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岸六田 麗子と申します。

岸六田 麗子と申します。

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金曜日がやってきた。毎週金曜は定宗が看板猫になるせいか、慕う猫達が集まり猫カフェに変貌しキャットフードの消費が追いつかない。
「そういえば、テラスに早速ミントとバジルを植えてみました」
それを払拭してくれる店長の優しい声に、みかどが振り返る。テラス席の前に、オシャレな鉢植えが3つ置かれていた。
「できればお店にも観葉植物を置きたいのですが、ホームセンターに見に行きませんか?」
「行きます!」
丁度、コップもお皿も拭き終わりま、四匹と定宗もご飯を食べて、テラスで丸くなっている。二人で同じエプロンで出かけれるのは、とても嬉しいと胸を弾ませているこんな、楽しい毎日が続いて欲しい。ずっと店長の隣に居られたら幸せだと。ホームセンターまでの道のりを、他愛もない話をしながら、のんびり歩いていく。でも、それは、あっという間に終わってしまう。
「鳴海さん、どこに向かっているのかしら?」
後ろから、突然声を掛けられる。二人が振り向くと、そこには、白い艶やかなリムジンが止まっていた。運転手が、ドアを開けると、まずは上品な紫色のレースの日傘が開いた。
「お久しぶり」
日傘から顔出したのは、着物を着た上品な女性。水色と紺色のボカシ染めの地色に、桜吹雪の柄が華やかに描かれている着物を上品に着こなし、控えめなお化粧に髪を結い上げた、年配の女性。
「おばさん」
目を見開いて驚いた店長は、ゆっくりと笑顔になる。この方が、千景の祖母で、店長の身元引受人で、店長の過去を全て、知る人。
「お会いしたかった……」
店長は愛しげにその女性を抱きしめる。日傘が宙を舞った。
「まぁっ 鳴海さんったら」
その女性も、店長を愛しげに見つめ、抱き締め返した。
「今、お土産を届けようとお店に向かっていましたのよ。どちらへお出かけなさってたの?」
「あ、お店の観葉植物を買いに……」
店長はまだ抱きついたままそう言うと、女性は首を傾げた。
「あら、観葉植物は、定宗さん達に害のある物もあるのよ。ちゃんとお調べしたの?」
「ええ!? してません」
「じゃあ、急ぎで無ければ後日になさったら? 先にお土産を見て欲しいわ」
そう言った後、ゆっくり此方を見た。
「貴女とも、お話したいしね。楠木みかどさん」
優しく上品に、全てを見透かすように笑った。みかどの全身に緊張が走る。カフェに着くと、店長は珈琲の準備に。運転手は、大荷物を何往復も運び、管理人は定宗を膝の上に乗せ、座っている。定宗が大人しく撫でられてるのにも驚く。それと、物腰、というか立ち振る舞いと言うのだろうか。管理人は仕草や動作が上品で、洗練された美しさが備わっている。
「あの、これは?」
「貴女へのお土産よ」
次々と大きな箱や袋を渡され両手じゃ既に持てない。店長へのお土産に関しては、ロッカールームに入りきれない程だ。
「海外で人気の美肌ケアのクリーム、これは貴女をイメージして作って貰った装飾品、此方は」
「こんな身分不相応な品物頂く訳にはいきません」
見たこともない高級な箱は、ハイブランド品だろう。こんな小娘が似合うわけないようなお土産で溢れてみかどの顔は真っ青だ。
「ごめんなさいね。まだ見ぬ貴女が喜べばと思って、あれもこれも買ってしまったわ」
憂いをおびた眼差しで見つめら、みかどが戸惑っていると、店長が珈琲を運んで来た。
「おばさんは、毎回買いすぎなんですよ」
「だって、鳴海さんの喜ぶ顔が見たくって」
そう言って頬に手をやり、困ったように微笑む。
「前回の時、鳴海さんがベルギーチョコを美味しいって言ったから、今回も買いにいったの。お店なら冷蔵庫が大きいから入るでしょう?」
そう言われ、店長は嬉しさを隠すように咳払いをした。
「お気持ちは嬉しいですが、少し控えて下さい」
そう言うと、今度は管理人が真面目な顔をした。
「貴男が私に毎月、学費分だと仕送りをなさるから。給料の殆どを送るって事は、貴男とても貧乏な生活をなさってるでしょ? それにまたフラッシュバックで倒れたと知らせが来たら、心配になるのは当然でございましょう?」
そう言って珈琲を一口飲み、店長を近くへ来るように呼ぶ。店長が納豆生活や雑草を食べようと、貧乏な食生活だったのは学費を返していたからか。本当の親子以上に深い絆を感じたけれど、何か少し店長が一線を引いているみたいだ。店長はこんなに大切にして下さっている管理人さんにも、やんわりと距離を置いている。
「奥様」
運転手に呼ばれ、少し振り返る。 耳元で何か囁く運転手に、管理人は少し困った顔をした。
「唯一さんや理人さん達にもお会いしたかったのに、もう行かなければ」
「もう!?」
単調が大きな声を出して驚くと同時に、みかども冷や汗が出た。今帰られたら、結局何も分からないままになってしまう。
「私に挨拶したいとおっしゃっている方々とお会いしなければいけないのよ。明日はイギリスに飛ぶので、お見送りに……」
そう言って、珈琲カップを持つ手を止めた。
「明日は土曜日だからお見送りは無理でしたわね。次はまた1ヶ月後に帰る予定だから、気にしないで。大変、もう約束の時間だわ」
「あの車まで送らせて下さい」
二人の会話に無理やり、口を挟んで申し訳いと思いつつ、声をかけた。
「ええ、是非に」
カフェの入り口を塞ぐように止まっているリムジンに圧倒されながらも、みかどは管理人の後ろを歩いた。
「明日帰るのでしたら今、少し時間頂けませんか? 」
言い終わる前に、管理人は華のようにふんわり笑った。
「鳴海さん、みかどさんをお借りしますわね」
店長の頬に手を伸ばす。店長も、管理人をまた抱き締めると、今生の別れかのように寂しそうな表情を浮かべた。2人は、ずっと抱き締めあいながら、何か話をしているので邪魔しないよう車の後ろへ乗り込む。カフェの中に溢れたお土産を、冷蔵庫や持って帰るものや、色々分けて片付けなければいけないけれど、今はこの人と話がしたい。
店長は、リムジンが消えるまでずっと手を振っていた。名残惜しげに、見てる此方が切なくなるような、眼差しで。帰る頃には、ドアが閉まっている。簡単に閉まる。その瞬間から、店長の世界からみかどは消える。次の月曜日まで消える。それは寂しくて悲しい現実。明日、明日全て真実を聞いたとして、この狂った日常を非日常に変えれるだろうか。変えたいから変えて良いのだろうか。全ては管理人との話をしてから始まる。
着いた先は、某高級ホテル。そのまま最上階のスィートルームへ一直線で、そのまま管理人は落ちつきなく花をテーブルに広げだした。
「奥様、お飲み物は?」
「ありがとう。下がってよろしいですよ」
管理人は、此方を見る事なくそう言った。花の茎を切り、四方から眺めると、花瓶へと花を差していく。
「ごめんなさいね。おかけになって頂戴」
座ると同時に、先ほどの人がクッキーと紅茶を持って現れる。
「では、ロビーで待機しております」
そう深々と御辞儀し、足早に去って行った。花を切る音が、緊張を更に増幅させていく。
「落ち着かせようと、花を活けていたら止まらなくて……。最後までやってもよろしいかしら?」
そう管理人が言うので何度も何度も頷いた。紅茶を飲む手がカタカタと震えてしまいます。
「聖マリア女学院は、華道も茶道も着物の着付けも教養の時間にお習いになるのよね」
全て活けた花を、今度は数ミリ単位で向きを動かしていく。
「悪いと思ったのですが、貴女の事は全て調べましたのよ。調べたからこそ、貴女の入居を許可したわ」
「そうなんですか。ありがとうございます。本当に私、あそこに住めて救われました」
「駄目ね、私。緊張して、出来が美しくないわ」
花を見渡しながら、管理人は溜め息を吐いた。そしてテーブルに置くと不満げに首を傾げた。
「何から話したらよろしいかしら? 鳴海さんの事は、他言するのは初めてなの」
そう言った後、管理人さんは花を1つ持ち上げると、茎を切り始めた。
「飾る為に摘まれたのが、真絢さんだとしたら、鳴海さんは、詰まれないように隠されたお花」
切った花をまた花瓶に戻すと、まだ納得できなさそうではあるが、微かに頷いた。そして、漸くみかどを見た。慈愛が感じられる、包み込むような優しい瞳で。
「貴方の義母の真絢さんと鳴海さんは、本当の姉弟ですのよ」
くしゃくしゃと、切った茎を新聞紙ごと折りたたんでいく。
「長い長い昔話は、あの歪んだ愛情が始まりなの」
そう言うが、みかどの頭は追いつかない。全身が痺れて、重くて、フワフワして、金縛りにあって。体が自分のものではないみたいだった。
「ど、して……私なんかに」
教えてくださるんですか――…? そう全て言う前に、震えて声は音にならなかった。
「賭け、かしら。大博打は好きではないのですが、私の直感を信じてみようかと。鳴海さん、貴女の事を『みかどちゃん』と『ちゃん付け』なんですってね。鳴海さん、弟の様に可愛がってる理人さん達でも『さん』付けで、どこか距離を置いてらしたのよ? なのに、貴女を『みかどちゃん』と呼ぶとお聞きしたら、何故か……」
目を伏せる管理人は、儚げに寂しげに、昔を懐かしむ様に微笑む。
「可能性を信じてみようって思ってしまったの」
「か、管理人さん……」
「ふふ。麗子って気軽に呼んで下さいな。アルジャーノンのあの子たちは、『ばぁちゃん』って呼ぶから、ドッと老けちゃうのよね」
「とんでもないです! 麗子さんは綺麗でお美しいですよ! 年齢なんて感じられないです」
管理人さんは、千景と同様に、内面から出る美しさと、慈愛に満ちた微笑みを携えた、マリア様のような女性だとみかどは思っていた。
「あら、何か勘違いしてらっしゃるわね。私が、あの部屋に鳴海さんを監禁しているのよ?」
「ええ!?」
「壊れてしまうぐらいなら、私はあの部屋に居て欲しいの。だから、貴女に賭けてみたいのよ」
そう言って、花瓶を持ち上げて隣の部屋に消えてしまった。
(どういう意味なんだろう……)
優しい人、見た瞬間分かった。優しくて、凛と咲く百合のように美しい人。なのに、なぜ店長を閉じ込めるのだろう。それに、義母が店長の姉だとしても、苗字も違ったし、全然似てもない。みかどは頭がぐるぐるして、吐いてしまいそうで口を押さえる。不安で、心臓が痛い。
「ごめんなさいね。やっぱり話の順序が上手く決められないわ。老人の昔話だと思って、鳴海さんの幼少時代を遡って宜しいかしら?」
胸を押さえながら、滴り落ちる汗も拭えず、声も発せずただ頷いた。
「あのカフェは元はただのアパートでしてね、亡くなった夫が住んでいた場所ですの。夫の遺言で壊して欲しくない、と言うから仕方なく……残しているつもりでしたわ」
麗子は鞄からハンカチを取り出した。
「だって、あの方ったらあの場所に愛人を囲っていましたのよ」
麗子はゆっくり、ぽつりぽつりと話し出した。釘本鳴海。店長の本名を口に出しながら、昔の幼く純粋だった鳴海を思い出す。母親は、派手で色気を漂わせた女性。夜の仕事をしているようだった。姉と思われる方も、母親に似た強気な顔立ちだ。弟である鳴海は、穴だらけのよれよれのセーターに、いつもにこにこな優しそうなあどけない少年だった。夫が病に倒れ、急遽夫に任せていた幾つかの不動産を麗子が管理する事になった時、とは聞こえがいいが元々は不動産の管理を麗子がしてたので、2,3個増えるぐらい別に何とも思っていなかった。あのアパートも同じ。不動産の1つぐらいしか考えていない。
『あれ? 管理人のおじさんは?』
けれど麗子が業者に頼み草むしりをしていた時に、鳴海に会った。ボロボロで伸びきったセーターで、手も隠れるぐらいサイズが合っていない。少し、薄汚れて匂いもした。
『夫は入院中なんです。今日から私が管理人になります』
『そうなんだ! 僕ね、なるみっていうの。おじさんの代わりに遊んでね』
まだ当時一年生なのに、ボロボロの黒いランドセルをいつも背負っていた。草むしりが終わった後、麗子が帰る時に走って追いかけてきた。
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鳴海さんは麗子に、広告で作った鶴を一羽、手のひらに乗せてくれていた。
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次に麗子が会ったのは、鳴海の母親だった。突然、依然意識不明の夫の病院にやってきた彼女は、どぎつい香水に、盛られた派手な髪、胸元の開いたドレス。彼女は、麗子をじろじろ上から下まで観察した後鼻で笑い、吸っていた煙草の煙を吹きかけてきました。
『あんたがあの人の奥さんだったの?』
『それが、何か……?』
『もうすぐ、旦那様、死ぬんでしょ? うちにも遺産貰う権利があるんで、その話に』
その時のとても勝ち誇った顔が、今でも麗子の脳裏に貼りついている。
『鳴海、あの人との子どもなんで』
『……認知はされていますか?』
冷静に言うと、彼女は煙草を地面に叩きつけました。
『血液検査でも何でもすれば良いわ!』
『そうですか。でも残念でしたわね。夫には財産なんてありませんわ。婿養子ですもの。岸六田の不動産は、全て私が受け継いでいますの。後は裁判でも何でもして、貴女から鳴海さんを頂きますから』
これだった。麗子が、つい彼女を負かしたくて言ったこの言葉。これが、鳴海が『監禁』される原因になったのだ。彼女は、麗子が鳴海に執着していると思いそれを逆手に取った。後から分かったのだが、借金で回らなくなっていた様で大金が欲しかったのだ。姉の真絢さんを、子供の居ないお金持ちの家へ養子に出し、莫大なお金と引き換えにしたのにも関わらず。
「彼女は鳴海さんにこう言ったの。『お姉ちゃんは死んだ。勝手に家を出たから死んだの』そう言って、庭に土をかぶせただけのお墓を作って鳴海さんに見せましたの。『鳴海は勝手に出て行かないわよね? 出て行ったらお姉ちゃんの様に死んでしまうわよ』と。毎日毎日、墓の前で言っていたらしいわ」
そう言って、誰にも会わせないように部屋に閉じ込めた。土日は、男とのデートで家に帰らない。だから鳴海を土日は決して外に出さないように、毎日毎日、ゆっくり洗脳していった。
「確かその頃からかしら。夜中、あのアパートから子どもの泣く声がよくしていて、近所から苦情が来ていたようね。幽霊だと恐がる人がいたけれど、真相は、お姉ちゃんの偽物の墓の前で泣く鳴海さんだったのですけどね」
そして悲劇が起こる。麗子の夫が亡くなったのと、それを聞いて病院に向かう先で事故にあった彼女が亡くなる日が、被ってしまったのだ。
「……ね? 他言するには重すぎる話でしょう?」
麗子は、ハンカチをキツくキツく握りしめながら、そう言った。みかどは余りに重い店長の過去に、言葉を失ってしまった。
「鳴海さんは三週間、202号室で帰らない母親を待っていましたわ。お母様は人身事故で顔も分からない酷い有り様で、身元を判明するのに、三週間かかってしまったの……」
そう言った後、突然、すぅーっと麗子の瞳から涙が流れ落ちた。
「鳴海さん、三週間ずっと202号室で、何も食べずに過ごしたの。久しぶりに私が偶然立ち寄った時に、余りに猫が鳴くので二階に上がりましたの。――定宗さんが鳴いてなかったら、私は鳴海さんを殺してしまっていたでしょうね」
ポロポロ泣く、麗子は静かに言った。
「開けた202号室には、鳴海さんが畳の上に倒れていました。手でかきむしった畳を口の中に頬張って……」
鳴き止まない定宗さんの声、広告や畳を食べて飢えを凌ごうとした、店長。想像なんてしたくないのに、鮮明に脳裏に映像が映し出される。
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「で、は、こ、このままで良いって思い、ま…すか?」
麗子は優しく首を振った。
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麗子はハンカチで涙を拭きながらみかどに問う。
「貴女はこれを聞いて、どう思いました? 鳴海さんにどうなって欲しいと願いました?」
麗子の目は真剣で、透き通る様に美しくて、全てを見透かすように真っ直ぐに、優しく射抜いていく。深呼吸をして、みかどは逃げないように両手を握り締める。全身の震えは止まらない。まだ、答えも分からない。ただ、願うのは、二人とも同じ。
「だ、誰にも、お兄さんの土日を奪わせたく……ありません」
それが、過去のトラウマだとしても。
「では、戦いますのね?」
そう聞かれて、みかどは俯いた。全身の震えは止まらなくて泣くのは、店長に失礼だったから、ぐっと唇を噛んだ。
「わ、私、ちっぽけで、お、お兄さんに何かできる程、できた人間で、も無くて、ずっと、ずっと言い、なりの、自分を持たない人形で……」
弟に守られて、千景に憧れて、岳理に助けてもらうだけの情けない自分。
「ま、まずは自分の問題とた、戦います! そして、逃げないで、父と向き合って、自分と戦ってから、お兄さんと向き合いたい……です」
俯いたまま、情けない格好だったけれど、顔を上げたら、麗子は笑っていました。優しく穏やかに、やはり慈愛に満ちた美しい笑顔で……。でも、分かってる。この人がいくら店長を大切にしてても、敵でも味方でもないんだ。
「あの、弟がアルジャーノンに、私の本当の兄が居るっていってました! ご存じないですか?」
みかどが核心に迫った時だった。向かい合って見つめあっていたら、後ろから声がした。
「お邪魔しまーす」
「あ、え……? トールさんとリヒトさん? に、葉瀬川さん」
そこには、スーツ姿の三人が立っていた。
「何でみかどちゃんが居るの?」
「おばちゃん、みかどちゃん虐めてないよね」
「麗子さん、久しぶりですねー」
「まぁ、失礼ですわね。三人ともどうしましたの?」
麗子が立ち上がると、リヒトとトールも麗子を抱き締めた。
「あんなに素敵なお土産貰って、お礼を言えないなんてないよ」
麗子は乙女の様に笑うと、ゆっくりみかどを見つめた。
「そうね。きっと居るわ。私は誰だが知っている。けれど先にお父様と戦うの、頑張って下さいね。もし、分かり合えなかった場合は、私に学費を援助させて下さいな」
この人は、どこまでみかどの事を調べたのだろうか。全て分かった上で、みかどをアルジャーノンに受け入れてくれたのだ。そして、今も受け入れてくれている。
「みかどちゃん、空港まで一緒に行く?」
二人に問われて、首を振った。
「ううん。用事ができたので」
そう言うと、麗子はウインクをして、三人にエスコートされて部屋を出た。みかどもふらふらながらも立ち上がり、目指す場所へと向かった。居場所なんてない実家へと向かう。閑静な住宅街にそびえ立つ、父の趣味で、統計学的に地震に強い形で、統計学的に落ち着く色で、統計学的な家族の間取り。つまり、どこにでもある平均的な家。
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