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第六話
しおりを挟む宮城に来てからひと月が経った頃、
「勝手にあがらせてもらって悪いけど、外の人たちに姿を見られるわけにはいかないから」
「――連油」
散歩から戻ってくると、意外な人物が待っていた。
「会いに来るのが遅くなってごめんなさい」
おそらく後宮から抜け出してきたのだろう、地味な色合いの外套を羽織り、フードで顔を隠している。彼女が動くたび、外套の隙間から、金色の豪華な絹の衣が見え隠れしていた。
「あー、あんたの顔見たらほっとした。意外に元気そうじゃない」
「連油こそ、何かあったの?」
後宮内で働く宮女たちは、よほどのことがない限り、外へは出てこない。というより、無断外出は許されていないはずだ。ましてや連油は上級宮女、いくら敷地内とはいえ、このことが知れたら――
「一応、楊様には許可を頂いているのよ。あんたを無理やりここへ連れてきたのはあたしなんだから。きちんと落とし前を着けようと思って。さあ、あたしを打つなり、罵るなり、好きにして」
生真面目で潔い連油の態度に、私は毒気を抜かれ、次の瞬間には笑い出していた。
「連油ったら、本当にどうしたの?」
「珊瑚は……あたしのこと、怒ってないの?」
そりゃあ、ちょっとは傷ついたけど。
「仮に連油が何もしなくても、私はどのみち、ここへ連れてこられたと思うし」
「でもあんた、翡翠のことが好きなんでしょ? まだ忘れられないんでしょ? それなのに、陛下の番に選ばれて――辛くはないの?」
答えをはぐらかすように、私は笑って聞き返す。
「連油こそ、どうなの? 今の暮らしは幸せ?」
「もちろんっ……って言いたいところだけど、実はけっこうキツくて」
おおかた、名家出身の宮女たちにいびられて、ここに逃げてきたに違いない。
地方出身というだけで、芋女だの田舎娘だのと、馬鹿にしてくるのだから。
「新人いじめ?」
「まあ、そんな感じ。でも、いいの。自業自得だから。あんたを利用して甘い汁を吸おうとした報いよ」
よくよく見れば、目元が赤く腫れている。
少し前まで泣いていたのだろう。
「上級宮女たちって、すごいのよ。みんな綺麗で、教養があって、何一つミスしないの」
「でも中身はドロドロしてそう」
それよっ、と連油も鼻息を荒く食いつく。
「優しい笑顔の裏で、常に同僚の粗探しをしてるんだから」
宮女時代、下級宮女だった私は上級宮女たちに相手にもされなかったけれど、それはそれで幸運だったのだと今更ながら気づく。
「足の引っ張り合いなんて日常茶飯事だし。この前なんて、陛下にお声をかけられただけで、晴れ着を台無しにされた子もいたわ。ひどい時なんて、髪の毛を切られるのよ。しかも寝ているあいだに」
――こわっ。
「思うに、みんな陛下のお美しさにやられちゃうのよ。妻にはなれないって分かってても、毎日にように陛下のおそばにいるせいか、もしかしたら……なんて妄想しちゃうのよね。だから少しでも陛下に近づきたくて、宮女同士で争うの」
――へぇ、そうなんだ。
「もっとも私は、そんな心配しなくていいんだけど」
ふっと暗い表情を浮かべて、自嘲するように連油は言った。
「陛下にお声をかけられるどころか、視界にすら入れないし」
後宮に上がってもうひと月が経つというのに、このままでは、青帝陛下に存在すら認知されないのではないかと、連油はしくしく泣き出してしまう。
「あー、泣かないでよ、連油」
村一番の美人で、姐御肌だった連油が、ここまで打ちのめされるとは。
おそるべき魔窟――後宮。
「あんたが後宮に入らなくてよかったわ。じゃなきゃ、陛下に横恋慕してる女たちに蜂の巣にされちゃうもの」
もしかして、時を遡る前、陛下が私を部屋に軟禁したのは、番に対する独占欲ではなく、周囲の悪意から私の身を守るため――私の身を案じてのことかもしれない。そんな考えが頭をよぎり、居た堪れなくなってしまう。
「そりゃ、都の女は綺麗でそつがないかもしれないけど、田舎娘には田舎娘の良さがあるって」
少しでも連油を元気付けたくて、私は力をこめて言った。
「たとえば?」
「世間慣れしてないとことか? 物事を完璧にこなすんじゃなくて、むしろドジるくらいが可愛いかも」
って、確か翡翠はそう言ってた。
「ドジる……ドジるか。使えそうね、それ」
何やら物騒な顔つきでぶつぶつ呟く連油を見、違う意味で不安を覚える。
私の部屋でたらふく愚痴をこぼしてスッキリしたのか、「そろそろ後宮に戻らなきゃ」と連油はいそいそと帰り支度をはじめた。いつの間に脱ぎ捨てたのか、地面に落とした外套を拾い上げ、ほこりを払う。
「じゃあ、また来るから」
――また来るんだ。
***
「――報告は以上となります、陛下」
青帝の執務室にて、本日の業務を終えた楊が、いそいそと退室しようとすると、即座に待ったがかかった。
「番の報告がまだだ」
またか、と楊は冷や汗を流しながら青帝に向き直る。
「数時間前にご報告申し上げたばかりですが」
「今は、どうしている?」
詰問されて、胃をキリキリさせながら答える。
「散歩を終えて部屋に戻られている頃かと」
「護衛は付けているだろうな」
人ならざる、龍のような双眸を向けられて、
「ええ、もちろん、番様に気づかれないよう、こっそりと」
めいっぱい、力をこめて答える。
老い先短い身の上とはいえ、長生きはしたい。そして死ぬ時は安らかに、眠るように死にたい。
間違っても、このようなところで殺されるわけにはいかない。
――他国では、番を殺された神獣が、わずか七日で自国を滅ぼしたという。
怒りと悲しみのあまり我を失い、連日嵐を発生させ、民を食い殺したという話は有名だ。
神獣は番を愛し、番に執着する。そのように神に作られたからだ。
同時に、番は諸刃の剣。
――番を害する者を、神獣は決して許さない。
民を殺し、国を滅ぼすことさえ、厭わないほど。
「何をそんなに震えておる?」
「風が冷たくなってきたせいか、少々寒気がしておりまして」
咄嗟にごまかすものの、身体の震えは止まらない。
歯までガチガチと震えだす始末だ。
「あれにもしものことがあれば――わかっているだろうな?」
重々承知しておりますと、楊は平伏して額を地面にこすりつけた。
「全ては、陛下の御心のままに」
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