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 奇妙な暮らし 4

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「そういえば…… 旦那様はご存知ですか? みんなの言う勘違いとかを」

 差し向かいでラナリアと朝食を摂っていたレオンは、いきなりの質問に喉を詰まらせる。ぐぐっと俯いて無理やり飲み込もうとする彼の前に、無言で水をおく侍女長。
 その眼が薄く弧を描き、『さっさと伝えてしまえ』とレオンに圧をかけてきた。女性らしくもなくギラつく眼光。
 この侍女長の名前はアンナ。彼女はレオンが生まれた時から邸におり、今では古参中の古参。若輩のウォルターと違い、これまでレナリアにも正しく対応してくれていた。
 ゆえに、しくじったウォルターに代わりレナリアの側につけたレオンだが、眼力の半端ないアンナに彼もタジタジである。

 自分がおしめの頃からを知る人間に勝てるわけながない。

「あ~…… その…… 俺達の結婚のことだ」

「はい?」

「……俺は、ラナリアを気に入り、縁談を申し込んだんだが…… それを知らぬ者達が、勝手に誤解して…… おれが君を厭うていると…… そんなことは、絶対にないからな?」

 真剣な眼差しでラナリアに言い募るレオン。

 不器用で上手く口も回らない彼にしたら大快挙である。侍女長も及第点を与え、心の中でだけ拍手した。
 ……が、それに、ラナリアは斜め上半捻りの答えを返す。

「厭われても仕方ないと思うておりました。まともに社交も出来ず、お家も回せない。ただ自堕落に遊んでいるだけなんて、穀潰しでしかありませんでしょう? そんな人間を快く思うはずがございませんもの」

 そんな自分が情けなく、恥ずかしく、どうしたら良いかも分からず、ラナリアは消えていなくなりたいとテラスから飛び出そうとしたのだ。
 
 ……苦しかった。誰もに白い目で見られて。なのに食事や衣装、実家への援助と湯水のごとくお金を使わせて…… まるで寄生虫みたいだと、自分でも思ったもの。

 しゅん……っと背中を丸めるラナリアを見て、ようようレオンはウォルターの説教を理解した。
 自分が良かれと思い社交をさせなかったせいで。何も苦労させたくなくて、家の事もやらせず、ただレオンの好きなだけ物を与え続けていたせいで。
 逆にラナリアは萎縮し、酷い劣等感を彼女に植え付けてしまった。自らを穀潰しなのだと卑下する程。

 ……それは、俺のせいなんだぁぁーっ! うわあぁぁ、そういうことかぁぁーっ!! すまん、ラナリアぁぁーっ!!

 レオンの脳内にあらゆる謝罪が飛び回る。
 一見無口にも見える彼だが、彼は寡黙なだけで無口ではない。言いたいことは沢山あるのに上手くまとまらず、結果、全て飲み込んでしまうのだ。

 今も、軽く眼を見開いて固まっている。

 ……どうしたらっ? 正直に話すかっ? いや、ただでさえ嫌われているだろうに、これ以上嫌われたら俺は死ぬ。死ねるっ! 
 ……こういう時は? ウォルター、教えろぉぉーっ!!

 内心、冷や汗ダラダラな旦那様。

「……君は俺を嫌いになったかもしれないが…… 俺が君を嫌うことはない。絶対にない。それは信じてくれ」

 全身をガチガチに強張らせて、決死の思いで吐き出されたレオンの言葉。自業自得とはいえ、気の毒げに二人を見つめるアンナの視界で、ぽややんとした顔のラナリアが呟いた。

「私が旦那様を嫌う? そんなことありえませんわ」

 その場の空気から一瞬で色が抜け落ちる。真っ白な空間には、薄く微笑むラナリア。
 何を言われたのか分からず放心するレオンを余所に、彼女は淡々と話を続けた。

「旦那様には心より感謝しておりましてよ? 実家の援助はもちろん、一年前の動乱で我が領地を救ってくださったことも」

 レオンの真っ白だった脳裏が、鮮やかに色づいた。

 ……覚えていて? 俺のことを?

 他の騎士より何回りもデカい体躯だ。相手を睨み殺せそうなほど獰猛な顔も相まり、一度見たら忘れられるわけはない。
 そんな己の風貌の自覚もなく、レオンはラナリアが覚えていてくれたことに感動し、唇を震わせつつ絶句した。

「縁談が申し込まれた時も、有頂天になってしまって…… 素晴らしい騎士様と結婚出来ると。……少し浮かれてしまいましたわ」

 ……これは夢か? ラナリアが? 誰か…… ウォルター。俺の指を落としてみてくれ。これが夢ではないと教えてくれ。

 物騒な確かめ方を幼馴染みに強要しようと目論むレオンの耳に、最愛の心地好い声が響く。

「なのに、なんの役にも立てず…… 心苦しくて。……こちらから共にありたいと願ったのに。本当に申し訳ありません」

 ……え?

 レオンはもちろん、侍女長も眼を丸くした。

「奥方様? ……それは?」

 すでにキャパオーバーでカチンコチンなレオン。役立たずな主に代わり、アンナが驚愕の面持ちでラナリアに尋ねる。

「幾久しく夫婦でありましょう、なんて…… 烏滸がましいことを……」

 真っ赤な顔で両頬に手を当てるラナリア。恥じらう彼女に眼を奪われていたレオンは、侍女長が声を荒らげたことで正気に返った。

「まああぁぁっ! そうでしたのねっ?!」

「な……? どうした? アンナ」

「どうしたも、こうしたもありませんっ! 旦那様、求愛されてたんじゃないですかっ!!」

 ………………は?

 地球でも同じだが、幾久しく共にあろうというのは、人生をずっと一緒に生きていきましょうという意味だ。これに、幾久しくありたいと相手が返せば成立する。

「旦那様からは…… その……返事が返されなかったので…… ああ、やっぱり政略結婚なんだなぁ……と」

 あの時レオンは、満面の笑みな花嫁姿のラナリアにうっとりと惚けており、ただ無言で頷いただけだった。

 ……うわああぁぁっ!! 俺は馬鹿かぁぁーーーっ!!

「あるっ! 幾久しく共にあるっ! 絶対に離さんっ!! これまでは、すまなかった! 俺は無骨者で、君を怖がらせたくなくて……っ、その……っ」

「承知しておりましたよ? 社交もしない妻にドレスを贈ってくださるような方ですもの。食事にも気を使ってくださって…… 冷たいお顔に見えましたが、お優しい方なのだと知っておりましたから」

 レオンの瞳が大きく揺れる。

 なんのことはない。

 子爵家の全てが誤解していたなか、ラナリアだけがレオンを理解していた。
 自分を大切にしてくれていると。鉄面皮な強面顔の下にひそむ労りを、彼女だけはちゃんと感じてくれていた。
 誤解していたのは周りだけだった。

「だからこそ…… なおさら心苦しくて。役立たずな自分が情けなくて。まるでガラクタな人形でしかないような気がして。……テラスの下へ身を躍らせようとしましたの」

「「えええっっ?!」」

 思わず顔面蒼白になるレオンとアンナ。

「妻の務めも果たせず逃げ出そうと…… 羞恥に身が竦む思いですわ」

 はあ……っと重い溜め息をつくラナリアを咄嗟に抱き寄せ、レオンは己の胸に閉じ込めた。

「ならんぞっ? 自害など、絶対に許さんからなっ?!」

「……自害? あ…… あ~…… そう思われましたか」

 くすくす笑って、ラナリアは器用にレオンの胸から抜け出すと、突然テラスに向かって走り出した。
 そして手すりに足をかけ、軽やかな動きでその細い肢体を宙に躍らせる。

「ラナぁぁぁーーーーっ!!」

 迸るレオンの絶叫。全速力でテラスに駆けつけた彼が見たものは、少し枝葉の伸びた樹木の幹を掴み、くるりと回りながら着地する妻の姿。

「こういうことですわ。辺境貴族は野山を駆け回る戦士ですから。二階や三階なんて、樹木があれば簡単に降りられますの」

 つまり、身を躍らせるとは読んで字のごとく。この邸から逃げ出そうとしただけだったのだ。

 ……あ。ああ、そうか。彼女は辺境貴族であったな。忘れていたよ。ここでは可愛らしくて清楚な妻だったから。

 はああ~っと詰めた息を吐き出しつつ、レオンはにこやかに笑うラナリアを見つめる。

「ふはっ、あの時、戦場にあっても君は駆け回っていたっけ。兵士顔負けな働きでな。そんな君に俺は魅せられたのだ」
 
 遺体と負傷兵を選別し、肩を貸して戦線から離脱させていたラナリア。周りを鼓舞して少しでも人々を救うため、全力で疾走する彼女に自分は惚れたのだとレオンは独りごちる。

「それ、初耳なんですがっ?!」

「言ってなかったか?」

 御嫁様の驚くべき経歴に度肝を抜かれ、開いた口が塞がらない侍女長。
 アンナとて辺境貴族のことは知っている。常に隣国との諍いを捌き、戦う貴族だということは。だが、真っ当な常識に当てはめたら、そういった荒事に当たる者は男性と相場が決まっていた。
 まさか御令嬢まで戦場に立つなどと思わないではないか。

 わちゃわちゃする二人を見上げて、ラナリアも当時を思い出していた。



『怯むなっ! 残る敵は多くないっ! 地形を利用して押し返せっ!!』

 ラナリアの実家領地を襲った動乱。

 押し寄せる敵を捌き、山岳地な地形を利用して、レオンは細い山間に陣を張った。そして絶対的に足りない人数差を己のスキルによって補ったのだ。
 絶壁な左右の岩山。そこに仁王立ちし、彼のスキルが発動する。

『我の背には守るべき民がおるのだ! 我は負けぬっ! かかって来いっ!!』

 狭い山間にひしめく敵兵、それをバターのように斬り裂きながら、飛び散る血飛沫と漂う血煙に染められてゆく大地。
 他の領地の援軍や王都の騎士団が到着するまで、レオンは少ない部下と地元義勇兵を指揮し、燦然と一人で敵を押さえ込んでくれたのだ。

 あの勇姿をラナリアは忘れない。

 ……だから。縁談がきて、舞い上がってしまったのですわ、私…… 旦那様。

 お互いがお互いに一目惚れした戦場。

 なのに、あまりに無能すぎる自分に絶望して、役立たずな自分なんて消えてしまいたいと思い込み、子爵家から逃げ出そうとしたラナリア。
 
 あまりに幸せすぎて周りが見えず、最悪の展開を迎えてしまったお間抜けさんなレオン。

 すれ違い、拗れきった両片思い。

 それが今、ようやく伝わった。
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