上 下
3 / 62
無口で寡黙で真面目な彼はどこですか。

しおりを挟む
「そうですね。では担当の者が帰ってくるまで待たれますか。折り返し電話させましょうか」
「おい、その生意気な態度を――」


 怒鳴られそうになった瞬間、私の椅子が後ろへ引っ張られた。

 くるんと回転して、隣のスペースに押し込められる。

代わりに椅子に座ってそのお客様の対応をしたのは、私の知っている香水を纏わせた男だった。

「すいません。彼女、こっちの担当ではないので。お話は此方で聞きます」

 名刺を取り出しながら、その男は私の方を振り向いた。

「都築さんは事務の仕事に戻って結構ですよ」
「なっ」
「ほお、あんた若いのに、神山商事の副社長なのか」
「副社長!?」
「新しく不動産売買仲介事業を始めることになったんで引き抜かれたんですよ。こちら、名刺です」

 戻って結構ですよ。
 そう言われたのに私はその場からしばらく動けなかった。
 向こうからは顔が見えないとは思うけれど、私の口は情けないことに大きく開いていたと思う。

 今、私の椅子を引いて逃がしてくれた男。
 この男、見覚えがあるんですけど。

「都築さん、大丈夫でしたか?」
「あ、うん。えっと、あの人、なんでここにいるの?」

 びっくりして素で言葉を失ってしまった。
 あの偏屈くそじじいと笑いながら世間話をしている男。
 もしかして私の見間違いなのかな。


 私の知っている人は、もっとお硬くてもっと真面目で、気の利いた言葉なんて話そうともしなかったはず。

「あー、本社から挨拶にわざわざ来てくださったみたいです。新しい部署設立につき就任するみたいです。社長のお孫さんとか言ってました。銀行のニューヨーク支社で働いていたんですって」

「いや、あいつの情報はいいから。名前、名前よ。もしかして」
泰城ちゃんはクエスチョンマークを浮かばせながら、首を傾げる。
「は、はい。神山進歩さんと言ってました」
「ひいい」

 思わずロッカールームまで走ってしまった。

「え、あの、都築さん?」
「私はお腹が痛いので、ロッカールームで休んでる。ので、あの人が帰るまで出てこないから」
 ロッカールームでできそうな仕事を、再びダッシュでデスクから集めて逃げ帰った。

 しまった。忘れていた。それでいて、この子は今年からここに入社したのだから、彼と私の関係を知らないんだ。

神山進歩。

 うちの叔父が本社で勤務していたと、祖父のアパートの仲介業者がこの神山商事だった。
それで二年前に、社長のお孫さんとお見合いの話が来て――。
その席で現れたのが神山進歩だった。
 磨かれた銀色のフレームの眼鏡は神経質そうで、真面目そうで寡黙で無口な彼ははっきり言えば第一印象から好感触だった。
 気取ったことや気の利いたことは言わないけど、背筋がぴんとして凛とした好青年。
眼鏡を外したら、あの整った造形がもっと引き立つんじゃないだろうか。

 そう思うほどの美形でもあった。

『一目会った時から決めていました。桃花さんの意見はどうでしょうか』

 眼鏡を指先で上げながら、照れもせずに言われ舞い上がった。
 なんて格好いい人なんだろう。誠実で嘘なんて吐かなさそう。

『私でいいのなら、まずはその、デートでも』
 浮かれた私は、彼を振り回す。
 デートは一方的に話して、一方的に連れまわしたけれど、懐の大きい彼は嫌な顔もしなかった。

それが益々私を舞い上がらせていた。

「あーあ……」

 うっかりしていた。彼は銀行員で、海外赴任なんて出世街道まっしぐら。
 だから、この神山商事に戻ってくるとは思っていなかった。
 海外で金髪でスタイルの良い、フェロモン系の女性に騙されて国際結婚ぐらいするんじゃないかって思ってたのに。
 まさか、戻ってくるとは。
 しかも、副社長に就任って、会社を継ぐ気満々だよね。

 さっき一瞬、別人かと思った。
 だってあんな風に声に表情が付く人ではなかった。
 顔を見る前に逃げ出したから別人かと思ったんだけど。

「出てこい、桃花」
「ひ」

 ロッカールームの間で、扉をノックされ飛び上がった。
「いるな、そこに」
……なんか口調も違う。神山進歩はもう少し敬語で丁寧に喋る人だった。

「いるよな。分かってるんだからな」
「……い、いません」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

陛下の溺愛するお嫁様

さらさ
恋愛
こちらは【悪役令嬢は訳あり執事に溺愛される】の続編です。 前作を読んでいなくても楽しんで頂ける内容となっています。わからない事は前作をお読み頂ければ幸いです。 【内容】 皇帝の元に嫁ぐ事になった相変わらずおっとりなレイラと事件に巻き込まれるレイラを必死に守ろうとする皇帝のお話です。 ※基本レイラ目線ですが、目線変わる時はサブタイトルにカッコ書きしています。レイラ目線よりクロード目線の方が多くなるかも知れません(^_^;)

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

英国紳士は甘い恋の賭け事がお好き!

篠原愛紀
恋愛
『賭けは私の勝ちです。貴方の一晩をいただきます』  親の言いつけ通り生きてきた。『自分』なんて何一つ持って いない。今さら放り出されても、私は何を目標に生きていくのか分からずに途方にくれていた。 そんな私の目の前に桜と共に舞い降りたのは――……。 甘い賭け事ばかりしかけてくる、――優しくて素敵な私の未来の旦那さま? 国際ショットガンマリッジ! ―――――――――――――― イギリス人で外交官。敬語で日本語を話す金髪碧眼 David・Bruford(デイビット・ブラフォード)二十八歳。 × 地味で箱入り娘。老舗和菓子『春月堂』販売員 突然家の跡取り候補から外された舞姫。 鹿取 美麗 (かとり みれい)二十一歳。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

処理中です...