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五、白昼夢と壊れた記憶
五、白昼夢と壊れた記憶 ④
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男の子は腕から血を流している。父親らしき男は何かを叫んでいた。
――なぜ見える場所に!
――これじゃあ隠せない!
――俺と違う青い瞳のくせに!
――お前ひとりの補助金じゃあ、裕福にもならない
――なぜおまえだけなんだ
蹲る男の子を、罵倒している声。
血を流しているなら『大丈夫?』じゃないの。
救急車のサイレンの音の中、私は再び玄関の方へ回った。
『流伽っ』
部屋の中は血だらけで、父親は頭を掻きむしって叫び続けている。
父が私を抱えて部屋から出ていくとき、私は蹲る男の子に叫んだ。
『傷がなおったら遊ぼう。だいじょうぶ、もう救急車が来るよ。だから遊ぼう、遊ぼう』
真っ赤な部屋。私はその男の子が死んでしまうんじゃないかなって思ったの。
だから元気になってほしくて、叫んだ。また一緒に遊ぼうねって。
でも手を振った男の子から見えた腕の傷。ぱっくり開いた腕の傷を見て私は目の前が真っ白になった。
『どうしてあんなに可愛い男の子に』
母が救急車の音に負けないような声で泣いていて父が、歯をくいしばっていた。
『いいか、るか、わすれなさい。怖いことなんだ。わすれなさい』
『なんで?』
『こんな悲しい事件、起こったらいけなかった。存在しなかった。わすれなさい。』
父が救急車に一緒に乗る。その男の子のお父さんは救急車に乗れなくてパトカーに乗せられ、救急車と反対の方向へ遠ざかっていく。
怖いこと。
忘れなさい。
悲しい事件。
ああ、母の泣いている声がする。
私が男の子を見つけたから?
男の子を見つけてしまったから悲しい事件が起こったの?
壁に何度も鉛筆で叩いて削って穴が開いていたと警察が言っていた声が聞こえる。
木造の壁を、男の子の力で何度も何度も。
男の子は真っ暗な押し入れの中で、鉛筆が通るか通らないかの小さな光を眺めていたんだ。あの小さな穴から外を、光を。
悲しい事件。父と母が苦しそうに泣いている。
忘れなきゃいけない時間。
***
「先生、教科書で叩いたら流伽の頭がさらに馬鹿になっちゃう」
水咲の叫び声で顔をあげた。
私の机の前で先生が丸めた教科書を振りかざそうとしていた。
「あ、えっと、おはようございます」
その瞬間、授業の終わりを告げる予鈴が鳴り、私の頭もすっこーんといい音がした。
「もお、流伽、大丈夫?」
授業中に寝るなんて駄目よと、保護者のように水咲が怒ってくれて、一河が『でも頭を殴るのはだめだよね』と先生を怒っている。
「流伽? 大丈夫?」
「……めた」
頭を押さえていた手を、そろそろと頬まで下ろす。
すると私の指先に生温かい感触が伝った。
「今、目が覚めた」
「もー」
「思い出した。……思い出したよ」
次から次へと流れてくるのは私の涙だ。
心配してくれる一河と水咲の顔が、涙で歪んでぼやけていく。
あんな事件、忘れてしまった方が良かった。
本当に起きた事件じゃなくて夢だったらどんなに良かったんだろう。
思い出したら胸が締め付けられる。優しい虐待。
その意味が分かった。太らせていい服を着せて、でも誰ともかかわらせてあげない。
清潔な身なりで、愛想のいいふりをした計算高い父親。
母親が亡くなっても補助金欲しさに手放さなかっただけの子ども。
誰も一慶さんの叫びを気づけなかった。私は気づいたんじゃない。
一人で遊びたくなくて、遊び相手が欲しくて声をかけただけ。
それなのに。
それなのに。押し入れの中の小さな光のように。
一慶さんは私との思い出を美化して大切にしてくれたんだ。
「一慶さんは……一慶さんは私の約束を守ろうとして会いに来てくれていたんだ」
あの太っていた、目が綺麗な男の子。
腕に大けがを負っていて、身体中に暴行された跡があった男の子。
今、貴方はどんな顔をして笑っているんだろう。
あんな辛くて悲しい事件を思い出しても、私と会うことを選んでくれたんだ。
「流伽?」
「大丈夫か?」
二人から同時にハンカチが飛んできて、私は両方抱きしめて泣いた。
会いたい。あの時の男の子に会いたい。
一慶さんに会いたい。本当の一慶さんに会いたい。
お友達から。お友達でいいから会いたい。ずっとずっと私を忘れないでいてくれたあの男の子に会いたかった。
大声で泣く私を二人は抱きしめてくれた。
二人に思い出した過去を話したくても、声が震えていた。
でも二人は何も聞かないでただただ私を抱きしめて、落ち着かせようとしてくれていただけだった。
――なぜ見える場所に!
――これじゃあ隠せない!
――俺と違う青い瞳のくせに!
――お前ひとりの補助金じゃあ、裕福にもならない
――なぜおまえだけなんだ
蹲る男の子を、罵倒している声。
血を流しているなら『大丈夫?』じゃないの。
救急車のサイレンの音の中、私は再び玄関の方へ回った。
『流伽っ』
部屋の中は血だらけで、父親は頭を掻きむしって叫び続けている。
父が私を抱えて部屋から出ていくとき、私は蹲る男の子に叫んだ。
『傷がなおったら遊ぼう。だいじょうぶ、もう救急車が来るよ。だから遊ぼう、遊ぼう』
真っ赤な部屋。私はその男の子が死んでしまうんじゃないかなって思ったの。
だから元気になってほしくて、叫んだ。また一緒に遊ぼうねって。
でも手を振った男の子から見えた腕の傷。ぱっくり開いた腕の傷を見て私は目の前が真っ白になった。
『どうしてあんなに可愛い男の子に』
母が救急車の音に負けないような声で泣いていて父が、歯をくいしばっていた。
『いいか、るか、わすれなさい。怖いことなんだ。わすれなさい』
『なんで?』
『こんな悲しい事件、起こったらいけなかった。存在しなかった。わすれなさい。』
父が救急車に一緒に乗る。その男の子のお父さんは救急車に乗れなくてパトカーに乗せられ、救急車と反対の方向へ遠ざかっていく。
怖いこと。
忘れなさい。
悲しい事件。
ああ、母の泣いている声がする。
私が男の子を見つけたから?
男の子を見つけてしまったから悲しい事件が起こったの?
壁に何度も鉛筆で叩いて削って穴が開いていたと警察が言っていた声が聞こえる。
木造の壁を、男の子の力で何度も何度も。
男の子は真っ暗な押し入れの中で、鉛筆が通るか通らないかの小さな光を眺めていたんだ。あの小さな穴から外を、光を。
悲しい事件。父と母が苦しそうに泣いている。
忘れなきゃいけない時間。
***
「先生、教科書で叩いたら流伽の頭がさらに馬鹿になっちゃう」
水咲の叫び声で顔をあげた。
私の机の前で先生が丸めた教科書を振りかざそうとしていた。
「あ、えっと、おはようございます」
その瞬間、授業の終わりを告げる予鈴が鳴り、私の頭もすっこーんといい音がした。
「もお、流伽、大丈夫?」
授業中に寝るなんて駄目よと、保護者のように水咲が怒ってくれて、一河が『でも頭を殴るのはだめだよね』と先生を怒っている。
「流伽? 大丈夫?」
「……めた」
頭を押さえていた手を、そろそろと頬まで下ろす。
すると私の指先に生温かい感触が伝った。
「今、目が覚めた」
「もー」
「思い出した。……思い出したよ」
次から次へと流れてくるのは私の涙だ。
心配してくれる一河と水咲の顔が、涙で歪んでぼやけていく。
あんな事件、忘れてしまった方が良かった。
本当に起きた事件じゃなくて夢だったらどんなに良かったんだろう。
思い出したら胸が締め付けられる。優しい虐待。
その意味が分かった。太らせていい服を着せて、でも誰ともかかわらせてあげない。
清潔な身なりで、愛想のいいふりをした計算高い父親。
母親が亡くなっても補助金欲しさに手放さなかっただけの子ども。
誰も一慶さんの叫びを気づけなかった。私は気づいたんじゃない。
一人で遊びたくなくて、遊び相手が欲しくて声をかけただけ。
それなのに。
それなのに。押し入れの中の小さな光のように。
一慶さんは私との思い出を美化して大切にしてくれたんだ。
「一慶さんは……一慶さんは私の約束を守ろうとして会いに来てくれていたんだ」
あの太っていた、目が綺麗な男の子。
腕に大けがを負っていて、身体中に暴行された跡があった男の子。
今、貴方はどんな顔をして笑っているんだろう。
あんな辛くて悲しい事件を思い出しても、私と会うことを選んでくれたんだ。
「流伽?」
「大丈夫か?」
二人から同時にハンカチが飛んできて、私は両方抱きしめて泣いた。
会いたい。あの時の男の子に会いたい。
一慶さんに会いたい。本当の一慶さんに会いたい。
お友達から。お友達でいいから会いたい。ずっとずっと私を忘れないでいてくれたあの男の子に会いたかった。
大声で泣く私を二人は抱きしめてくれた。
二人に思い出した過去を話したくても、声が震えていた。
でも二人は何も聞かないでただただ私を抱きしめて、落ち着かせようとしてくれていただけだった。
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