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だから、呪文のように嘘を唱えた。

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「全く」

 笹山を起こせるのは、酔っていない進歩さんだけだろう。
 メニュー表を真剣に見ている沙也加を確認してから、トイレを覗く。

 二つ個室があり、化粧スペースもあって綺麗だしトイレもよさそうだ。

「おい、酔っぱらってださくねえか。歳を考えろよ」
「うー……すまん。うえ」


 ……うそお。入口から男子トイレの声がはっきり聞こえる。
 これは逆に言えば、女子トイレの声も丸聞こえってことか。
 二次会始まる前にちゃんと注意してもらっておこう。

「てか、神山の恋人、淡々としてるけど綺麗な人だね」
「ああ。お前も覚えてるだろ。大学が同じで」
「知ってる。口には出してないけど、彼女が飲み会に現れたらお前も来てたじゃん」

 ――それって。
 まるで進歩さんが大学時代から私のことを狙っていたみたいな言い方だ。

 そんな都合のいい話は信じられない。

「あの時、S大のミスS女と付き合ってたけど、あっちはお前のスペック目当てだったじゃん。彼女は」
「桃花はスペックとかじゃねえよ。恋愛しないお見合いの方が楽って理由。俺も親が文句ない相手で、会社に損がない相手ってだけ」
「お前さあ、それって」
「いいから。さっさと吐いてすっきりしろよ。もう一人の幹事が、メニューとか決めてくれてたぞ」
「うう。すまん。まだ気分がよくない」
 大きなため息まで聞こえてきてしまった。
そしてトイレから出てきた進歩さんは、固まっていた私を見て目を見開いていた。

 ……だが彼は、トイレの話し声が筒抜けだという真実はまだ知らない。

「笹山もトイレに突っ込んでくれる? そこに座り込んでるの」
「ああ、って。おい、笹山、寝るなよ」

 ぺちぺちと頬を数回叩かれた笹山が、ふらふらしながら立ち上がってトイレの中へ向かう。
 一度、進歩さんが振り返ったので、よろしくねっと微笑んでおいた。

 聞いたか聞いてないかは私にはどうでもいい。
 今さら何も止まる理由はないから。

「おい、桃花」

 笹山を井上さんに押し付けてきたのだろう進歩さんが戻ってきた。
 その表情は少しだけ焦っていた。

「――何?」
「お前、聞こえてたのか」

 駆け引きなしの直球な問いに、私も素直に微笑みながら答える。

「聞こえていたけど、別に何も問題ない話じゃないの」
「……桃花」
「早く笹山をなんとかしておいて」
「桃花、待て。言い訳になるが――」
 その言葉を遮りたくて、私は首を振る。

「大丈夫。もう破棄しないから。ちょっとのことで逃げないし」
 笹山や、沙也加たちが決めてくれたBARを見渡しながら、こぼれだす本音は嘘を隠してくれる。

「招待状も出した。料理も決めた。もう今更ここまでしといて破棄するほど私は子供じゃないよ」
「その言い方だと、ここまで決まったから辞めれねえって言ってるように聞こえるが」
「進歩さんだって今更ここで辞めたら困るでしょ。私より、――困るのはあなただよ」

 此処まで決めたら、逃げられないのは進歩さんも同じだ。
 一度破棄されて噂されているはずだしね。

 見上げた進歩さんは、今にもとびかかってきそうな強い感情を必死で抑えているような様子。
 その様子に私も首をかしげる。
 その強い感情は、何だろうと目を覗き込む。

「桃花―。誰も戻ってこないからメニューチェック付き合ってよ」
「はーい。頼むからね、この笹山」

 駆けていく。私を追わず笹山に話しかける声を背に、私ももうとっくに限界だった。
 咳が止まらなくなった。
 まるでこの恋は、風邪のようだった。
 処方箋はもらえなかった。不治の病ではないのに病名を名付けようとしたら相手に気づかれたくなくて嘘で症状を 誤魔化すような、所謂偽りだらけの恋だった。

「桃花、聞いてる? 咳、大丈夫?」
「うん。大丈夫……っ 続けて」

 口元をハンカチで抑えつつ、頷く。

 彼が、笹山の前でいい人ぶっているのを知っている。
 私の友達で幹事でもある沙也加の前で爽やかで好青年ぶるのも知ってる。

 だから、ここで私を問い詰めることもないのも知ってる。
 はず、だった。

「えっと沙也加さんだっけ。ちょっとこいつ、きつそうだから外の空気吸わせてきていい?」
「え、あ、はい。あの、最近、この子具合は悪くないのに咳ばっかしてて」

 腕を掴まれ、カウンターの席から降ろされる私を見つつ沙也加が言う。

「精神的に何かきついんじゃないのかな、って思うんです」

じわりと視界がにじんでいくのが、もう隠せなかった。
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