8 / 18
皇帝陛下は逃さない 8
しおりを挟む「……………………」
「……………………」
なぜか無言な二人。
片方は本に眼を落とし、片方は書類片手に執務中。
先日まで、べったりだった二人に不可思議な距離が空いていた。
訝る護衛や側近等。
……まさか、ここにきて何か不具合が?
……やめてくれ、また陛下が御乱心したら目も当てられないぞ?
……あの狼はどこだ? 今のうちに隔離しておくか、どこかに逃がしてしまおうっ!!
目は口ほどに物を言う。
アイコンタクトを越えた意思疎通を果たし、交代した護衛が、慌てて部屋から飛び出していった。
それと同時に運び込まれる昼食。食欲をそそる匂いに顔を上げ、オルフェウスがアンドリューに声をかける。
「陛下、そろそろお昼にございます。小休止いたしませんか?」
「ああ、そんな時間か」
並べられていく食事を見て、皇帝もテーブルへと向かった。そして、それぞれ席に着き、各々の手で食事をする。
それを呆然と眺めて言葉を失う周りの人々。
……何が起きて? あの陛下が、婚約者様を放しているとは。
……分からない。昨夜から、この有り様だ。
……飽きられたのか?
……有り得ないだろうっ? また狼を溺愛されたりしたら、堪らないぞっ?!
……せっかく人間に懸想なさってくださったのに。
ジェスチャーまで交えて、あわあわする側仕え達。
そんな彼等の視界の中で、二人は当たり障りない会話をしながら食事を続けていた。
「不自由はないか?」
「はい。……寝室の鎖がなくば、もっと楽なのですが」
「……………善処する」
自分の目が届かない時は、どうしてもオルフェウスを繋いでしまうアンドリュー。寝る前に繋ぎ、起きたら外す。それが毎日繰り返されていた。
二人にしか分からない会話に、耳ダンボで聞いている周囲の人々は首を傾げる。
「美味いか?」
「ええ。特にこれが……」
「……なら、俺のもやろう」
オルフェウスが微笑んで食べたのは赤い果実。そういえば、狼の頃もこれが好きだったなと思い出したアンドリューは、自分の皿の果実もオルフェウスの皿に移してやろうとした。
差し出されたフォーク。それを相手の皿に置こうとした瞬間、アンドリューは思わず硬直する。
オルフェウスが差し出したフォークに口を寄せて来たからだ。
当たり前のように開いた薄い唇。そこから覗く小さな舌の赤さが、妙に艶めかしい。
ぱくっと食べたオルフェウスは満足そうに微笑んだ。最近、よく笑うようになった婚約者様。アンドリューの眼福である。
「ありがとうぞんじます、陛下。……なら、こちらを。お好きですよね?」
流れるような所作で差し出されるフォーク。それには、アンドリューの好きなエビのカクテルが刺さっていた。
はい、と衒いもなく伸ばされた手に狼狽え、皇帝陛下は眼を白黒させる。
…………うおおおぉぉっ! 俺の好きな物を覚えてっ?! いや、それじゃないっ、それだけど、そこじゃないっ!! 可愛いことをするのは、やめろおぉぉっ!!
滾る男の劣情。こんな些細なことでもおっ勃つほど、今のアンドリューはオルフェウスに餓えていた。
どろりとした欲望が腹の底に渦を巻く。散々暴いてきた獲物の艶かしさに、彼は眼が眩みそうだった。
……違う、違うっ! コイツは何も考えていない! 期待するなっ! まだ、これからだっ!
これが計算された奸計ならアンドリューも楽なのだが、オルフェウスは素でやっている。これまで、羞恥も裸足で逃げ出すような赤裸々な暮らしをさせていた弊害だ。
これを望んで調教してきたはずなのに、手を出せない今は、生殺しでしかない。
くっそ………っ! これは特別なことなんだ。手ずから食べさせるなんて、普通はやらない。やらないんだよっ! ……ぬああぁぁっ! これを当たり前と思ってやられるのはキツいぃぃっ!! お前、誰にでもやるだろうっ?! 大したことじゃないと思ってるだろうっ?! うあああぁぁーっ!!
後の祭り感満載な懊悩煩悶で悶絶する皇帝の姿に、何が起きたのか分からず、小首を傾げるオルフェウスである。
「……陛下が可怪しくはないですか?」
昼食後、アンドリューが小用に立った隙に、オルフェウスは執務室の護衛に尋ねた。
……陛下が可怪しいのは今に始まったことではないのですが。
と、思いはしても口の端にのぼらせず、護衛は儀礼の範囲で答える。
「どうでしょうか。私は婚約者様と仲睦まじい陛下しか存じません。今は少し忙しいだけと思われます」
……お願いします、陛下を誑し込んで離さないでください。あの方は、油断すると狼に走っていくのです。それだけでなく、破廉恥極まりない行為に及ぶのですっ!!
切実な内心を上手に隠し、にっこり微笑む護衛。それを見上げて、オルフェウスは小さな嘆息をもらした。
……仲睦まじいか。前と比べたら、たしかに悪い待遇ではない。無体も働かないし、何くれと気をかけてもらっている。……あれかな? 手に入れたから、もう興味が失せたとか? 男って、そういうとこがあると聞くし。落とすのを愉しむというか。うん。
妃になると決まったから、もう可愛がってやる必要はないと思わ……… ーーーーっ?!
そこまで考えて、オルフェウスは思わず口に手を当てた。己の破廉恥な想像で、みるみる顔が朱に染る。
……何を考えてっ! まるで、閨を望んでいるような……っ! やだやだっ! あさましいっ!!
しかし身体は正直だ。そう思い立っただけで、オルフェウスの中が、ずくりと重く疼いた。じわ……っと広がる熱い何か。
それの求めるものを自覚して、オルフェウスは深い自戒に陥る。
……なんて、はしたない。まるで盛りのついた犬のようではないか。……ああ、狼ではあったな、うん。
そしてオルフェウスの脳裏にアンドリューの言葉が過る。
『……こういうことだ。オルフェウスが男だろうが女だろうが、ましてや狼であっても俺には関係ない。愛せるし、抱けるし、離さない。分かったか?』
父候爵に向かって皇帝の吐き捨てた啖呵。
……愛せる? 犬畜生でも? あの時は……頭が可怪しいんじゃないかと……思ったけど。
実際にアンドリューは狼姿のオルフェウスにも怯まなかった。それを理解して、オルフェウスは劣情と別の新たな疼きを覚える。
甘やかな秘密めいた火照り。心地好いソレが肌の下を這い回り、無意識に零れる熱い吐息。
「狼でも…… 愛せる……か」
何気ないオルフェウスの呟きを拾い、壁際に立っていた護衛達が、ぎょっと目を見張った。
……バレてるっ?! 不味い、陛下が狼を溺愛する変態なことが知られてしまったのかっ?!
それぞれ、明後日な方向に考えを巡らせる中、皇帝陛下が戻って来る。
「……? どうした? 何か雰囲気が……」
戻ってきたアンドリューは、顔面蒼白で立ち竦む護衛らと、頬を朱に染めて憂い顔な婚約者を何度も交互に見て、悋気を爆発させる。
「なんだ、これはっ?! 何があった? なぜ顔が赤いのだ、オルフェウスっ! こいつらが何かしたのかっ?!」
……えええええぇぇーーーっ?!
と、あらぬ冤罪に慌ててふためく護衛騎士達。
こうして、気づいても良さそうな感情に気づかないまま、オルフェウスの毎日は続く。
愛しい婚約者に情を寄せて欲しい。慕われたいと、わちゃわちゃするアンドリューを尻目に、あらゆる妄想や勘違いが、面白いくらい交差する王宮だった。
83
お気に入りに追加
280
あなたにおすすめの小説
こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件
神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。
僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。
だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。
子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。
ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。
指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。
あれから10年近く。
ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。
だけど想いを隠すのは苦しくて――。
こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。
なのにどうして――。
『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』
えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)
攻略対象5の俺が攻略対象1の婚約者になってました
白兪
BL
前世で妹がプレイしていた乙女ゲーム「君とユニバース」に転生してしまったアース。
攻略対象者ってことはイケメンだし将来も安泰じゃん!と喜ぶが、アースは人気最下位キャラ。あんまりパッとするところがないアースだが、気がついたら王太子の婚約者になっていた…。
なんとか友達に戻ろうとする主人公と離そうとしない激甘王太子の攻防はいかに!?
ゆっくり書き進めていこうと思います。拙い文章ですが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします
椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう!
こうして俺は逃亡することに決めた。
後輩に本命の相手が居るらしいから、セフレをやめようと思う
ななな
BL
「佐野って付き合ってるやつ居るらしいよ。知ってた?」
ある日、椎名は後輩の佐野に付き合ってる相手が居ることを聞いた。
佐野は一番仲が良い後輩で、セフレ関係でもある。
ただ、恋人が出来たなんて聞いてない…。
ワンコ気質な二人のベタ?なすれ違い話です。
あまり悲壮感はないです。
椎名(受)面倒見が良い。人見知りしない。逃げ足が早い。
佐野(攻)年下ワンコ。美形。ヤンデレ気味。
※途中でR-18シーンが入ります。「※」マークをつけます。
【完結】深窓の公爵令息は溺愛される~何故か周囲にエロが溢れてる~
芯夜
BL
バンホーテン公爵家に生まれたエディフィール。
彼は生まれつき身体が弱かった。
原因不明の病気への特効薬。
それはまさかの母乳!?
次は唾液……。
変態街道まっしぐらなエディフィールは健康的で一般的な生活を手に入れるため、主治医と共に病気の研究を進めながら、周囲に助けられながら日常生活を送っていく。
前世の一般男性の常識は全く通じない。
同性婚あり、赤ちゃんは胎児ではなく卵生、男女ともに妊娠(産卵)可能な世界で、エディフィールは生涯の伴侶を手に入れた。
※一括公開のため本編完結済み。
番外編というかオマケを書くかは未定。
《World name:ネスト(巣)》
※短編を書きたくて書いてみたお話です。
個人的な好みはもっとしっかりと人物描写のある長編なので、完結迄盛り込みたい要素を出来るだけわかりやすく盛り込んだつもりですが、展開が早く感じる方もいらっしゃるかもしれません。
こちらを書いて分かったのは、自分が書くとショートショートはプロットや設定資料のようになってしまうんだろうなという結果だけでした(笑)
※内容や設定はお気に入りなので、需要があるかは置いておいて、もしかしたら増量版として書き直す日がくるかもしれません。
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる