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10 忍び寄る足音

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 そして――数が“二百”を越えた頃。

「…………」

 少年は目を閉じていた。
 眠っているのではない。
 もしそれができるのなら、どれだけ楽だっただろうか。
 目を開けることにすら気だるさを感じながら、少年は早く終わってくれ――と願い、瞼に力を入れ続けていた。
 それに、何人かに一人、目を刺激するような放屁をする人もいので、その対策でもあるようだ。
 すると、その少年へ、

「ねえ、もしかして、眠っちゃってるの?」

 幼さの残る声で、少女が尋ねるが、少年は返事をしなかった。――否、できないのだ。
 少年は口を開閉しているのだが、

「……ぁ、……ぃ」

 酔っ払いのうわごとのような少年の声は、周囲にいる人たちの話し声で、かき消されてしまっている。
 だが、少女は何か聞き取ったのか、少年の声に反応した。

「もしかして。何か、言ってる?」

「……な、……ぁぃ」

「ごめんね、聞き取れなかったよ。もう一度、言ってもらえる?」

 少女は申し訳なさそうな表情を少年に向ける。
 すると、

「……ぇん、……な、……ぁい」

「えん、な、あい?」

 少女は言いながら、考えるように首をひねり、

「あ! もしかして……、ごめんなさい?」

 手をぽんと打って尋ねる少女。
 すると、少年は頷いたのか、首を力を少し抜く。
 少女は少年の反応を見ると、安堵するように、大きく息を吐いた。

「別に、いいのに」

「……?」

 少女の言葉に、少年は首を上げる。

「そこまでしなくても、いいんだよ」

「……?」

 少女の言葉に、少年は思わずと言った風に薄く目を開く。
 その視界の端には、相変わらずの長蛇の列が見えて、少年は顔を若干しかめるが、気を取り直すと、ぼんやりとした様子で、目の前の少女に視線を向ける。
 少年の視界にうつった少女は、少年の予想通り、可憐な少女だった。
 歳は、少年よりも二つ三つほど、幼そうな少女であり、さらりとしたセミロングが揺れいている。
 少女はあどけない笑みを浮かべると、淡い期待を抱く少年に、

「――嗅いでくれるだけで、十分なんだから」

「……は、ぁ?」

 なにやら、話がかみ合っていないようだ――と、疑問の表情を浮かべる少年に、少女は話しを続けた。

「私もね、その……、人見知りなの……。だから、気持ちがわかるっていうか……。あっ、嘘じゃないからね。今は、こうして話せてるけど、本当は……」

 少女はそこまで言うと、思考を振り払うように首を横に振る。

「と、とにかく! 愛想よくとか、気を使ったりとかしなくて良いから。だから……」

 そう言いながら、少女は片手をおしりの方へと持っていく。
 そして――、

 ~ ぶ――ぶぼおっ!

 少女のイメージとは違う、低い音が場に響いた。

「せめて、臭いだけでも、ちゃんと受けとって……。そ、それじゃあ……」

 いくよ――と、言葉を続ける少女のおしりに回された手は、グーになっており、少女はその手を、少年の鼻先に被せると、

「ほら、ちゃんと……、かいで……」

「――ぅ……ぐっ」

 鼻腔を突き抜けるような臭いを感じて、少年は目を見開く。
 大根やネギなどが、少年の脳裏をよぎるが、それとは似ても似つかないほどに、濃度の濃いニオイだ。
 それが、鼻の粘膜に張りいたかのように、しつこく、じっとりと、少年の脳へとダメージを与えていく。
 少年が臭いによって軽い脳震盪を起こしていると、

「ぁ、あり……とぅ」

 消え入りそうなほど小さな少女の声だ。
 その口は、『ありがとう』と動いており、少女はそれだけ言うと、顔をうつむかせ、表情を髪で隠し、急ぎ足でその場を去っていった。
 そして、

「うんうん、いい話じゃねーか」

 また別の人影が、少年の前へとやってくる。

「まあ、別にあたしは、人見知りじゃねーんだけどさ」

 凛とした、少女の声だ。
 その少女は長い髪を揺らしながら、少年の前へと歩いてくる。
 女性らしさには欠けるが、ぼさっとした髪から覗く目鼻立ちは整っていて、隠し切れない美しさがギャップとなって魅力を引き立てていた。
 その少女は、雑に頭をかきながら、少年に喋りかける。

「なんていうか。あたしもそういうの、いいから。気を使われるの、苦手だかしさ」

「…………」

「そうそう、そんな感じでいい」

 呆然と自分を見上げる少年を見て、少女は納得したように言う。
 もちろん、少年が思っていることはちゃんと伝わっておらず、少女は勝手な思い込みで、気をよくしたようだ。
 ともあれ、思考停止している少年を置き去りに、少女は話を続けた。

「んじゃあ、早速だけどよ。あたしの『カップケーキ』も――受け取ってもらうぜ」

 そういうと、少女はおしりへと片手を持っていき、

「ふんっ!」

 ~ ぷううぅぅううっ!! 

 イメージどおりの豪快なボリュームだが、音は可愛らしい――高音だった。
 そんな音がでることは想定外だったのか、少女は「にしし」と、照れたように笑みを浮かべると、

「ま、出ちまったもんしゃーねわな」

 少女はそう言って、『カップケーキ』――もとい、この場所ではおなじみとなっている、握りっ屁をして、「ほらよ」と、少年に――その臭いを嗅がせた。

「――んっ……、ぐみゅっ」

 少年の嗅覚に、再び衝撃が走る。
 先ほど嗅いだ臭いに近いようで、遠いような、あやふやな激臭の中に、ゆっくりと存在感を出してくる便のニオイ。
 それらは混ざりあり、少年の脳をとろけさせるかのように、鼻腔を通り抜けていく。

「おっしゃ。とりあえず気は済んだわ。ありかとうな」

 少女はそう言うと、少年から手をはなし、背を向け、どこかへと立ち去っていった。
 これが、オナラを嗅がせるなんていう奇行のあと出なければ、切符の良い少女の背中が、少年の視界にはうつっただろうが、

「……っ」

 少年の目から一粒――涙が流れる。
 その反応に、何事かと、何人かの女性が彼へ声をかけたりしたが、結局は――問題ないと判断され、催しが中断するなんてことはなく。
 それからも、少年はしばらく女性達からおならの臭いを嗅がされ続けていった――。
 そして、

「みぃーつけたぁ……」

 聞こえてきた聞き覚えのある声に、少年はなぜか寒気を覚え、目を閉じてオナラの臭いに耐え続けていた少年だったが、思わず目を開き、感情のない目でその人を見る。
 そこにいたのは、内巻きにしたセミロングの髪をした、見覚えのある少女だった。
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