53 / 72
第四章 たたかうやつら
四ノ六 行幸
しおりを挟む
京からまっすぐ南下すると、巨椋池という千年後には消滅している湖のように大きな池にぶつかる。
そのまま池を渡って南岸へと到達するルートもあったろうが、たいていは無理をせず街道沿いに東へと池を迂回し、宇治へといたる。
宇治は、保養地のような場所で、ここには平安貴族たちの別荘が多く建てられていた。
「おそらく、天子様は、道長の別荘であるところの宇治殿(のちの平等院)で一泊されることであろう。そこで宇治川を渡るのに、宇治橋を通るであろうことは容易に想像がつく。橋を渡るときに襲えば、敵は兵の展開がしづらい」
あやめが街道の道端にはえた楢の木の下で、茨木と最後の打ち合わせをしていた。
すでに、土蜘蛛配下の配置はすんでいる。
宇治川は南東から北西へと流れていて、つまり宇治橋は北東から南西へとかかっている。
その南西側の街道沿いに点在する、草むらや藪、雑木林のなかに、百数十人もの盗賊たちが息をひそめて、天皇の行列を待ちかまえているのである。
「まったく姐さんも思いきったものだ。百人以上も手下をこの作戦に投入するんだからな。京の隠れ家はみんなからっぽになっちまったんじゃねえの」
「やるときは遠慮も躊躇もなく、全兵力を投入する。中途半端な人数で戦いを挑んでは、勝利の確率が激減するでのう」
「いや、作戦の成否もあるが、今度の行幸自体が、敵の罠なんじゃないか、という危惧を、俺は捨てきれないんだ」
「安心せい。この行幸は出発直前までひた隠しに隠されておった。それを、うちの諜者が苦心のすえ探り出したものじゃ。われらを罠にはめるつもりなら、もっと大大的に喧伝するはずだからの」
「俺達は一度、罠にはめられて痛い目にあっているからな。あの時だって、罠であるとは、これぽっちも思いはしなかった」
「そう案ずるな。罠なら罠で、粉砕すればいいだけのことよ。偵察も抜かりなし。この辺り一帯に兵を潜ませている形跡すらない。道長の別荘までほど近いこの場所で、まさか行列を襲うなどとは、誰も予想だにしていまい」
「天子の御輿が橋を渡ったことろで、俺達が飛びだして取り囲む。同時に橋杭や橋桁に巻き付けてある藁に火矢を打ち込む。橋を燃やして行列を分断し、天子をかっさらう。これでいいんだな。単純すぎやしないか」
「作戦は単純なほうが柔軟に対処しやすい」
川には、ひっきりなしに荷船や漁舟が行き来していて、街道にはちらほらと京へ向かって行く人、奈良へと向かう人が往来している。
空は綺麗に晴れているし、小鳥のさえずりもやむことがない。
のんきな風景である。
これから起こる大騒動を、誰も予想だにしていないだろう。
と、人の姿がぱたりと途切れた。
「そろそろ来るようじゃ。では、よろしゅうにな」
あやめが雑木林の奥へと姿を消していく。
茨木も楢の木陰に身をひそめる。
ここから橋のたもとまでは、五十メートル。
その橋をじっと見つめる。
しんと静まり返る。
不思議と鳥の鳴き声すらやんだ。
橋板を鳴らしながら、先頭の馬が数騎歩いてくる。
まっさきに見えるは、にっくき渡辺綱。
綱は橋をわたると、馬首を南へと向かわせた。
予想通り、道長の別荘へと向かうようだ。
茨木のいる林の前からは、遠ざかって、林に隠れてすぐに姿がみえなくなった。
続いてものものしい武官、きらびやかな衣装を身にまとった貴人たちが続く。
まるで雲の上の人人の姿。
見続けていると、めまいがしそうなほどのまばゆい光景。
――ふざけやがって。
茨木はつぶやいた。
庶民が食うや食わずの生活を送っているというのに、こいつら雲上人は下界の暮らしなどおかまいなしに、湯水のごとく金銭をつかい、無駄に瀟洒な着物を着、食いきれず捨てるほどの食事を毎日食う。
茨木の目の前にあるのは、そんな吐き気をもよおすような光景であった。
そのまま池を渡って南岸へと到達するルートもあったろうが、たいていは無理をせず街道沿いに東へと池を迂回し、宇治へといたる。
宇治は、保養地のような場所で、ここには平安貴族たちの別荘が多く建てられていた。
「おそらく、天子様は、道長の別荘であるところの宇治殿(のちの平等院)で一泊されることであろう。そこで宇治川を渡るのに、宇治橋を通るであろうことは容易に想像がつく。橋を渡るときに襲えば、敵は兵の展開がしづらい」
あやめが街道の道端にはえた楢の木の下で、茨木と最後の打ち合わせをしていた。
すでに、土蜘蛛配下の配置はすんでいる。
宇治川は南東から北西へと流れていて、つまり宇治橋は北東から南西へとかかっている。
その南西側の街道沿いに点在する、草むらや藪、雑木林のなかに、百数十人もの盗賊たちが息をひそめて、天皇の行列を待ちかまえているのである。
「まったく姐さんも思いきったものだ。百人以上も手下をこの作戦に投入するんだからな。京の隠れ家はみんなからっぽになっちまったんじゃねえの」
「やるときは遠慮も躊躇もなく、全兵力を投入する。中途半端な人数で戦いを挑んでは、勝利の確率が激減するでのう」
「いや、作戦の成否もあるが、今度の行幸自体が、敵の罠なんじゃないか、という危惧を、俺は捨てきれないんだ」
「安心せい。この行幸は出発直前までひた隠しに隠されておった。それを、うちの諜者が苦心のすえ探り出したものじゃ。われらを罠にはめるつもりなら、もっと大大的に喧伝するはずだからの」
「俺達は一度、罠にはめられて痛い目にあっているからな。あの時だって、罠であるとは、これぽっちも思いはしなかった」
「そう案ずるな。罠なら罠で、粉砕すればいいだけのことよ。偵察も抜かりなし。この辺り一帯に兵を潜ませている形跡すらない。道長の別荘までほど近いこの場所で、まさか行列を襲うなどとは、誰も予想だにしていまい」
「天子の御輿が橋を渡ったことろで、俺達が飛びだして取り囲む。同時に橋杭や橋桁に巻き付けてある藁に火矢を打ち込む。橋を燃やして行列を分断し、天子をかっさらう。これでいいんだな。単純すぎやしないか」
「作戦は単純なほうが柔軟に対処しやすい」
川には、ひっきりなしに荷船や漁舟が行き来していて、街道にはちらほらと京へ向かって行く人、奈良へと向かう人が往来している。
空は綺麗に晴れているし、小鳥のさえずりもやむことがない。
のんきな風景である。
これから起こる大騒動を、誰も予想だにしていないだろう。
と、人の姿がぱたりと途切れた。
「そろそろ来るようじゃ。では、よろしゅうにな」
あやめが雑木林の奥へと姿を消していく。
茨木も楢の木陰に身をひそめる。
ここから橋のたもとまでは、五十メートル。
その橋をじっと見つめる。
しんと静まり返る。
不思議と鳥の鳴き声すらやんだ。
橋板を鳴らしながら、先頭の馬が数騎歩いてくる。
まっさきに見えるは、にっくき渡辺綱。
綱は橋をわたると、馬首を南へと向かわせた。
予想通り、道長の別荘へと向かうようだ。
茨木のいる林の前からは、遠ざかって、林に隠れてすぐに姿がみえなくなった。
続いてものものしい武官、きらびやかな衣装を身にまとった貴人たちが続く。
まるで雲の上の人人の姿。
見続けていると、めまいがしそうなほどのまばゆい光景。
――ふざけやがって。
茨木はつぶやいた。
庶民が食うや食わずの生活を送っているというのに、こいつら雲上人は下界の暮らしなどおかまいなしに、湯水のごとく金銭をつかい、無駄に瀟洒な着物を着、食いきれず捨てるほどの食事を毎日食う。
茨木の目の前にあるのは、そんな吐き気をもよおすような光景であった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
雪のしずく
優木悠
歴史・時代
――雪が降る。しんしんと。――
平井新左衛門は、逐電した村人蓮次を追う任務を命じられる。蓮次は幕閣に直訴するための訴状を持っており、それを手に入れなくてはならない。新左衛門は中山道を進み、蓮次を探し出す。が、訴状が手に入らないまま、江戸へと道行きを共にするのであったが……。
大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー
ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。
軍人になる為に、学校に入学した
主人公の田中昴。
厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。
そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。
※この作品は、残酷な描写があります。
※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。
※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。
日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―
優木悠
歴史・時代
―男装の助け人、江戸を駈ける!―
栗栖小源太が女であることを隠し、兄の消息を追って江戸に出てきたのは慶安二年の暮れのこと。
それから三カ月、助っ人稼業で糊口をしのぎながら兄をさがす小源太であったが、やがて由井正雪一党の陰謀に巻き込まれてゆく。
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
明治仕舞屋顛末記
祐*
歴史・時代
大政奉還から十余年。年号が明治に変わってしばらく過ぎて、人々の移ろいとともに、動乱の傷跡まで忘れられようとしていた。
東京府と名を変えた江戸の片隅に、騒動を求めて動乱に留まる輩の吹き溜まり、寄場長屋が在る。
そこで、『仕舞屋』と呼ばれる裏稼業を営む一人の青年がいた。
彼の名は、手島隆二。またの名を、《鬼手》の隆二。
金払いさえ良ければ、鬼神のごとき強さで何にでも『仕舞』をつけてきた仕舞屋《鬼手》の元に舞い込んだ、やくざ者からの依頼。
破格の報酬に胸躍らせたのも束の間、調べを進めるにしたがって、その背景には旧時代の因縁が絡み合い、出会った志士《影虎》とともに、やがて《鬼手》は、己の過去に向き合いながら、新時代に生きる道を切り開いていく。
*明治初期、史実・実在した歴史上の人物を交えて描かれる 創 作 時代小説です
*登場する実在の人物、出来事などは、筆者の見解や解釈も交えており、フィクションとしてお楽しみください
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる