湖水のかなた

優木悠

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第六章 湖のほとり

六の四

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 その家は、木々に囲まれていたが、二百坪ほどの開けた敷地の隅に建っていて、六間に五間くらいの大きさの百姓家だった。
 浪士たちはまだ起きているようだった。雨戸の隙間から行燈の光がわずかに漏れ出て見えた。
 段取りとしては、まず、信十郎ともうひとりが家の玄関から様子をうかがい、合図とともにいっせいに表から雨戸を押し破って踏み込む手はずになっていた。
 足音を忍ばせて、信十郎と広山という恰幅のいい隊士が、正面の右端にある玄関に近づいた。
 入口の両側にふたりは張りつくようにたち、そっと戸を開けようとしてみたが、予想どおり鍵がかかっていた。
 家のなかからは、男たちの話声が聞こえて来ていた。自分たちの居所が新選組につかまれているとは思いもしていないようで、大声で話したり、声を合わせるように笑っていたりしていた。
 信十郎の手はまた大きく震えはじめていた。その手で、どうにかこうにか、刀を抜いた。
 広山に目くばせをし、敷地を囲んで待機している隊士たちに合図をおくる。数人の隊士が、腰をかがめてそっと近づき雨戸の前にたった。平助や栄太もいる。
 信十郎と広山は少しさがった。不思議と吐き気と震えは収まっていた。気持ちが、目前の戦いに集中しはじめていたのだった。
 ふたりはうなずきあうと、勢いよく戸板に体当たりをした。
 けたたましい音がして戸が倒れ、倒れる戸とともに、信十郎たちも土間に倒れ込んだ。
 その土間のかまどの前に立っていたひとりの浪士が、ぎょっとしてこちらをみた。
 居間のほうでは、なんだ、なにごとだ、といっせいに慌てだし、どたどたと足をふみならす音が聞こえてきた。
 平助たちも、雨戸を押し倒して飛びこんだ。
「新選組だ。御用改めだ」
 平助の声とともに、乱闘がはじまった。
 浪士たちは五人。こちらは十数人いたのだが、家に飛びこめたのは、信十郎をあわせても六人ほどだった。
 いっせいに家に飛びこんで身動きがとれなくなってもしかたがないので、ほかの隊士たちは家の周りで待機していたのだった。
 信十郎と広山は、まだ土間にうつぶせに転がっていた。そこへ、最初に見かけた男が刀を抜いて襲いかかってきた。
 田舎造りの家で、天井は高く土間も広く、刀をふりまわすのに充分な空間があった。
 信十郎は立ちあがりつつ刀を構え、振りおろされる刀を、鍔元で受けとめた。
 横合いから、広山が男に攻撃する。
 だが、男は信十郎と鍔迫り合いをしたまま、広山のみぞおちに蹴りをいれたのだった。勢いがついていた広山にとってはそうとうな痛撃だっただろう。後ろによろけて、壁にもたれかかってうめいた。
 信十郎は押されて、戸口から外へさがっていくしかなかった。
 外に出た途端、男が足ばらいをしかけてきた。ずいぶん足癖の悪い男である。信十郎はその足をかわした。男が重心を崩した。信十郎は重なっていた刀をはずすと、袈裟がけに斬りおろした。
 男は叫び声もあげず、膝から崩れ落ちたのだった。
「待て、小畑っ」
 家のなかから、平助の悲鳴のような叫びが聞こえた。
 信十郎は素早くそちらに顔をむけた。
 囲炉裏の切られた居間で、平助の脇をすべるように通り越し、栄太が、三人で背中あわせに固まっていた浪士たちに向かって、突き進んでいた。
 栄太は、ひとりの間合いに入ると、刀を抜き放った。
 八双に構えていた浪士の、その刀が振りおろされるよりも、ずっと早く、その胴が栄太の居合で切り裂かれていた。
 栄太ののびきった身体の、その背中に向けて、横にいた浪士が刀を振りおろした。
「あっ」
 栄太は驚愕した。
 だが、直後、飛びこんできた平助が、浪士を斬りあげた。
 浪士は、ふっ飛ばされて後ろの板戸を倒して、隣の部屋に転がった。
 もうひとりの浪士は、他の隊士ふたりに、前後から貫かれていた。
 ぎゃっ、と聞こえたのは家の裏からで、おそらく裏口から逃げ出した浪士が、待ち伏せしていた隊士に斬られたものだろう。
 瞬く間に、戦闘が終わった。
 たしかに平助が語ったように、こんなものか、と信十郎は思った。
 そして、気が抜けた瞬間、激しい吐き気が襲ってきた。信十郎は庭の隅まで走って、吐いた。手には、人を斬った時の感触が、まざまざと残っていた。
「はじめて人を斬ったのか」
 信十郎のあとをついてきた広山が、背中をさすってくれながら、訊いた。
「まあ、しばらくは、斬った時の感触が忘れられんぞ。飯を食うたびに、あの感触を思い出すぞ」
 云って広山は、突き出た腹を揺らして笑うのだった。
 その笑い声の向こうの、家の前から、
「この馬鹿野郎っ」
 平助の怒声が聞こえてきた。
 同時に、栄太が頬を殴られて、地面に尻餅をついていた。
 栄太の顔が驚愕して固まっているのが、月明かりでもよく見えた。
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