上 下
1 / 19
第一章 たそがれの女助け人

一の一

しおりを挟む
 栗栖小源太くりす こげんたが女だということは、長屋の連中は誰でもみんな知っている。

 一番奥の部屋に住むほとんど寝たきりの彦六じいさんも、いつも酒臭い息をしている遊び人の熊蔵も、笑いながら路地を駆け回っているお転婆のおひろ・・・坊すら知っている。
 知っていながら、まああんな人間も広い世の中にはいるだろう、ということにいつかなって、長屋の連中は小源太を男として扱うようになっていた。
 小源太が越してきた最初のうちは腫れ物に触るように接していたのに、女でないということになれば、自然、皆の小源太に対する態度はぞんざいになる。

「あらダンナ」
 隣のかみさんのおしま・・・が洗濯の手をとめて、房楊枝を噛みながら井戸端へ近づく小源太をちょっと侮蔑するような目で見た。
「お天道てんと様はとっくに頭の上ですよ。今頃起きてくるなんて、いいご身分ですね」

 井戸端で洗濯しているかみさんたちがどっと笑った。
 小源太は照れたようにうなじをなでながら、そっちへ行って、口をすすいだ。
 着流しで豊かな総髪を後ろで束ねて、どこから見ても男にしか見えない、と彼女自身は信じているのだが、しかし、世間の目というものはそうたやすく欺けるものでもないようだ。

「やあおはよう。いやこんにちは。みんなご精がでるね」

 小源太は房楊枝を口から出して、せいいっぱい男らしく溝にぺっと唾をはいた。
 (本当は紅穂べにほという名であるが)小源太は、丸顔に大きくもなく小さくもない目をしていて、高くもなく低くもない鼻が真ん中にあって、唇はちょっと厚めで、言ってみれば十人並みの顔立ちをしていた。しかしそれは女としてであって、男の姿でいると、なぜかかえって十八という年頃の、女性としての色香のようなものがにじみ出てしまい、ある種異様なまでの、まばゆいような印象を見る者にあたえ、顔の造作も層倍に美しく見えるものらしいのだった。

「昨日はずいぶん遅いお帰りだったみたいじゃないの」「ずいぶん遅いって、もう木戸が開いてから帰って来てたわよ」「あらそ、午前様どころの話じゃないわね」「なんですか、いい人でもどこかにいるんじゃないの、ダンナ」

 かみさん連が勝手なことをお喋りするのへ、小源太は、
「ば、馬鹿を言うんじゃあない。仕事だよ。用心棒の」

「あら、まだ続けてるんですか、どこでしたっけ」
「玉木屋さんでしょ、日本橋の」
「柳原でしょう。太物屋だったわよね」
「古着屋ですよ」
「まあ」小源太はかみさんたちの話に割り込むように、「大家のじいさんが侍らしい仕事を世話してくれたんでな、せっかくの厚意をむげにはできんからな、はりきって努めねばならん」
「ま、侍らしい、ですって」
 あきれたように言ったおしまの言葉に、かみさんたちはいっせいにどっと笑った。

 そのからかうような笑声にむっとしながら、小源太は口をすすいで、部屋に戻った。
 戸を閉めても、まだかみさん達は小源太を肴にしてお喋りに興じている。

 さて、と薄暗い部屋を眺めながら、今日は日本橋まで足を延ばさなくてはならないな、と小源太は思った。

 普段の用心棒の仕事は夕方から玉木屋に詰めることになっているのだが、今日は玉木屋の娘おりょうの琴の稽古の送り迎えに日本橋まで行かなくてはいけない。
 送って行ったついでにその辺りで、また兄を探してみようと考えていた。
 そういうきっかけがあるときばかりではない、小源太は、買い物に行く道すがら、仕事場への行き帰り、とにかく道を歩けば兄を探していた。
 誰それが似ていると聞けば何里でも走り顔を確かめに行ったし、前から歩いてくる牢人ろうにん(浪人)の背格好が兄に似ていれば、無遠慮に笠の下を覗き込んだ。
 仕事先でも近所の八百屋でも、兄の名を伝えてあったし、そうしていれば、噂がどんどん広まっていって、自分が探していることが兄にいつか伝わるかもしれないと一縷の望みをかけていた。

 兄冬至郎とうじろうが、父の仇を捜し、京にある大叔父の道場を出奔してもう四年近く経つ。
 彼を追って小源太が江戸に出てきて三カ月ばかり。
 いっこうに、手がかりの尻尾すらつかめる気配がなく、小源太はいらだちが澱のように心の底につのっていくのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

第一機動部隊

桑名 裕輝
歴史・時代
突如アメリカ軍陸上攻撃機によって帝都が壊滅的損害を受けた後に宣戦布告を受けた大日本帝国。 祖国のため、そして愛する者のため大日本帝国の精鋭である第一機動部隊が米国太平洋艦隊重要拠点グアムを叩く。

処理中です...