16 / 20
16 酷い言葉
しおりを挟む
エミリアが登校すると、生徒達から遠巻きに見られている気がしていた。しかし居心地が悪いのはそれだけのせいではない。
少し後ろにいるヴァートとは家を出てから一言も話してはいない。昨日はクリスティナの訪問後に部屋に来たが、結局まともな話は出来ないまま終わってしまった。あれから何度も話をしようとしてけれど、何故か視線が合わず、その後は帰宅した父親の怒りを宥めるのに必死でそれどころではなかった。
「おはようございます」
目の前に現れたフェリドは制服は着ていない。きっと公務の合間に立ち寄っただけなのだろう。忙しいフェリドが最近学園に来ている事の方が珍しい事だったのだと思い出しながら挨拶をすると、思い切り腕を掴まれた。
「どうなさいました?」
「フェリド様! お嬢様をどちらに……」
「お前は付いて来るな!」
ヴァートを引き離すようにどんどん進んでいき、生徒会室に押し込まれた時にはすでに多くの生徒達に目撃されていた。
「こんな事して何を考えているのですか?」
「お前は婚約を無くしたいのか?」
「ど、どうしてそんな事を」
すると金色の髪をがしがしと掻いて苛立ったように睨み付けてきた。
「クリスティナ様からお聞きになったのですか?」
「夜会での事には理由があるんだ。終わったら全て話すから妙な考えを起こすのは止めろよ」
「妙とは? 婚約を望まない事ですか?」
はっとして見開かれた目を真正面から見据える。そして掴まれていた手を手で押し退けた。
「この際ですからはっきり申し上げます。私はこの縁談を望んではおりません」
フェリドが息を飲んだのが分かる。思えばこうしてはっきりと意見を言ったのは初めてだったかもしれない。いつも強気な瞳の奥が揺らいだのが分かった。
「殿下が私にこだわる必要はないのではありませんか?」
「……どれだけヴァートを想っても手に入らないぞ」
驚くのはこちらの番だった。いつから知っていたのだろう。自分の婚約者が使用人を想っているなど決して許せる訳がない。それなのに今までフェリドはずっと普通に接してくれていた。だからこの想いは誰にも気づかれていないと、そう思っていた。でもとっくに気づかれていたのだ。
――それならヴァートには? ずっとそばにいたヴァートが気付かない訳ない。受け止められない気持ちに気づきながら、ずっと知らない振りをしていたのだとしたら?
恥ずかしさと悲しさで胸が締め付けられる。思わず俯くとその顎を掬われた。
「クリスティナ王女からヴァートの事を聞いたか?」
「国に連れていくというお話でしょうか?」
「王女に気に入られたら伯爵家のお前では止められない。手放すしかなくなるな」
「みすみす渡せと仰るのですか?」
「相手は王女だ。それにオニキス王国はヴァートが生まれた国なんだ。国に帰るのが普通だろう? ずっと縛り付けておく気か?」
「縛り付けてなんかいません!」
でもヴァートの考えを聞こうともせずに婿に取ろうとしていた。酷く傲慢で身勝手な考えだと、思いもしなかった。
唇を思い切り噛むと掴まれていた顎が更に上げられる。その瞬間、冷たく乾いた物が唇に当たった。一瞬思考が固まった後、それが唇だと気づいた時には思い切り胸を押し返していた。しかし思いの外鍛えているフェリドの体はびくりともせず腕が体に巻き付いてくる。抗議しようとして開いた唇に湿った物が遠慮がちに滑り込んでくる。その瞬間、口を閉じていた。
「ッ」
思い切り弾かれて体が離れる。口元を拭うと、どちらのものともしれない血が薄く伸びていた。
「結婚したらこれ以上の事もするんだから少しは慣れろ」
やれやれというように親指で口を拭っているフェリドはぺろりと唇を舐めると、意地悪い笑みを浮かべた。これ以上この部屋にいたくなくて扉に手を掛けると後ろからもう片方の手首を掴まれる。思いの外熱い手は何かを伝えたいように何度か力が込められた後、するりと離された。
廊下の少し離れた所にヴァートが立っていた。ヴァートとは反対の方向に歩き始める。今は授業中で廊下には誰もいない。少し足を早めた時だった。
「お嬢様、その先は階段です!」
はたとして足を止め、掴まれた腕の方向のまま上を見上げると、ヴァートの目が驚いているのが分かった。
「怪我をされているのですか?」
とっさに俯くと乾いた唇を押さえた。
「大丈夫よ、ちょっとぶつけただけなの」
「失礼」
そういうと下を向いていた顔を上げされられる。そしてハンカチの端でそっと撫でてきた。
「お嬢様の唇は切れていないようですね。一応医務室に行きましょう」
エミリアは掴まれた腕を乱暴に振り払っていた。
「もう放っておいてよ! どうせあなたはクリスティナ様と一緒にオニキス王国へ行ってしまうんでしょう!」
こんな風には告げたくなかった言葉が口を滑り出していく。後悔してももう遅い。
「そうだとしても、今はまだ私はあなたの使用人ですから」
「やっぱり行ってしまうのね」
ゆっくりと歩き出す。
「お願いだから今は付いて来ないで。もうこれ以上私を失望させないで!」
――最低だ。なんて最低な事を言っているのだろう。
ヴァートは自分の嫌がる事はしない。分かっているから滑り出た言葉。ただの八つ当たりに過ぎない言葉は、きっと今ヴァートを傷付けているに違いない。謝ろうと今来た廊下を振り返った時だった。後ろには今までいなかった男子生徒達がいる。しかしそれは見た事がない顔で、後ろから口元を何かで覆われていた。
少し後ろにいるヴァートとは家を出てから一言も話してはいない。昨日はクリスティナの訪問後に部屋に来たが、結局まともな話は出来ないまま終わってしまった。あれから何度も話をしようとしてけれど、何故か視線が合わず、その後は帰宅した父親の怒りを宥めるのに必死でそれどころではなかった。
「おはようございます」
目の前に現れたフェリドは制服は着ていない。きっと公務の合間に立ち寄っただけなのだろう。忙しいフェリドが最近学園に来ている事の方が珍しい事だったのだと思い出しながら挨拶をすると、思い切り腕を掴まれた。
「どうなさいました?」
「フェリド様! お嬢様をどちらに……」
「お前は付いて来るな!」
ヴァートを引き離すようにどんどん進んでいき、生徒会室に押し込まれた時にはすでに多くの生徒達に目撃されていた。
「こんな事して何を考えているのですか?」
「お前は婚約を無くしたいのか?」
「ど、どうしてそんな事を」
すると金色の髪をがしがしと掻いて苛立ったように睨み付けてきた。
「クリスティナ様からお聞きになったのですか?」
「夜会での事には理由があるんだ。終わったら全て話すから妙な考えを起こすのは止めろよ」
「妙とは? 婚約を望まない事ですか?」
はっとして見開かれた目を真正面から見据える。そして掴まれていた手を手で押し退けた。
「この際ですからはっきり申し上げます。私はこの縁談を望んではおりません」
フェリドが息を飲んだのが分かる。思えばこうしてはっきりと意見を言ったのは初めてだったかもしれない。いつも強気な瞳の奥が揺らいだのが分かった。
「殿下が私にこだわる必要はないのではありませんか?」
「……どれだけヴァートを想っても手に入らないぞ」
驚くのはこちらの番だった。いつから知っていたのだろう。自分の婚約者が使用人を想っているなど決して許せる訳がない。それなのに今までフェリドはずっと普通に接してくれていた。だからこの想いは誰にも気づかれていないと、そう思っていた。でもとっくに気づかれていたのだ。
――それならヴァートには? ずっとそばにいたヴァートが気付かない訳ない。受け止められない気持ちに気づきながら、ずっと知らない振りをしていたのだとしたら?
恥ずかしさと悲しさで胸が締め付けられる。思わず俯くとその顎を掬われた。
「クリスティナ王女からヴァートの事を聞いたか?」
「国に連れていくというお話でしょうか?」
「王女に気に入られたら伯爵家のお前では止められない。手放すしかなくなるな」
「みすみす渡せと仰るのですか?」
「相手は王女だ。それにオニキス王国はヴァートが生まれた国なんだ。国に帰るのが普通だろう? ずっと縛り付けておく気か?」
「縛り付けてなんかいません!」
でもヴァートの考えを聞こうともせずに婿に取ろうとしていた。酷く傲慢で身勝手な考えだと、思いもしなかった。
唇を思い切り噛むと掴まれていた顎が更に上げられる。その瞬間、冷たく乾いた物が唇に当たった。一瞬思考が固まった後、それが唇だと気づいた時には思い切り胸を押し返していた。しかし思いの外鍛えているフェリドの体はびくりともせず腕が体に巻き付いてくる。抗議しようとして開いた唇に湿った物が遠慮がちに滑り込んでくる。その瞬間、口を閉じていた。
「ッ」
思い切り弾かれて体が離れる。口元を拭うと、どちらのものともしれない血が薄く伸びていた。
「結婚したらこれ以上の事もするんだから少しは慣れろ」
やれやれというように親指で口を拭っているフェリドはぺろりと唇を舐めると、意地悪い笑みを浮かべた。これ以上この部屋にいたくなくて扉に手を掛けると後ろからもう片方の手首を掴まれる。思いの外熱い手は何かを伝えたいように何度か力が込められた後、するりと離された。
廊下の少し離れた所にヴァートが立っていた。ヴァートとは反対の方向に歩き始める。今は授業中で廊下には誰もいない。少し足を早めた時だった。
「お嬢様、その先は階段です!」
はたとして足を止め、掴まれた腕の方向のまま上を見上げると、ヴァートの目が驚いているのが分かった。
「怪我をされているのですか?」
とっさに俯くと乾いた唇を押さえた。
「大丈夫よ、ちょっとぶつけただけなの」
「失礼」
そういうと下を向いていた顔を上げされられる。そしてハンカチの端でそっと撫でてきた。
「お嬢様の唇は切れていないようですね。一応医務室に行きましょう」
エミリアは掴まれた腕を乱暴に振り払っていた。
「もう放っておいてよ! どうせあなたはクリスティナ様と一緒にオニキス王国へ行ってしまうんでしょう!」
こんな風には告げたくなかった言葉が口を滑り出していく。後悔してももう遅い。
「そうだとしても、今はまだ私はあなたの使用人ですから」
「やっぱり行ってしまうのね」
ゆっくりと歩き出す。
「お願いだから今は付いて来ないで。もうこれ以上私を失望させないで!」
――最低だ。なんて最低な事を言っているのだろう。
ヴァートは自分の嫌がる事はしない。分かっているから滑り出た言葉。ただの八つ当たりに過ぎない言葉は、きっと今ヴァートを傷付けているに違いない。謝ろうと今来た廊下を振り返った時だった。後ろには今までいなかった男子生徒達がいる。しかしそれは見た事がない顔で、後ろから口元を何かで覆われていた。
21
お気に入りに追加
241
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる