が冷えているわけではない。季節にして今は夏のはずだ。先ほどまでも別に寒くはなかった。となれば、自分が暑い場所に連れて行かれたに違いない。

(外?炎天下で放置されてるとか?)

 孝宏が初めに異変を感じたのは足先だった。他の場所より感じる温度が明らかに高く、緊張した筋肉がほぐれていく。足の指が動き、次に膝が崩れた。バランスを崩した体は、支えを失い前へ倒れ込んだが、すにさま誰かが孝宏を抱き留めた。
 その誰かはゆっくりと孝宏を座らせる。その時には孝宏の両手の感覚は戻っていた。動かせば柔らかく温かな液体を指に感じる。

(お湯に浸かっているのか)

 頭がじんわりと温くなり両腕が自由になった。上半身の拘束が緩くなると同時に、体を支えられず再び前に倒れ込んだ。孝宏は一瞬だけキュッと身を縮こまらせたが、先ほどとは違い安心感がある。体の力を抜く。

「大丈夫?」

 少し高めの男の声。先ほどと同じく誰かが支えてくれている。視界の白が弱り、白の向こう側の景色がぼんやりと現れ始めた。

「無理しないで、俺に寄りかかって」

 相手の男は孝宏と一緒に、お湯に浸かっているようだった。男は腕を孝宏の背中に回さし支え、もう一方の腕で孝宏にお湯を頭からかけていた。

「あ……」

 礼を言いたかったが、掠れて声が出ない。すると男は喋らなくて良いよと言った。

 冷静になってくれば口の中が湿って、乾いた喉に染み入ってむしろ痛い。

(温めると動けるとか、氷かよ)

 孝宏は漫画などで見る冷凍人間を思い出し心の中で笑った。本当はそんなものあるはずはないのだが、もしそうなら不思議体験でテレビに出れるかもしれない、などと気楽な事を考える。そんな事とは裏腹に、自由になった孝宏の四肢は震えていた。


 数分後孝宏の視界はすっかりクリアになっていた。呼吸も無理なくできるし、瞬きもできる。鼻に無理やりお湯を流し込んだ時はツーンとした痛みに涙が出たが、その時だけで今は痛まない。

「もう大丈夫だよ。安心して」

 孝宏を支えている男が言った。向かい合う格好で抱えられている為、男の顔は孝宏から見えない。視界の端に、白髪が見えた。染めているのか、それとも声からは想像もつかない程年配の男なのか。


 そこはやはり浴室であった。木製の床と壁、浴槽まで木で出来ており、まるで時代劇にでも出てきそうな風体だ。浴室の出入り口に男女が二人立っている。視線が合うと安堵したように笑みを零した。
 女の方は栗色の長髪と、ほりの深いはっきりとした顔立ち。日に焼けたのか肌が赤くなっている。
 奇妙なのは男の方だった。上背があり、日に焼けた小麦色の肌。それに加えて絵の具で塗りたくったような赤い髪に三角のピンと立った耳と尻尾。
 昔ネットで見た動く猫耳なる物があったが、あれは一目で作り物とわかる風体をしていたし、耳の横に黒く四角い物体がついていた。男の耳にはそれがない。それどころかカチューシャすら見つけられない。髪が一センチも伸びていない頭に、耳は違和感なく乗っている。

「あんた、大丈夫か?…その…随分と……アレだぞ」

 猫耳男は汁塗れで、だらしなく緩み切った孝宏の顔を、何と表現して良いのか解らなかったようだ。男の猫耳がへニョと垂れ下がり、赤毛の尻尾が迷い子のように、ゆっくりと左右に揺れた。猫耳男の反応で、孝宏も自分の惨状に何となくだが察しが付く。

「大丈夫です」

 孝宏が返事を返した。ようやく声が出たものの、掠れマトモに音になっているかも怪しい声は、孝宏を抱える男にしか聞こえなかったらしい。頭の後ろから通訳が入った。

「大丈夫だって。良かったなカウル」

「ああ、安心したよ。着替えどうしようか。俺たちの服は大きそうだ」

「それなら、俺のを持ってきてよ。多分同じくらいだと思う」

 猫耳の男が短く返事をして奥へを消えた。それに続いて女の方も行ってしまい、広い浴室がカランとする。



 浴室の入り口の奥、外からいくつかの声が聞こえて来た。聞こえてきたのは会話のようで、言葉の端々が耳に届く。

―そこじゃ……!―
―もん……に置いて…………―
―わ……をもっと敷き詰め―

 遠くの声が、この場の静けさを余計に際立たせた。

 孝宏は静寂が心地良かった。無理して喋らなくてはという、義務にも似た焦りもない。


―パシャン・・・パシャン・・・―


 頭に水がそっとかかった。二、三回身をかけ、次に掌で優しく撫でられる。少しくすぐったいが、手つきは優しく、孝宏は自然と力が抜けた。

「眠いのか」

 特に返事を求めるものではない。孝宏も返事はしなかった。だるかったし、男がい言う通りにとても眠かった。








 御伽の世界なんて可笑しな夢だ。早く起きなきゃ。

 二年かけて、ようやくこぎつけたデートなんだよ。木下が待ってくれてるといいな……



 俺は夢を見た。

 人の言葉を喋る木が、喋る二足歩行の猫とじゃれる。赤毛のチシャ猫が意地悪く笑う夢。

 自由を奪われ、未来を奪われる夢を見たんだ。








「カダン、準備が出来た」

 カウルが着替えを持って戻っ来た時、孝宏の準備もほぼ終わっていた。ぐでっとカダンに体重を預ける孝宏を見て、カウルは一瞬ぎくりとしたが、ただ寝ているだけと知りほっと胸を撫で下ろした。

「……こっちも粗方洗い流したよ。息も安定してるし、中で詰まってる事もないと思う。藁はたっぷり敷いた?」

「もちろん、むしろ羨ましい位フッカフカだ。敷き布は使い古しのものだが別に良いだろう?」

「ルイは何してる?」

「あいつは医者と一緒に魔法陣を描いてる。あいつが放置したのが原因だからな、たっぷり働いてもらうさ」

「ははっ!そうだな。ルイには責任もっての面倒を見てもらおう」

「それがいいな。それくらいしないとあいつは堪えないし」

 身内が原因の死者など笑えない。そんな事態を回避できそうで、二人はようやく笑い合った。
 ルイに一切の面倒を任せると言うのは冗談でも何でもなく、二人とも本気で、これからの数日間孝宏の世話をルイに任せるつもりだ。ルイは寝不足必須なのだが、二人に手伝うつもりは一欠けらとてない。冗談めかしていても、容赦ないのは、逆に身内故ともいえる。

「じゃあ、着替えさせるから、カウルも手伝って。俺一人じゃ大変そう」

「わかった。カダンの分も持ってきたから、着替えろよ」

「うん、ありがとう」

「こいつが勇者ね。世界を救うなんて、こんなひょろくて大丈夫なんだろうな?」


 その問に答えを持つ者は誰もいなかった。

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