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第一章 たそがれの女助け人
一の八
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香流隼人は小源太に庭に回るように手で指図してから、まっさきに隠れ家の玄関に飛び込んだ。
「御用だ、神妙に縛につけ!」普段のぼそぼそと喋る香流とは思えぬ、腹に響くようなよく通る声で叫んだ。
まだ玄関にいたおためは、突然の出来事に土間に腰をぬかして、上がり框にいた中年の恰幅のいい商人風の男は、驚きつつもさっと玄関脇の部屋に飛び込んだ。
その達磨のような影を追って、香流は土足のまま部屋に入った。
同時に雨戸を引き倒して、小源太と卯之助が居間に駆けあがった
そこには、
「ひい、ふう……、四人か、思っていたよりもちょっと多いな」卯之助が十手の先で人数を数える。
「悪人には友多し、とはよく言ったもんだ」余裕をにじませて香流が言った。
さっき玄関にいた商人風の男がいて、他に人足風の男がふたり、最後の男は牢人であった。
そこは八畳ばかりの広さの板敷きで、商人風のも人足風のも武器はもっておらず、素手で腰を落として身構えている。三人とも、戦う姿勢というよりも、逃げ出す隙をうかがうような格好である。
そうして、牢人がゆらりと陽炎がたちのぼるように立ちあがった。
「先生、金井先生、なんとかしてくださいよ」商人風の中年が牢人に言った。
「馬鹿言え。八丁堀なんぞ斬ったら、獄門だよ」金井と呼ばれた牢人がこめかみを指で掻きながら答えた。
「八丁堀でなくても獄門ですよ。斬らなくてもいいから、追い払ってください」
「ちぇ、しょうがねえなあ」
握った十手の先を相手につきつけたまま、香流が小源太に言う。
「同心は下手人を捕まえる時に十手しかつかえねえ定めだ。相手が刀だと分が悪い。蝙蝠羽織、牢人の相手をしてくれ」
「うん、かまいませんよ」
「じゃあ、頼む」
香流は金井が部屋の中央に出てきたのを避けるように、部屋の壁づたいに奥の三人に近づいた。
金井が、抜き打ちに香流に斬りかかる。
本気ではなく、威嚇のようであった。
刃風を避けるように香流がちょっと後戻りしたところへ、刀を抜きつつ小源太が間に割って入った。
縁側から差し込む西日で照らされ、金井が目を細めて小源太を見た。決闘相手を睨んで威嚇するようではなく、値踏みをするような目つきだった。
「なんだ?お前女か」金井があきれたように言った。
「女で悪いか」むっとして小源太が返した。
「悪かないが、女を斬ったことがないからなあ」
「なら、女と思わなくていい」
「まあ、そんな男姿だからなあ」
金井は、歳は四十くらいだろうか、見る角度によっては三十くらいにも見えるし、本当の年齢は判然としない。背丈は人並みで、やせ型の体躯で、月代はぼさぼさに髪が伸びほうだいで、こけた頬に無精髭をはやして、ちょっと垂れた目で小源太を見つめる眼差しは、女を蠱惑しようとするような嫌らしい色が浮かんでいる。
一見して、こいつは女遊びをしなれているな、と小源太は感じた。
「ここはちょっと狭い、よかったら、外に出ないか」
「ああ」
と小源太が答えた時には、金井は横っ飛びに飛んで、雨戸を蹴倒して庭に飛び出した。
小源太がさっと体を翻して追った。
すぐさま、後ろの部屋のほうで、怒号と悲鳴が入り混じった。香流と卯之助が誘拐犯達に挑んだのだろう。
牢人金井は刀を脇に、だらりとたらしたまま、やる気があるのかないのか、ゆったりとした様子で、小源太に対峙している。
小源太はゆだんなく正眼に構えた。金井がどういう太刀筋の剣術をふるうのか、まるで見当がつかない。
「お前さん、何流だい」金井が訊いてきた。
「一羽流だ」
「諸岡一羽の?へえ、始めて立ち合うよ」
「あなたは?」
「うん、俺かい。まあ、あれやこれやといろいろの流派をごちゃまぜにね。おっと、名乗りがまだだったね、俺は金井半兵衛《かない はんべえ》」
「栗栖小源太」
「いや、本当の名前を訊きたいんだけどな。まあ、知りたければ私を倒してみな、ってところかね」
「そんなところだ」
「じゃ、いくぜ」
言い終わらぬうちに、金井の剣がひらめいた。小源太には、視界の外から急に飛んできたように見えた。その下から襲ってきた剣を、小源太は飛び退って躱した。躱した転瞬にバネのように前に跳んで、刀を上段から斬り下げた。
金井もまたバネのような強靭さで、後ろに跳ねて躱した。
ふたりはまたもとのように構え、お互いの出方をうかがうように見つめ合った。息の詰まる重苦しい空気がふたりの全身を包んでいる。
そこへ、家のなかから、香流に追われた商人風の男が飛び出てきた。
それを潮合いにするように、
「やめた」
金井が刀を鞘におさめた。いぶかる小源太をよそに、興ざめしたような顔で金井は見返してくる。
「ちょ、ちょっと先生、どういうつもりですかっ?」商人風の男が食ってかかった。
「どういうもなにも、俺は若いふたりの熱い想いに打たれて手を貸したんだ。かどわかしの片棒を担ぐつもりなんぞはなっからありゃしねえ」
「そ、そんないまさら」
「じゃあな」と小源太に手を振って、「縁があったらまた会おうや」
金井半兵衛は、踵を返すと竹垣を飛び越えて消えていった。
「御用だ、神妙に縛につけ!」普段のぼそぼそと喋る香流とは思えぬ、腹に響くようなよく通る声で叫んだ。
まだ玄関にいたおためは、突然の出来事に土間に腰をぬかして、上がり框にいた中年の恰幅のいい商人風の男は、驚きつつもさっと玄関脇の部屋に飛び込んだ。
その達磨のような影を追って、香流は土足のまま部屋に入った。
同時に雨戸を引き倒して、小源太と卯之助が居間に駆けあがった
そこには、
「ひい、ふう……、四人か、思っていたよりもちょっと多いな」卯之助が十手の先で人数を数える。
「悪人には友多し、とはよく言ったもんだ」余裕をにじませて香流が言った。
さっき玄関にいた商人風の男がいて、他に人足風の男がふたり、最後の男は牢人であった。
そこは八畳ばかりの広さの板敷きで、商人風のも人足風のも武器はもっておらず、素手で腰を落として身構えている。三人とも、戦う姿勢というよりも、逃げ出す隙をうかがうような格好である。
そうして、牢人がゆらりと陽炎がたちのぼるように立ちあがった。
「先生、金井先生、なんとかしてくださいよ」商人風の中年が牢人に言った。
「馬鹿言え。八丁堀なんぞ斬ったら、獄門だよ」金井と呼ばれた牢人がこめかみを指で掻きながら答えた。
「八丁堀でなくても獄門ですよ。斬らなくてもいいから、追い払ってください」
「ちぇ、しょうがねえなあ」
握った十手の先を相手につきつけたまま、香流が小源太に言う。
「同心は下手人を捕まえる時に十手しかつかえねえ定めだ。相手が刀だと分が悪い。蝙蝠羽織、牢人の相手をしてくれ」
「うん、かまいませんよ」
「じゃあ、頼む」
香流は金井が部屋の中央に出てきたのを避けるように、部屋の壁づたいに奥の三人に近づいた。
金井が、抜き打ちに香流に斬りかかる。
本気ではなく、威嚇のようであった。
刃風を避けるように香流がちょっと後戻りしたところへ、刀を抜きつつ小源太が間に割って入った。
縁側から差し込む西日で照らされ、金井が目を細めて小源太を見た。決闘相手を睨んで威嚇するようではなく、値踏みをするような目つきだった。
「なんだ?お前女か」金井があきれたように言った。
「女で悪いか」むっとして小源太が返した。
「悪かないが、女を斬ったことがないからなあ」
「なら、女と思わなくていい」
「まあ、そんな男姿だからなあ」
金井は、歳は四十くらいだろうか、見る角度によっては三十くらいにも見えるし、本当の年齢は判然としない。背丈は人並みで、やせ型の体躯で、月代はぼさぼさに髪が伸びほうだいで、こけた頬に無精髭をはやして、ちょっと垂れた目で小源太を見つめる眼差しは、女を蠱惑しようとするような嫌らしい色が浮かんでいる。
一見して、こいつは女遊びをしなれているな、と小源太は感じた。
「ここはちょっと狭い、よかったら、外に出ないか」
「ああ」
と小源太が答えた時には、金井は横っ飛びに飛んで、雨戸を蹴倒して庭に飛び出した。
小源太がさっと体を翻して追った。
すぐさま、後ろの部屋のほうで、怒号と悲鳴が入り混じった。香流と卯之助が誘拐犯達に挑んだのだろう。
牢人金井は刀を脇に、だらりとたらしたまま、やる気があるのかないのか、ゆったりとした様子で、小源太に対峙している。
小源太はゆだんなく正眼に構えた。金井がどういう太刀筋の剣術をふるうのか、まるで見当がつかない。
「お前さん、何流だい」金井が訊いてきた。
「一羽流だ」
「諸岡一羽の?へえ、始めて立ち合うよ」
「あなたは?」
「うん、俺かい。まあ、あれやこれやといろいろの流派をごちゃまぜにね。おっと、名乗りがまだだったね、俺は金井半兵衛《かない はんべえ》」
「栗栖小源太」
「いや、本当の名前を訊きたいんだけどな。まあ、知りたければ私を倒してみな、ってところかね」
「そんなところだ」
「じゃ、いくぜ」
言い終わらぬうちに、金井の剣がひらめいた。小源太には、視界の外から急に飛んできたように見えた。その下から襲ってきた剣を、小源太は飛び退って躱した。躱した転瞬にバネのように前に跳んで、刀を上段から斬り下げた。
金井もまたバネのような強靭さで、後ろに跳ねて躱した。
ふたりはまたもとのように構え、お互いの出方をうかがうように見つめ合った。息の詰まる重苦しい空気がふたりの全身を包んでいる。
そこへ、家のなかから、香流に追われた商人風の男が飛び出てきた。
それを潮合いにするように、
「やめた」
金井が刀を鞘におさめた。いぶかる小源太をよそに、興ざめしたような顔で金井は見返してくる。
「ちょ、ちょっと先生、どういうつもりですかっ?」商人風の男が食ってかかった。
「どういうもなにも、俺は若いふたりの熱い想いに打たれて手を貸したんだ。かどわかしの片棒を担ぐつもりなんぞはなっからありゃしねえ」
「そ、そんないまさら」
「じゃあな」と小源太に手を振って、「縁があったらまた会おうや」
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