上 下
6 / 71
桜の花弁の賭け

桜の花弁の賭け 五

しおりを挟む

「じゃあ、その扇に桜の花が舞い落ちれば貴方の勝ち。私は貴方のものです。でも、扇に桜の花びらが落ちなければ、私の勝ち。……貴方の手腕を見せていただきます!」

精一杯の嫌味を込めて言ったのに、デイビットさんはにこやかに笑うだけ。

風は強いけど、そんなに都合よく花弁なんて扇に落ちてくるわけない。


「時間は?」

「最初に落ちた花びらが、地面に落ちるまで」

どうせ無理だろうから、意地悪に難しい時間にしてみた。

何故だか、私は心が落ち着かなく、嫌な色で心が染まっていたのかもしれない。
ルールも私に決めさせて、余裕のデイビットさんは、スーツの上を脱ぐ。
中のベストは、引き締 まっ体を更によく魅せ、見とれてしまう
ほどだった。

こんなに男の人と話したり、近づいてじっくり見るのはお父さん以外初めてかもしれない。


短大まで女子校だったからそんなに男の人と関わった事ないし。

スーツのジャケットを縁側に放ると、花のような甘い香りがする。紅茶のように薫り立つような。


ついその香りに気をやられていた時だった。




「あ」
「あ?」


パチンと扇を開くと同時に、ひらひらと花びらが舞い降りてきた。


「…………え?」

勝負はすぐに着いた。ほんの一瞬で、神様が瞬きした瞬間に。


デイビットさんは舞い降りた花びらを指先で掬い、唇で優しく触れる。


桜の花びらは、デイビットさんの扇の中に舞い降りた。吸いこまれるように、引かれ合うマグネットのように。

目を見開いて口をパクパクする私の、着物の揺れる袖を掴むと、甘い口づけを落とす。
「賭けは私の勝ちですね」

笑う。裏なんてないと思わせるように。

私は知らない。
恋愛も、身を焦がすような衝動も、駆け引きも、何も知らない。

この日まで全く知らなかった。


鳴く事も許されず、感情も殺せず不満だらけの人形だった私は。



初めて甘い賭けを知り、簡単に酔いしれて、そして負けてしまった。


「それと、私が貴方の名前をどうして知ってるかですが」

「あ、妹が……ですよね?」

「ふふ。妹さんは貴方を『お姉ちゃん』としか呼んでませんよ」

「あ……」

優しく笑いながら、そうデイビットさんは言う。

デイビットさんの唇が動くのがなんだか艶かしくて目が離せなくて。

胸がぎゅうっと締め付けられた。


「私が貴方の名前を知っているのは――……」


そう言いかけて、ふっと後ろを向いた。


「んまっ! デイビットさん!」

応接間に来た母が、デイビットさんを見て目を丸くした。


「ああ、こんにちわ。今日も美しいままですね。麗子さん」

「そんな挨拶はいいから、中に入ってちょうだい。まぁまぁまぁ、靴下で庭になんて」

珍しく母の厳しい表情が慌ていたが、デイビットさんはにこにこ笑ったままだ。


「小鳥がないてたので、降りてしまいました」

「まぁ。雀かしら? 人が多いから庭にまでは鳥は入って来ないのよ」

母は汚れたら靴下を気にしてハンカチを取り出すが、やんわりとデイビットさんは断り、靴下を脱いでズボンのポケットへ入れる。

そして私を見るとウインクした。


「なき方も知らない鳥でした。なかないから気づかないなんて、麗子さん達は忙しすぎて美しい鳥の姿を見逃していますね」


「貴方も生意気な事を言えるようになってきたわね。可愛いげなくてよ」


母が相変わらず冷たくズケズケと言ってはいるが、言葉尻は優しくて。
デイビットさんと親しい雰囲気が伝わった。


「…………」

なく、か。
『泣く』なのか『鳴く』なのか。

外国人のくせにデイビットさんは言葉で遊んでいて、――その使い方も大人みたいで素敵だった。
「なかなか日本に来るチャンスがありませんでしたので美一さんに線香と、美麗さんに大使館イベントへ招待しに参りました」

白い封筒を取り出したデイビットさんは、桜の刻印が押されたそれを私に差し出す。


「賭けの続きはこの日に。御待ちしておりますよ」

「え、あのっ 私がですか?」

「はい。イギリスの食文化に触れるイベントですから、美麗さんに」


にこにこと微笑むデイビットさんは、私が招待状を受け取らずに困惑していると、手を掬い上げて握り締めるように手渡す。


「鹿取家の代表としての招待でしたらその子は未熟です。私が美鈴を連れていきますよ?」


母はお弟子さんが運んできたお茶と和菓子を机の上に置きながら、デイビットさんへ渡す。

デイビットさんは、首を振ると『いいえ』とはっきり答えた。


「私は美一さんを招待したかった。だから美麗さんを招待します。誰も美麗さんの変わりは居ません」


『美一さん』とデイビットは父の名前を親しげに呼ぶ。

「私は貴方と美一さんを偲びたい。だから、貴方がいいです」

はっきりとそう言うと、ジャケットを腕にかけて立ち上がる。

「話はそれだけです。仕事の休憩時間に来ただけですので、今日はこれで」

デイビットさんは母の手を取り、手の甲に唇を寄せた。

「散々待たせてしまったのに、申し訳ないわ」

「いえ。家族で話し合う事は大事です。喧嘩も時には、ね」

「まぁまぁ。意地悪ですね。デイビットさんは」
母は苦笑して、私に視線も送らずデイビットさんの後ろを歩きだす。
それに気づき、後ろを振り返るとデイビットさんは見送りもきっぱりと断った。

「麗子さんも忙しそうですから、もし見送りして下さるというなら、美麗さんをお貸し下さい」

「ええ。デイビットさんがそう言うなら、ほら、美麗」

さっきまで見えていないかと思っていたのに、母は私の名前を強い口調で言う。

咄嗟のことに、母の声に慣れてしまっている私は背筋を伸ばして「はい」と返事をしてしまう。

「返さないかもしれませんよ」

不敵に笑うと、私にウインクした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

処理中です...