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7 悩み

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 エミリアは学園長のアントネクス邸を訪れていた。

「お忙しい所申し訳ございません、学園長」

 応接室に通されたエミリアは、座る直前まで何やら書類に目を通していたアントネクス学園長を見つめながら頭を下げた。

「構わないよ、頼ってくれと言ったのは私の方だからね」

 アントネクス侯爵家は広大な領地を所有している。自分の様な伯爵家とは規模が違うのは理解しているつもりだった。そんなアントネクス学園長に相談するのは憚られたが、いつでも来ていいという言葉を真に受ける事にした。

「大変な事もあるけれど、まあ何とかなっているよ。それよりも君の話を聞こうか」
「あの、学園生活の事ではないのですけれど宜しいでしょうか?」
「生徒の悩みはなんでも構わないよ」
「ありがとうございます。実は私達の結婚が早まりそうなんです。殿下が急がれているようで、私も記憶を失っていますから出来ることなら予定通りが望ましいのですが、何か殿下から伺っておられますか?」
「それをまずは殿下に尋ねてみたのかな?」
「いいえ、まだです」
「それでは聞こうとはしている?」

 エミリアは黙り込んでしまった。なぜかフェリドには聞く気になれなくてここまで来てしまったのだ。フェリドが本当の事を話してくれるとは思わないし、もし話を聞いてみて納得せざる負えない説明が返ってきたらどうすればいいのか、怖くて堪らなかった。

「二人の事はまず当事者で話すのが一番だと思わないか? 誰かが間に入ればいらぬ誤解を生んでしまうかもしれないよ」
「学園長の仰る通りです。後日殿下とお話してみます」
「一つ聞いてもいいかな? 君は記憶がないから結婚には後ろ向きなの? それとも別の理由があるのかな?」

 心臓がドキリと跳ねた。アントネクス学園長の表情はどこまでも優しい。だからこその怖さもある。

「もちろん記憶がないからです。今の私には王太子妃など務まるとは思えません」
「そんな事はないよ。君は記憶がなくても一生懸命頑張っているし、その能力もあると思っているよ」

 エミリアは内心を悟られない様に努めて礼をすると席を立った。

 放課後、意を決して生徒会室の扉を叩いた。まだフェリドが帰城していないのは確認済み。とすればここにいるはず。すぐに返事がして息を整えていると扉は勢いよく開いた。見上げる程の大きな男の人と視線が合った瞬間、印象の強く残る目を見開いて興味深そうに笑ってきた。生徒会委員とは言い難い風貌の体育会系のがっちりとした体型と着崩した制服に呆気に取られていると、室内に向かって大声で言った。

「おい! 婚約者様がお迎えに来たぞ!」

 視線を下げてしまえば胸の辺りしか見えない。そして三つ目の釦まで開けられたシャツの隙間から見えた肌に思わずさっと顔を逸らすと、その生徒はにかっと笑ってわざとらしく笑ってきた。

「そういう反応するって事は男の肌を見慣れていない訳だ? それじゃあの噂は白だな。ほらほらお前らの負けだぞ」

 そう言いながらひらひらと動かしている大きな掌に、ぞろぞろと出てきた男達三人が不思議そうな顔で皆見下ろしてきた。唯一視線がさほど変わらない生徒がいたが、しかしその生徒にはすぐに目が逸らされてしまった。

「お前達、いい加減にしないと生徒会委員から外すぞ」

 後ろから最後に出てきたのはフェリドだった。今目の間にいる四人の生徒会委員達も美形揃いだが、やはりフェリドは群を抜いて美しい顔立ちをしている。計五人の見目麗しい男子生徒達に見下されている所で、ぐいっと手が引っ張られた。

「だからあいつらに会わせるのは嫌だったんだ」
「随分仲がよろしいのですね」
「男しかいないからな。無礼講だよ。それよりも珍しいな、ヴァートは一緒じゃないのか」
「殿下にお話がございましたのでヴァートには図書室で待つように言っております」
「話? 俺にか?」

 すると扉の辺りから冷やかす様な言葉が投げられてくる。エミリアはいても立ってもいられずに掴まれていたフェリドの手を逆に掴むと足早に歩き出した。

「どうして結婚の時期を変えられたのですか?」
「それはお前が事故にあったから、近くで支えたという気持ちが出てしまったんだ。いけなかったか?」
「いけませんよ! それも半年後だなんて何の相談もなく早められてしまって困惑しているんです。記憶が戻らなくて婚約者として立ち振る舞えないとお話をしましたよね?」
「それなら待てば記憶は戻るのか?」
「……それは分かりません」

 すると深い溜め息が返ってきた。

「それなら早い方がいいだろう? 出来るだけそばにいて王太子妃として過ごした方が君の為になると思ったんだよ」
「っ、それならそうとご相談くだされば良かったのです」
「相談していたら断られていた」

 フェリドの返答には返す言葉もない。確かに相談されていればむしろなんとかして時期を遅くしようとしただろうし、もしくは返事を先延ばしにしたはずだ。フェリドは自分の事をよく分かっている。だからこそなんの相談もなしに動いた。それに本来ならばこうしてフェリドを責める権利はない。だって、相手は王太子なのだから。


「お嬢様? 終わられたのですか?」

 ヴァートは図書室の前に立っていた。ちゃんと言われた通りに待ってくれていたが、その表情からは心配の色が浮かんでいる。極力笑って見せると返って心配そうに眉根が寄せられた。

「お父様から陛下にお話してもらうわ。やっぱりまだ結婚は早いもの。せめて卒業するまでは待ってほしいって。さあもう今日は帰りましょう」
「勉強は宜しいのですか?」
「今日はもういいわ。なんだか疲れたの」
「それは大変です! 抱き抱えて行きましょうか?」
「抱き? え? いいわよ!」

 するとしょげたようにヴァートはしょんぼりとしながら歩き出した。その背中を見ていると無性に愛おしくなってしまう。広い背中を力一杯抱き締めたい衝動にかられてしまう。昔は気兼ねなくあの胸に飛び込んでいた。それが出来なくなったのはいつからだったか。きっとその時期からヴァートの事を意識し出したのだろう。

「やはりどこかご体調が優れないのでうね? それとも足が痛いとかですか?」
「ヴァートは本当に昔から心配しょうね。私、もう子供じゃないのよ?」

 困らせるつもりで言った言葉だったが、ヴァートは今にも泣き出しそうな顔をしてしまった。

「どうかしたの?」
「いえ、なんでもありません。お屋敷に到着したらお嬢様のお好きなハーブティーを淹れて差し上げます」

 どうしてかそれ以上聞く事は出来なくて、頷いた。
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