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二、白い部屋:「誰も見ないで」

二、白い部屋:「誰も見ないで」

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 真中さんと初めて会った日は夏が始まる前の、春でもなく梅雨でもなく、未来も分からず中途半端な時期で時間だった。
 真中さんのエビフライ色のコートが懐かしい。それが恋人となり、いつしか夏が始まろうとしていた。
 真中さんに「うちの高校を受験してみたら?」と背中を押され受験について考え始めた夏。
 蝉も声がうるさくて、私の声もそこまで周りに届かなよって彼は私を小さな部屋から連れ出してくれた。
 誰にも私の声なんて聞こえないでほしいと何度も祈りながら真中さんと駅で待ち合わせしていた。
 でも気づく。
 周りは案外、人のことなんて見てないし考えていない。
 だからそこまで私の声なんて聞こえても気にしない。私も周りを見ないようにしていたから、相手のことなんて心の中で考えたり思ったりしない。
 目の前に真中さんがいるなら猶更だ。真中さんがいるのに、他に気にしたりしない。
 一メートル七十センチとちょっと。
 これは私の心を守るための距離でもあり、真中さんの存在を表す長さでもあり、人と私が同じ存在になれる距離でもある。
 真中さんは私の周りを一周して少し驚いたようで、キャンパスに四角の絵を描いた。
「一メートル七十センチとちょっと。円を描くような距離かと思ったら、四角かった」
「四角?」
「君の心が聞こえる距離だよ。測ったら、死角はもうちょっと距離を取らないと聞こえてきてしまう。で、測ったら、ほら四角」
 どうやら私の後ろや左右も視線の後ろは、もっと声が聞こえやすいらしく距離を保たないといけないらしい。絵で表すと、私は小さな四角い部屋の真ん中にいるようだった。
「なんだ。真中さんの身長と同じぐらいだと嬉しかったのになあ」
「正面は一メートル七十センチちょっとだから、俺の身長みたいなものだよ。俺は嬉しい」

 私転ばせの真中さんは簡単にも私を幸せにした。
 大好きだった。誰よりも大好きだった。
 そしてこんな私を受け入れてくれる、真中さんの優しくて広い心が大好きだった。
 私みたいな狭い空間で存在していないのだから。
 大好きで大好きで、そして愛おしい。
 隣にいて、自分の心が聞こえても不安にならない唯一の相手。
 初めて安らげる存在に出会えた。

「そろそろ、香澄ちゃんの絵が完成しそうなんだよね」
「え、ついに! 見たい!」
 いつも私のことを描くくせに絶対に見せてくれなかった。
 それでも私は真中さんからどんな色で描かれているのかずっと気になっていたから楽しみ。絶対に見せてもらいたい。
「八月三十一日」
「うん」
「俺の誕生日」
「えええ」
 携帯を確認したらもう三週間後だった。
「見せるから、約束していたアクセサリーもちょうだい」
おねだり上手でしょって真中さんは笑う。
真中さんの首には私が以前渡した、レジンで作った虹色のパレットのアクセサリーがぶら下がっている。親友さんは軽音部でバンドをしているというので同じく虹色でギターを作った。
親友さんも毎日首に提げているらしい。
そして今度は私とお揃いのネックレスが欲しいらしい。
「ど、どんなのがいいんですか?」
「彼女とお揃いって見せびらかしたいから、可愛いやつ」
 自慢……。
 私みたいな人間、自慢できるとは思わないけど。
「なんで? 香澄ちゃんは可愛いし素直だし、電話中に寝落ちしちゃうし朝はよく寝坊するし可愛いことだらけじゃん」
 褒められているように感じられなかったけど、一応褒めてくれているらしい。
「それに俺、もう景十(けいと)に彼女がうちの高校に来るって言っちゃったし。同じネックレスしていたら寄ってくる男なんて蹴散らせるだろ」
 俺って以外と心が狭いんだよって笑う。
 真中さんは優しいし心が綺麗だよ。私みたいな面倒くさいやつ、好きになってくれる人、いないのに。
「全然。面倒くさくないし。表情と考えてることが一緒だから一緒にいても嫌にならないし。可愛いよ」
 可愛い。
 その言葉を言われたあとに鏡を覗くが、可愛い要素は全く見えない。
 どこにそんな可愛い要素があろうか。
 逆に私は、ゴツゴツした大きな手や低い声で笑ったり、私より頭一つ大きな身長の真中さんがたまに可愛いと思う。
「俺が可愛いの?」
 うん。格好いいし薄いコートが似合う。風で羽みたいにコートを翻す姿が好き。
「香澄ちゃん、思ってるだけじゃなくて口で言ってよ」
「え。こんな近くにいて同じこと二回も聞きたいんですか」
「聞きたいし。俺のことを好きって言うのは何回も聞きたいよ」
 恥ずかしいなあ。できたら真中さんにだけ聞こえてくれたら良いのに。
「言ってよ、香澄ちゃん」
「うー……。好きです」
 エビフライ色のコートが。
「こら」
 はぐらかした私の鼻を摘まんだけどそこまで怒ってはなさそう。
 好きって、真中さんにだけ聞かれるなら、何回でも言うしどこでも言いたいし、なんなら会えないときも好きって、胸がきゅうって痛むし。
 真中さんの画材の方が同じ部屋に帰ってずるいって思うレベルで、いっしょに居たいよ。
 でもそんな女、面倒くさいでしょ。一緒に居たら全部筒抜けで、一人で静かにしたいときも隣から心の声が聞こえたらうるさいでしょ。
「残念。自分を好きって思ってる人の声がうるさいわけないじゃん。君のご両親だって、嫌だって思ってないし。なんなら俺のことを好き好きって言ってくれる香澄ちゃんを、閉じ込めてずっと隣で心の声を聞いていたいぐらいだよ」
「ふふ、一メートル七十センチちょっとの部屋の中で?」
 真中さんへの気持ちだから、全然問題ないよ。逆に閉じ込めてって思った。
「あーあ。困ったな。可愛い。閉じ込めたい」
 でも私に、他人との関わり方を教えてくれたのは真中さん。
 閉じ込めて欲しいけど、そんな悪いことをできる人でもない。
 裏表がない部分も魅力の一つだしね。
  一生で最高の夏休みかもしれない。
 私は二回も真中さんとキスしてしまった。
 花火大会も行った。賑やかで意外と私の声なんて誰も気にしていなかった。
 日曜日の公園のフリーマーケットにも行って、手作りの指輪を買ったり図書館で勉強会をした。
 真中さんの妹さんも受験生で、受験でピリピリしているらしく家には行かなかったけど私の家でご飯もよく食べた。
  真中さんは部活と夏期講習と友達のバンドのライブと、私との時間で忙しいけど楽しいっていつも笑顔だった。
  私はその笑顔からパワーを分けてもらって幸せだった。
  真中さんとの夏は、瞬く間に過ぎていった。蝉の一生が短く儚いように、もっと一緒に居たいのに瞬く間に夏休みは終わりを刻んでいく。
  気づけばプレゼントのアクセサリーを作る時間を確保できていないぐらい遊んでいた。
 ハートのアクセサリーにしたい。この夏の思い出をハートの中に閉じ込めたい。
 パレットとひまわりとアイスクリームを赤いレジンで閉じ込めて、わざと空気を入れて泡を残してみた。泡が入ったら失敗だからって母は私に売り物にならないアクセサリーをよくくれていたが、私はその泡が海の泡や夜空の星みたいで好きだったから。
 初めて会ったプラネタリウムのような星を作りたくて泡を残したの。

八月三十一日
『香澄ちゃんの絵が完成したよ』

自分の誕生日なのに、0:00に私のことなんて送ってきた。
私は文字を打つ手が緊張して遅く感じたので、電話に変えた。
「お誕生日おめでとうございます! 明日、見せてくださいね」
『うん。絵は隠してきた。デートの最後に見せてあげる。駅の改札口で9時ね。ちょっと早いけど大丈夫?』
いつもより小さな声。
「うん。あ、でもね、うちのお母さんがケーキ焼こうかなって。おうちでも食べるよね?」
『俺、甘いもの大好きだから、自分の誕生日ケーキなら何個でも食べられるよ。デートの後に食べに行っても良い?』
「うん。絶対に喜ぶよ」
 お母さんも青空色のエプロンを買っていた。部活で使っている、何色かも分からない絵具でどろどろの真中さんのエプロンを見て、買ってしまったらしい。
 私もアクセサリーは完成していたから、明日は一番に渡したい。
 肩まで伸びた髪を、必死で編み込みに結ぶために動画を何回も再生してひいひい良い、プレゼントをいれた白い紙袋を何度も覗き込む。
 大柄のひまわり柄のワンピースに黄色のミュール。足と手の爪には、何度もはみ出しながらピンク色のネイルを塗る。
 色付きのリップ、おニューの靴に服、カバン、プレゼント。
 それを全部身に着けたいって、お洒落したいって思えたのは、あの日真中さんが私を見つけてくれたから。
 私の色を描いてみたいって思ってくれたから。
 私のことを好きって思ってくれたから。
「いってきます」
 私を部屋の中から連れ出してくれたのは、太陽よりも明るくてかわいい人。
 人に自分の声が聞こえるのは、辛いだけでしかなかった。
 友達もできなかったし気になっている男の子には気持ち悪いって言われた。
 クラスで避けられても、優しくて性格のいい真昼さんしか庇ってくれる人もいなかった。
 私だけ不幸な世界をアンバランスで不公平な世界だと思っていたのに。
『もうすぐ駅に着くよ』
  それなのに、一言で幸せにしてくれる人に出会えたんだ。
『おーい。誕生日の人を待たせるのか』
「もう。待ち合わせの15分前なのに」
 私だって10分前に着く予定だったのに早すぎる。
『急いでますっ』
 今からどこに行くんだろう。お昼には何を食べよう。
 うちの家でもケーキを食べて、家に帰ってもきっとケーキを食べて。
 ……今日はぎゅって抱きしめてほしいな。キスもできたらしてほしい。
 自分から言うのは恥ずかしいから心を読んでもらおうか。
 それとも、ちゃんと言った方が喜んでくれるのかな。
 分からない。でも走って駅に向かう瞬間が楽しくて、苦しくて、そして愛しかった。
 ああ。大好きだ。大好きで、会いに行く瞬間がどうしようもなく切なくもどかしい。
 待ち合わせの改札口で、私は真中さんがどこから来るのかきょろきょろ落ち着かなく待った。
「香澄ちゃーん」
 駅の前の交差点で、信号の向こうで大きく手を振っている真中さんが見えた。
 オレンジ色のキャップに、ひまわりがプリントされた白いTシャツと私が作ったキャンパスの形のネックレス。
 ひまわりのシャツを摘まんで、嬉しそうに笑っている。
 うひゃあ。狙ったみたいなペアルックになってしまった。
 これから一日、ひまわりのワンピースとひまわりTシャツでデートするんだ。
 恥ずかしいけど嬉しすぎて、お互いにやける。
 私も交差点の信号の下、信号が早く青にならないかちらちら信号を見上げた。
 数メートルなのに、真中さんと離れているのが寂しいな。
 クスクス
「あっ」
 私の隣で待っていた女の子二人が私を見て笑った。
 そうだ。声が聞こえてしまうんだ。
 じりじりと一メートル七十センチ距離を取り、聞こえないように逃げていた。
 その瞬間は、ほんの数秒だったと思う。
 自分の声に気を取られ、数秒だけ真中さんと距離をとった。
 そのたった数秒のこと。
 二回瞬きをするぐらいの、一瞬のできことだった。
 交差点の信号を無視してトラックが急ブレーキをかけて歩道を乗り越え、コンビニの窓を割りながら斜めに滑っていく。
 甲高い叫び声とブレーキの音、ガラスの割れる音。
「……真中、さん?」
 トラックが突っ込んだ歩道の先に、さっきまで真中さんが手を振っていた。
 ひまわりのTシャツを摘まんで、照れたように笑っていた。
「真中さん!」
 信号が青に変わっていたかもわからない。
 そのまま飛び出して、彼のもとへ向かった。
 トラックから段ボールが飛び出し、何個も何個も道路に転がっていて、道を阻む。
 走っているのに私の足は泥の中に浸かっているように遅く、重く、感覚がなかった。
「真中さんっ 真中さんっ」
 ぺしゃり。
 そんな擬音が聞こえてきそうなほど、凹んだ街灯の下に真中さんが倒れていた。
 ひまわりのプリントTシャツが真っ赤に染まっている。
 キャップが段ボールの下で小さく顔を出し、持っていたであろうバッグから画材が飛び出している。
「真中さん!」
 目を見開いてあお向けに倒れていた真中さんが私に手を伸ばす。
 少しだけ動いた目は、ゆっくり細められ微笑もうとして顔をゆがめた。
 救急車の音が遠くから聞こえる。
 あちこちでクラクションの音と煙、叫び声、そして野次馬の声がする。
「……かすみ」
 声がする。今にも途切れてしまいそうな、か細い声がした。
「    」
 唇が四回動くと、私の世界から雑音は消えた。
 まっ赤になった真中さんは、目を閉じる。
 私のワンピースも気づけば真っ赤に染まって、太陽の光で血がきらきら輝いて、そして固まっていった。
 次の瞬間、空を裂くような甲高い声。
 それが私の叫び声だと自分で気づいたのは、救急車に乗る真中さんに離れたくないと必死でしがみついた時だった。

 その日は、夏休み最終日。
 駅前も人が多くて、人でごった返ししていた。
トラックの運転手は居眠り運転なのかよそ見運転なのか、ブレーキを踏んだ跡はあるものの病院で死亡が確認され、理由は分からないまま。
 直撃し、街灯とトラックに挟まれ首の骨が折れた真中さん含め8人の死亡が確認された。
「香澄っ」
 駆け付けた母は、真っ赤に染まった私のワンピースを見て、泣き崩れた。
 朝、あんなに頑張って編み込みした髪もカバンも、紙袋も、真っ赤。
 どうやって母に連絡したのかも覚えていなかった。
「お兄ちゃんっ お兄ちゃんっ」
「……東城さ、ん」
 唯一、気味の悪い私に優しかった同級生の東城真昼さんが、今まで見たこともないような真っ青な形相で走ってくる。
 そして私の顔と服を見るや否や、その可愛い顔を歪ませて睨んできた。
「なんでお兄ちゃんを家から出したのよ!」
 走ってきたのか息を切らし、汗で滲んだ肌。
 そしてくしゃくしゃに歪んで泣きじゃくる彼女は、悲鳴に近い声で私を罵った。
「家に私と居たら、お兄ちゃんは死ななかったのに!」
 まるでスローモーションのように、一文字一文字はっきりと彼女の唇が見えた。
 ひとごろし!
 泣き叫ぶ彼女を、看護師さんが二人がかりで抱きしめながら、私から引きはがした。
 ひとごろし。
 私が。
 私が、私が。
 私が、私が。
 ひまわりのTシャツを摘まんで照れる真中さんを思い出した。
 私が。
 大きく手を振る真中さんが、交差点の向こう側に居た。
 私が。
 天文館でキャンパスを広げ、ガラス瓶を見せてくれた。
「真中さん、……どこにいるの?」
 私が。
「私が、真中さんを駅に」
「香澄ちゃん、貴方のせいじゃないのよ」
 お母さんが抱きしめてくれたけど、私は真っ赤な自分の手を見て再び悲鳴を上げた。


 真中さんが死んだ。
 真中さんは、死んだんだ。
 自分の誕生日に、私とデートしようとして、私に手を振って。

 私は、私は数秒彼から目を離した。
 心が読まれそうで他人を避けるために数秒彼から目を離した。
 もし真っすぐ見ていたら、トラックの動きに気付けたかもしれないのに。
「香澄ちゃん、貴方のせいじゃないわ。貴方のせいじゃ」
 ひとごろしだ。
 私に会わなければ。私と待ち合わせしなければ。
 世界中どこを探しても、真中さんみたいに優しい人いないのに。
 あんなに素敵な人が、私と出会ったせいで。
「香澄ちゃん」
「聞かないでよ! 私の心を読まないで、聞かないで、聞こえないでっ」
 知らないで。聞こえないで。
 誰も聞かないで。
 真中さんへの思いは、真中さんだけのものだ。
 お願いだから、誰も私の心なんて知らないで。聞かないで、聞いてほしくない。
 知らないで。見ないで。気づかないで。逃げて。
 もう誰も。
 もう誰も私の心に近づかないで。死んでしまう。

 死んでしまうの。
 真中さん。
 どこいるの?
 どうして倒れているの。どうして。
 どうして私の部屋のどこにも真中さんはいないの。
 その場で泣き崩れて、意識を手放した。
 目が覚めると真中さんがいない現実が受け止められなくて発狂した。
 真中さんの血が付いた服を脱がそうとするので暴れた。
 心が読まれたくなくて声をあげて泣いた。
 誰に心を読まれても、友達も離れても、あきらめてた。
 自分が悪いってあきらめて近づくのもやめた。
 私からはもう二度と誰にも近づかないからお願い。
 誰ももう私の部屋に近づかないで。

 一メートル七十センチとちょっと。

お願いだからもう二度と誰も私に近づかないで。

 その日、私は自分の白い心の部屋に鍵をかけた。
 もう二度と、誰にも侵入させないように。
 大きな音を立てて、鍵をかけた。
 何色にも染めないように、二度と誰にも見せないように。

***

 一週間。
 私は一週間、血だらけの服を着たまま病院に入院していた。
 一週間の高熱と、叫ぶたびに嘔吐していた私は点滴もすぐに抜いてしまうぐらい暴れて手がつけられなかったらしい。
 一週間ぶりに静かな朝を迎え、七キロ痩せた、骨みたいな手を見つめながらまた涙がこぼれた。
 この世界にはもう、真中さんはいないんだ。
「香澄ちゃん、今日からまた頑張って生きよう」
 同じくげっそりして顔色の悪いお母さんが泣きながら私を見ていた。
 美味しくなさそうな、ほとんど水みたいなおかゆをテーブルに置いて、私を見て泣いていた。
「……私の声はする?」
 母は首を振った。
「そっか。よかった。ようやく鍵をかけられた。私の心はようやく私のものになったんだね」
 味もしないおかゆを飲みながら、涙がこぼれた。
 真中さんはいない。もういない。私が殺したから、もういない。
 真中さんの思い出ももう私の中だけ。誰にも聞かれてしまうことはない。
 私の白くて四角い部屋に思い出は閉まっておけるんだ。
 お葬式もお通夜も全て終わってしまった後だったけど、私は真中さんの顔を見に行くことはできなかった。真昼さんの精神状態が良くなくて、私が近づくのは彼女の負担にしかならなかったから。
 彼の家にも彼のお墓にも行けず、私はフリースクールと家を行き来をするだけ。
 真中さんとの思い出が詰まった天文館もプラネタリウムももういけなかった。
 渡せなかったネックレス二つを、真中さんからもらったガラス瓶に入れて持ち歩く。
 私の声はもう誰にも届かないよ。私の心はもう誰にも聞こえないよ。
 私の心はもう、鍵が付いたよ。

 真中さんが世界から消えた。
 でも私にはもう悲しむ権利はない。
 私が殺したから。
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