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理不尽は終わらない 6
しおりを挟む「……落ち着いたね?」
「ああ。他の国は大混乱みたいだがな」
件の病が天然痘だと発覚し、さらには既に牛痘も存在すると分かった、あの日。
源之助とナイジェルは牧畜村を訪れ、軽い症状の若者達を見つけた。彼らは体調が悪いことを流行り病と繋げておらず、似たような別の病だと思っていたらしい。
『だって、あんな爛れた発疹じゃないし…… 熱で出来た吹き出物だとばかり…… これも同じ病だったんですか?』
驚く村人らに頷き、源之助は弱毒というモノを説明する。
『動物でも植物でも同じですが、強いものと弱いものがありますよね? 病もそうなのです。どんな毒性の強い病気でも、稀にその毒性が弱まったりします。それが牛痘…… 人間でなく、牛に感染した病です。その弱い病に人間が感染すると、その人間には抗体…… えっと…… 罹った病気を退ける強さが宿ります。免疫と呼ぶものです。ナイジェルは分かるよね?』
『……あ、七日熱か。あれと同じなんだな?』
彼は源之助に言われた意味を思い当たったらしい。
『そう。だから、ここの村で症状の出ている人達から発疹のカサブタを集めて、粉にして欲しい。それを粘膜から吸収させて弱毒の病に感染させるんだ。あるいは、発疹の膿を針とかに塗りつけ、直接体内に入れるんでも良い。とにかく、この弱い病の感染を広げたい。そうすれば、誰もが天然痘の免疫を得られるから』
ワクチンというには乱暴だが、今はこれしかない。わざと弱い菌に感染させ、強い菌に抗うのだ。
弱毒感染者の数は限られている。感染源として回る内に完治してしまうだろう。そうしたら新たな感染者を生きたワクチンとして探さねばならない。
悠長に各地を回る暇もないし、遠方にはカサブタの粉で感染者を作る。上手くいくかは分からないが、手を拱いているわけにもいかないのだ。
幸い、今のところ件の病は港街限定だ。たぶん、輸出入の船を通して外部から持ち込まれたのだろう。連なる山脈が陸路を塞いでいるクイナの地形が、疫病の侵入を防いでいたのだ。
……本物の天然痘が国中に広がる前に、弱毒を広めなくては。本物が席巻したら、それこそ地獄絵図待ったなしなんだから。
説明しながらも少しずつ顔色を悪くする源之助。死病と呼んでも差し支えない悪質な疫病への恐怖で、手足が小刻みに震えだす。
適切な処置が出来るなら、天然痘でも死亡率はぐんと下がる。しかし、その適切な処置を源之助は知らない。
同じように知識のなかった時代には、それこそ国が滅ぶのではないかと思うほど死者を出した病気だ。多少の予防方法が分かったところで楽観視は出来ない。
……間に合うのかな? まだ港街だけだし、あちらを優先して…… 隔離はされてたよね? ああ、でも、すでに物品が運ばれてる。人間も動いてる。どこかで爆発的に発症したら? どうしたら良い?
己の想像に恐怖し、どんどん青ざめていく源之助の頭をナイジェルが片手で抱き込んだ。
「落ち着け。理屈はなんとなく分かったから。つまり、この村の弱い病を広めたら良いのだな? おいっ! 今の話どおりに進めろ。症状の出ている感染者は、旅支度をして各地に向かうんだ」
真剣な顔で頷き、村人達は即座に動いた。
「お話は分かりましたよ。医師らを同行させて、その生きたわくちんとやらを維持しましょう。……病を沈静化させることはあっても、広めることに携わろうとは。医師仲間も驚きましょうな」
長く病と触れ、多くの患者を診てきた医師は源之助の話を理解したようだ。
その知識や技術が低くとも、さすが医師を名乗るだけはある。港街からついてきてくれた先生が、横つながりな医師らに連絡をつけ、今回の説明と指示を引き受けてくれた。
今にも泣き出しそうな顔で一人焦っていた源之助は、きびきび動く人々を呆然と眺める。
その惚けた嫁を見下ろして、ナイジェルは困ったような切ない眼差しを向けた。慈愛のこもった温かな瞳。
……こいつは。病が蔓延して人死にが出ようと、お前のせいではないのに。なんで、そんな世界の終わりみたいに辛そうな顔をするんだか。
「お前は、なんでもかんでも抱え込みすぎだ。俺がいる。周りもいる。もっと頼れ。泣いて喚いて暴れろ。どんな我が儘だってかなえてやるから」
にっと破顔する旦那様を見上げ、とうとう源之助の目が決壊した。
……怖かったよ。初めて聞いた伝染病被害。それも極悪な疫病と分かって、どうしようかと。
地球でも菌やウィルスが変異したり、現代医学をもってしても救えなかったり、数多な最悪を源之助は知っていた。
そんな事象が異世界で起きたのだ。落ち着けという方が無理である。下手に知識があるため、その恐怖はうなぎ登り。底なしの絶望が源之助を襲った。
この世界の医学は拙い。それを知り、余計に焦燥を煽られた。自分が何とかしなくてはと。
……馬鹿だよなぁ。俺一人に何とか出来るわけないじゃん。この世界の人達に任せるしかないんだ。
頼りになる強靭な腕に包まれて、源之助は静かにほたほたと泣いた。
「子供らのところには詳細な資料を送ってある。弱毒患者のカサブタを粉末にしたモノも。あいつらは大丈夫だ」
港街の大混乱から数ヶ月。クイナ王国の事態は沈静に向かっていた。
何百人もの子をなした妃な源之助の名声が役に立った部分もある。伊達に至宝などと呼ばれてはいないなと、王宮や知識人達は、源之助のいう免疫や消毒、栄養といった新たな言葉にも耳を傾けてくれたのだ。
おかけで事はスムーズに進んだ。
……これが名も無い平民の言葉だったら、さっくり一蹴されてたんだろうな。
過去の苦労に見合う名声。奇跡の妃だの、神に贈られた女神だの、源之助個人としては全力で拒否したい肩書きだが、思わぬところで役に立ったものである。
後発の情報で、子供らの嫁いだ国も落ち着きを取り戻したと聞くし、ようよう源之助は安堵した。
そしてその情報を、クイナ王国は世界にも発信する。
「信じるも信じないも相手の勝手だ。あとは成り行きに任せるしかない」
そうほくそ笑み、ナイジェルは疫病騒動で御無沙汰だった嫁を抱え上げ、寝室へと向かった。
「ちょっ! そんな場合じゃないでしょ、まだっ!」
「知るか。やれることはやっただろうが。あとは成るようになる」
「その結果が分かるまで待てないのかーっ!」
「待てない」
どキッパリと言い切る旦那様。
……こんのケダモノがぁぁーっ!!
あまりの大騒ぎで、この世界の男達が精力絶倫な獣なことを失念していた源之助。
ぎゃあぎゃあ喚き散らして王太子に運ばれる源之助を、周りの人々が生温い眼差しで見つめる。
その眼差しには、微笑ましさと同衾する敬愛が深く刻まれていた。
病は神の範疇。人の手では何も出来ない。患者が苦しまないよう、症状を緩和する努力しか。
その定説を覆し、源之助は世間に知らしめてしまった。病は治せるのだと。魔術道具を使用しなくても、人の手で癒せるのだと。
今回のように大規模な疫病でも、適切な処置と知識で克服出来ることを、源之助は万人に見せつけてしまった。
わちゃわちゃ暴れた彼の投げ込んだ小さな小石は波紋を広げ、それがこの世界に医学の芽を芽吹かせるのだが、そんな御大層な未来が訪れるなど、今の源之助の知るところではなかった。
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