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 理不尽でない暮らし 2

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「ルドラぁー」

「はい、グエン様」

 呼べばパタパタと足音がして、すぐに彼が現れる。隣の部屋で執務をしているらしく、この宮の管理と経理がルドラの仕事なのだとか。
 そして彼は源之助の頼みどおりマーリンに交渉してくれたらしく、週に金貨五枚という御手当てを確約してもらってくれた。
 この世界の週は十日。月は三十日。年は十二ヶ月。地球とほぼ同じだ。つまり源之助の御手当ては月に金貨十五枚。

「銀貨一枚で宿屋に二日泊まれるわけで…… 金貨は銀貨何枚?」

「………百枚ですね。間に大銀貨が入ります。銅貨十枚で大銅貨。大銅貨十枚で銀貨です」

 少し不思議そうに眉を上げつつ、ルドラは貨幣の価値を説明してくれた。

 ……え? 銀貨一枚、日本円にてらすと一万くらいだよね? その百倍? は?

『ざっと千五百万ですな。えらい高給取りにならはって。良うござんしたな』

 えー………? と放心する少年をルドラが冴えた眼差しで凝視する。その眼に浮かぶ疑心。
 やけに大人びて物を良く知り、割り切りの早い源之助が、ときおり見せる幼さ。それが彼は気にかかっていた。
 いや、幼さというか、俗世離れした無垢さというか。普通の人が当たり前に知っているだろうことを、たまに少年は知らないのだ。

 ……金銭の価値を知らないとは。……銀貨は知っているのか。どういう育ちをしてきたのだろう。

 ものは試しと、ルドラは懐の財布から貨幣を取り出し、テーブルに並べてみる。チャリ…っと硬質な音を聞きつけて、源之助がテーブルに視線を振った。

「これがこの国のお金?」

「……そうですね」

 ……この国の? ……本気でお金を見たことがないのですね。

 この世界の貨幣は共通だ。国別で分けていた頃もあったが、遥か昔の話。よほど大陸から離れた島国や外つ国では、今も昔ながらの貨幣を使っているところもあるらしいが、大陸内で流通する貨幣は同じである。

 ちゃ……っと指先で硬貨を滑らせ、ルドラは詳しく説明する。

「これが銅貨です。分かりますか?」

「うん。こっちが銀貨、こっちが金貨だね。それぞれ小さいのと大きいのがあるんだ? ……混ざり物が少なそう。キレイだね」

 ちん……っと涼やかな音のする硬貨を摘み、物珍しげに眺める少年。
 銅貨は軽く刻印して潰しただけのような歪な丸形をしていて、銀貨は縦長な鋳型で形を揃えた感じに見えた。金貨はちゃんと硬貨として両面拵えてある。

「貨幣の価値は、そのままこの金属の価値です。混ぜ物は殆どしないですね」

 ……つまり金はこのくらいで百万の価値なわけか。けっこう高いな? 大金貨はこの十倍の大きさなのか? 小判みたいなサイズになりそう。
 
 分厚い金貨ではあるが、地球でいえば、多分一オンスくらい。地球なら五十万はしない価格だろう。
 ほほぅ……とテーブルに張り付いて、源之助は硬貨を見比べる。そして、自分がもらった金貨を入れる何かが欲しいとルドラにねだった。

「財布ですか? こういった物でよろしいなら」

 ルドラがお金を入れていた革袋を差し出すが、それに少年は難色を示す。
 その袋はただの巾着型。口を絞る紐がついてはいるが、寄った革が隙間だらけで心許ない。
 
「ん~…… これって、ただの袋じゃん? 落としそうで怖いな。もっとこう…… 平たくて、出来れば首から下げたり腰につけられたりする小さな鞄みたいのはない?」

「……? かばんとは?」

 身振り手振りで説明する源之助に、今度はルドラの方が疑問顔で問いかけてきた。そこで、ようよう源之助も思い至る。

 ……そういや、ここに来てから鞄っぼい物を見たことないかも?

 大抵の物は箱に入れられている。用途に合わせた木箱や化粧箱など。他は袋ばかりだ。ズタ袋や革袋、ちょっと小洒落た巾着みたいな物とかしか、少年は見たことがない。

 ……あああ、そっか、ないのかぁぁ……っ!

 言われてみれば、この発展途上っぽい世界に鞄は必要ないだろう。馬車や馬での移動には、鞄よりも箱や袋が便利に違いない。
 だいたいが大荷物だ。現代みたく、カードだの近場の化粧室や多目的ショップなど便利な場所はないのだから、当然、持ち運ぶ荷物も多くなる。
 平民なら、むしろ風呂敷みたいな物の方が絶対に役立つはずだ。折りたためる布袋とか、そういったコンパクトで大容量を持ち運べる物が主流なのだろう。
 貴人に至っては沢山の使用人がいる。荷物は使用人に持たせて本人は手ぶらがデフォ。

 ……鞄もないのに、財布なんてあるわけないよあな。うーん、どうしよ?

 ちらっと金貨を眺め、源之助は学校で習った家庭科を思い出していた。
 リュックサックみたいなのやエプロンなど、必要な材料がまとめて入ったキットを買って作ったアレコレ。
 うろ覚えだが、形は何となく覚えている。やってやれなくはあるまい。
 そう考えた少年は、ルドラに裁縫道具と布をねだった。
 衣装はちゃんと仕立てられた物ばかり。御針子や職人は存在する。ならば裁縫道具もあるだろう。
 期待に眼を煌めかせる少年を見下ろし、ルドラは殊の外嬉しそうに頷いた。

「裁縫…… 刺繍でもなさるのですか? 良いですね、マーリン様にも何か刺して差し上げてくださいませ」

 ぱあっと顔をひらめかせ、グエンはいそいそ色々な物を源之助に届けてくれる。

 ……は? 刺繍? 出来ねーよ、そんなん。え?

 簡単な財布と、背負うか肩掛け出来るようなカバンを作りたかっただけな源之助は、部屋のテーブルに次々と積まれる艶やかな布や糸に冷や汗を垂らした。

 えー………? と、ふたたび放心する少年。

 だが、これはチャンスかもしれない。裁縫は、この小さな身体でやれそうなことの一つだ。源之助は、そう思った。

 ……今からしっかり習えば、俺でもそれなりのモノが作れるようになるんじゃ? うん。この世界、カバンとかないみたいだし。
 ……ウエストポーチやナップとか作ったら、売れるんじゃないかな?

 慌ててルドラに頼んで裁縫上手な侍従をつけてもらい、せっせと少年は針を刺す。

 きゃっきゃ、うふふと楽しげな源之助と侍従達。

 そんな可愛らしい光景を微笑ましく見つめ、ルドラは御満悦だ。

 ……ああ、こういう穏やかで幸せそうな日々が、ずっと続いたら良い。いや、続くように頑張りますよ、わたくし。

 むんっと気合を入れたルドラは、数日後、源之助から財布をもらう。



「まだ、あんまり上手じゃないけど…… もらって? ルドラには、一杯お世話になってるしさ」

 四角く不思議な形の財布。木のボタンを外して折りたたんだ厚手な布を開くと、中には複数の仕切りがついており、硬貨を種類別に入れておける仕様になっていた。

 ……これはまた。良く出来たものだ。

 一瞬、その財布の出来に眼を奪われたルドラだが、次には財布の端に刺された辿々しい刺繍が目に入る。
 そこには小さくルドラと描かれていた。

 ……わたくしのために? ……ああ、なんともったいないことか。

 じぃぃ……んっと込み上げる歓喜。擽ったく面映いソレが、ルドラの頬に仄かな朱を走らせた。
 
「ありがとうぞんじます…… 素晴らしい。大切にしますね」

 感無量な面持ちで眼を細めるルドラ。それを見て、源之助も嬉しそうに笑う。

 ……が、数日後、その財布がルドラの執務室に上げ奉られているのを見つけて、思わず少年は噴き出した。
 高そうな布を折り重ねた台に、恭しく置かれた手作り財布。
 どういうことかと本人に尋ねてみれば、もったいなくて使えない。しばらくは、じっくり眺めて楽しみたいとのこと。

「大切にいたします。わたくしの宝物ですよ、これは」

 すごく良い笑顔で言われて、喉元まで迫り上がった言葉を源之助は仕方なく呑み込んだ。

 ……喜んでくれたのは嬉しいけど、大切にの意味が違ぇぇっ!!

 上機嫌な専属執事の後ろ姿に何も言えず、こうなりゃハンカチやポーチなど色々作って、使わざるをえないようにしてやると、心の中でだけ誓う少年である。

《……私にも何かないのかね? 忘れてるなら、思い出させてやろうか?》

 不貞腐れた神の呟きに、やれやれと源之助の胸元で溜め息をもらすコフィンだった。
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