艶夜に、ほのめく。

篠原愛紀

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三夜、ウソツキと正直者

三夜、ウソツキと正直者 四

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「出来あがるのは、三週間後になります。指輪の裏側に刻む文字のリストはこちらです。選んでください。オプションはこちらで」


 個室に通され、一時間が経ったかな。フランスの王室御用立ちで、一見さんの予約はできない超有名ジュエリーの日本店に連れて行かれた。
 私だって名前は知っている。女王が日本に来日されるとき、ここのジュエリーしか身に着けないとか。
 ここのブランドはオーダーメイドが主だけれど、予約に一年以上待つとか。
 ハンカチを持っているだけでも自慢になるぐらいの、セレブ兼権力と地位があることを示せる超ハイブランド。
 一般人の私には、そんなふわふわした説明しかできないぐらい手が届かないブランドだ。

 それを泉さんは、まるでベッドや家具を買いに行くような手軽さで、個室に通されていた。

「大変、大きくなりましたね。泉さん」
「はい。アルフレッドさんも歳をとりませんね」

 泉さんは苦笑しながら、私にオーナーを紹介してくれた。
 アルフレッド・フォン・ゼークトさんというらしい。

 泉さんの祖父の親友だと名乗るオーナーは、ロータリーの前で私たちを自らが出迎えてくれた。
 彼はフランスでは爵位持ちの貴族出身。振舞いや雰囲気から紳士的で素敵なご老人だ。


 婚約指輪のオーダーというと、シャンパンでお祝いまでされた。
 出されたチーズはどれも美味しくて、シャンパンだけではない気持ちがふわふわと浮かんでいるのが分かった。

「Ich liebe dich.」
「何?」
「ドイツ語で愛してる。あ、駄目だ。イニシャル入れたらオーバーする。難しいねえ。刻む文字なんて」

 指定された文字リストがFOREVER(永遠に)とかFOREVER LOVE(永遠の愛)、PURE LOVE(純愛)とか、わざわざ横に意味まで書かれると安っぽく感じて駄目みたいだ。

「お互いの名前を刻むってのはどうでしょう? LOVING YOU (愛してる)のYouを相手の名前にするとか」

 泉さんは車で来てしまったので飲めないシャンパンを手に持ってくるくると回しながら、私を見た。

「Youは要らないかな? loveのoの部分を宝石埋め込むオプションがあるみたいですよ」
「そうだね。お互いのイニシャルと、loveに宝石で良いんじゃないかな。面白いし」
「宝石の種類はこちらです」

 楽しそうに選んでいるけど、――本当はどんな気持ちが彼の中に渦巻いているのか分からない。
 でも、それでいい。
 私たちはウソツキで、私たちは正直だ。


「っと、失礼」

お会計で、彼がカードをキャッシュトレイに載せながら、ズボンのポケットから携帯を取り出す。


 仕事かな?
 そう思ったけれど、彼は自棄に遠くまで離れて電話を取ると背を向けた。

「……馬鹿じゃないのか、お前」

 聞かれたら嫌なのかと思ったけれど、その一言で相手が遊馬さんだと分かった。

「とにかく、財産もないようなお前が先に死んでも俺が面倒臭いだけだろ」


 此方に軽く会釈し、ちょっとだけ外に出るとオーナーに外を指差すと、彼は外へ出て行ってしまった。

「遊馬さんが刑事とは、泉さんもさぞ心配でしょうね」

 オーナーが紅茶を淹れてくれたので、私は立ち上がるわけにもいかず、甘い香りが放たれている紅茶を手に取る。

「刑事ってそんなに心配するようなものですか? 遊馬さんって泉さんみたいに線が細いわけでもないし」
「……お客様の個人情報なのでなんとも言えませんが、その」

 オーナーは皺くちゃな目じりを押さえて、下を向く。

「事故の原因が、ネコを助けようとしてハンドルを右に切ったらトラックと正面衝突……芽衣さんが亡くなった痛たましい事件でございました」
「オーナーまで知ってるってことは当時有名だったってことですか?」
「いいえ。ニュースにはなりませんでした。新聞で小さな記事で取り上げられたぐらいです」
「へえ」
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